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2016/11/02

諸國百物語卷之四 十三 嶋津藤四郎が女ばうの幽靈の事

      十三 嶋津藤(とう)四郎が女ばうの幽靈の事

 

 をわりの國に嶋津藤四郎(しまづとうしらう)とて、春藤(しゆんどう)の弟子にて、うたひをよくうたひ、御前能にも、たびたび出でられける。此友に、いせの津に、久庵とて、庭などをよくつくる人あり。藤四郎と無二のなかなりけるゆへ、あるとき、尾はりへたづね行き、こしかた物がたりして、ころは六月中じゆんの事なるに、かやをつり、ふたりながら、夜ひと、ね物がたりしけるが、ほどなく藤四郎は、ねいりける。久庵は、いまだねいらずしてゐたるが、としのころ、四十ばかりなる女、たけなるかみをさばき、かねくろぐろとつけ、しろきかたびらをきて、れんじより、なつかしさうにうちを見いれゐたり。久あん、おもふよう。此女はさだめて藤四郎がかたへよなよなかよふめかけなるべし、と、おもひ、わざと、見ぬふりしてゐければ、夜あけがたに、いづくともなく、かへりぬ。あくる夜もまた、かくのごとくしければ、久あんも、なにとやらん、物すごく思ひ、その夜のあくるをまちかね、藤四郎に、かく、と、かたり、

「さだめて、その方のやくそくして、とまりにくる女なるべし。めうばんより、われらはわきにね申さん」

といへば、藤四郎きゝて、

「はづかしながら、かたり申さん。それがし、在京のじぶん、かりそめにちなみ、それより國もとへつれてかへり、三とせ、そひたる女にて候ふが、あるとき、風のこゝちにて、あいはて申し候ふが、そのしうしんのこり申し候ふが、をりをり、きたり申す也」

とかたれば、久庵、おどろき、今、二、三日もとうりうせんとおもひしが、にわかに、いとまごひして、いせへかへられけると也。久庵は寛永のころ、あいはて申されける也。

 

[やぶちゃん注:「嶋津藤(とう)四郎」不詳。

「をわりの國」「尾張(をはり)の國」。歴史的仮名遣は誤り。

「春藤(しゆんどう)」一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注に、『金春座付のワキ方の名人、春藤六右衛門。寛永七年没』とある。寛永七年は西暦。なお、この能楽ワキ方の一流として栄えた春藤流は明治以後に衰え、昭和二〇(一九四五)年に廃絶している。

「うたひ」「謠ひ」。

「御前能」前掲「江戸怪談集 下」の脚注に、『藩主の御前での能。尾張藩における御前能か』とある。

「久庵」不詳。わざわざ「庭等を良く作る」庭師と添えたのは、趣味の昂じた半ば本業かと思われる。芸能者は元来、被差別者出身であったが、じつは寛永の前頃までは、名庭作家は別として、一般的な庭師も同じくそうした階層の出の者が多かった。

「こしかた」「來し方」。共通の或るいは互いの思い出や直近の経験。

「夜ひと」一晩中。夜を徹せんとするほどに。「夜一夜(よひとよ)」が転じた「よっぴとよ」「よっぴて」(現行は「夜っぴいて」となっている)の派生形であろう。前掲「江戸怪談集 下」の脚注には、『「Yofitoi」(『日葡辞書』)のかな表記』とある。

「いまだねいらずしてゐたるが」「未だ寢入らずして居たるが」。

「たけなるかみをさばき」「丈なる髮を捌き」。身の丈と変わらぬ長さもあろうかという長い髪を、結いもせず、ざんばらにして。

「かねくろぐろとつけ」「鉄漿(かね)、黑々と附け」。「鉄漿」は「お歯黒」のこと。

「しろきかたびらをきて」「白き帷子」。複数回既出既注。裏を付けていない白い単衣(ひとえ)。

「れんじ」「連子」連子窓。窓に木や竹の棧(さん)を縦又は横に細い間隔で嵌め込んだ格子窓。

「なつかしさうにうちを見いれゐたり」「懷しさうに裡(うち)を見入れ居たり」。

「おもふよう。」句点はママ。読点でよかろう。

「此女はさだめて藤四郎がかたへよなよなかよふめかけなるべし」「この女は、定めて(きっと)、藤四郎が方へ夜な夜な通ふ妾(愛人)なるべし(に違いあるまい)」が久庵の心内語。

「わざと、見ぬふりしてゐければ」気を利かして、知らんぷりをしたのである。

「夜あけがたに、いづくともなく、かへりぬ。あくる夜もまた、かくのごとくしければ、久あんも、なにとやらん、物すごく思ひ」最初の夜に藤四郎が寝入ったのに、久庵が目が冴えて眠れずに朝を迎え、翌日の夜も朝まで眠れない(この日は、やっと女を尋常の存在ではないと無意識に感じた結果の不眠も含まれる。但し、後者の「物すごく」という形容も、必ずしも怪異の者としてこの女を認識した感覚表現というよりも、後の久庵の提案と、藤四郎から真相を聴いて激しい驚愕度から見て、寧ろ、彼を二晩も独り占めにしている久庵への妬心のような感情を覗き続ける女の視線(現実の愛人のそれとして)に強く感じた結果というべきであって、久庵は彼女を幽霊として感知している訳ではないと読むべきである)というのはそれ自体が異常であることに気づかなければならぬ。実は、既にして、初日――語り相手の藤四郎が寝入ったにも拘わらず、異様に目が冴え、眠れない、という現象自体が久庵を知らず知らずのうちに襲っている異常――なのであり、それがとりもなおさず、既にして霊界とアクセスした時空間に久庵が迷こんでいることの証しであることに気づかねばならぬ。さりげない怪異こそが怪異の実相なのである。

「さだめて、その方のやくそくして、とまりにくる女なるべし。めうばんより、われらはわきにね申さん」「定めて、その方の約束して、泊まりに來る女なるべし。明晩(みやうばん)より、我らは脇に寢申(まう)さん」。「めうばん」の歴史的仮名遣は誤り。「脇」は次の間或いは離れた別室。藤四郎はワキ方能楽師であるから、洒落ているように見える。いやさ、本話柄自体が、ワキ僧たる久庵が前半で女(シテ)を現実の藤四郎の愛人と見、後半で藤四郎の告解によりはするものの、女が亡霊であることが明らかにされるという、複式夢幻能の捻った体(てい)を持っているのである。

「じぶん」「時分」。

「かりそめにちなみ」「假初(かりそめ)に因(ちな)み」。ふっと、その場限りの遊びの積りで、契りを結び。しかし、そのままずるずると惹かれるようにその女が愛おしくなって愛欲に溺れて、といった感じか。逆に女の方の藤四郎への愛の執心を行間に読まねばいけない。でなければ、どうして「それより國元へ連れて歸り、三年(とせ)」も「添ひたる女」であると続くものか。

「風のこゝち」「風邪の心地」。

「あいはて」「相ひ果て」。

「そのしうしんのこり」「その執心、殘り」。

「とうりうせんとおもひしが」「逗留せんと思ひしが」。

「寛永」一六二四年から一六四四年。]

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