學識 尾形龜之助
學識
自分の眼の前で雨が降つてゐることも、雨の中に立ちはだかつて草箒をふり廻して、たしかに降つてゐることをたしかめてゐるうちにずぶぬれになつてしまふことも、降つてゐる雨には何のかゝはりもないことだ。
私はいくぶん悲しい氣持になつて、わざわざ庭へ出てぬれた自分を考へた。そして、雨の中でぬれてゐた自分の形がもう庭にはなく、自分と一緒に緣側からあがつて部屋の中まで來てゐるのに氣がつくと、私は妙にいそがしい氣持になつて着物をぬいでふんどし一本の裸になつた。
(何といふことだ)裸になると、うつかり私はも一度雨の中へ出てみるつもりになつてゐた。何がこれなればなのか、私は何か研究するつもりであつたらしい。だが、「裸なら着物はぬれない――」といふ結論は、誰かによつて試めされてゐることだらうと思ふと、私は恥かしくなつた。
私はあまり口數をきかずに二日も三日も降りつゞく雨を見て考へこんだ。そして、雨は水なのだといふこと、雨が降れば家が傘になつてゐるやうなものだといふことに考へついた。
しかし、あまりきまりきつたことなので、私はそれで十分な滿足はしなかつた。
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「何がこれなればなのか」の「これなれば」とは――こうして褌一丁の裸であるのであるからして――の意で、ここは詩人が、『何といふことだらう! これなれば、則ち、――裸なら着物はぬれない――ではないか!』という事実をことさらに始めて発見し、『そいつを一つ実地に研究してやらう』と「するつもりであつたらしい」ということを意味している。]