印 尾形龜之助 (附 初出復元 / 底本全集への疑義)
印
屋根につもつた五寸の雪が、陽あたりがわるく、三日もかゝつて音をたてゝ桶をつたつてとけた。庭の椿の枝にくゝりつけて置いた造花の椿が、雪で糊がへげて落ちてゐた。雪が降ると街中を飮み步きたがる習癖を、今年は錢がちつともないといふ理由で、障子の穴などをつくろつて、火鉢の炭團をつゝいて坐つてゐたのだ。私がたつた一人で一日部屋の中にゐたのだから、誰も私に話かけてゐたのではない。それなのになんといふ迂濶なことだ。私は、何かといふとすぐ新聞などに馬車になんか乘つたりした幅の廣い寫眞などの出る人を、ほんとうはこの私である筈なのがどうしたことかで取り違へられてしまつてゐるのでは、なかなか容易ならぬことだと氣がついて、自分でそんなことがあり得ないとは言へきれなくなつて、どうすればよいのかと色々思案をしたり、そんなことが事實であれば自分といふものが何處にもゐないことになつてしまつたりするので、困惑しきつて何かしきりにひとりごとを言つてみたりしてゐたのだつた。
水鼻がたれ少し風邪きみだといふことはさして大事ないが、何か約束があつて生れて、是非といふことで三十一にもなつてゐるのなら、たとへそれが來年か明後年かのことに就いてゞあつても、机の上の時計位ひはわざわざネジを卷くまでもなく私が止れといふまでは動いてゐてもよいではないのか。人間の發明などといふものは全くかうした不備な、ほんとうはあまり人間とかゝはりのないものなのだらう。――だが、今日も何時ものやうに俺がゐてもゐなくとも何のかはりない、自分にも自分が不用な日であつた。私はつまらなくなつてゐた。氣がつくと、私は尾形といふ印を兩方の掌に押してゐた。ちり紙を舐めてこすると、そこは赤くなつた。
[やぶちゃん注:「ほんとう」(二箇所)、「言へきれなくなつて」の「言へ」、「位ひ」の「ひ」、「ネジ」(歴史的仮名遣では「ネヂ」)は総てママ。「今日も何時ものやうに俺がゐてもゐなくとも何のかはりない」の「俺」(ここだけの一人称。他は「私」)はママ。
本篇は昭和五(一九三〇)年五月発行の『旗魚』第六号を初出とし、そこでは題名も異なる。以下に取り敢えず、底本「異稿対照表」の指示にのみ基づいて復元してみる。
*
俺は自分の顏が見られなくなつた
屋根につもつた五寸の雪が、陽あたりがわるく、三日もかゝつて音をたてゝ桶をつたつてとけた。庭の椿の枝にくゝりつけて置いた造花の椿が、雪で糊がへげて落ちてゐた。雪が降ると街中を飮み步きたがる習癖を、今年は錢がちつともないといふ理由で、障子の穴などをつくろつて、火鉢の炭團をつゝいて坐つてゐたのだ。私がたつた一人で一日部屋の中にゐたのだから、誰も俺に話かけてゐたのではなかつたか。それなのになんといふ迂濶なことだ。私は、何かといふとすぐ新聞などに馬車になんか乘つたりした幅の廣い寫眞などの出る人を、ほんとうはこの私である筈なのがどうしたことかで取り違へられてしまつてゐるのでは、なかなか容易ならぬことだと氣がついたのだ、そして、自分でそんなことがあり得ないとは言へきれなくなつて、どうすればよいのかと色々思案をしたり、そんなことが事實であれば自分といふものが何處にもゐないことになつてしまつたりするので、困惑しきつて何かしきりにひとりごとを言つてみたりしてゐたのだつた。
水鼻がたれ少し風邪きみだといふことはさして大事ないが、何か約束があつて生れて、是非といふことで三十一にもなつてゐるのなら、たとへそれが來年か明後年かのことに就いてゞあつても、机の上の時計ぐらひはネヂをわざわざ卷くまでもなく俺がとまれといふまでは動いてゐてもよいではないのか。人間の發明などといふものは全くかうした不備な、ほんとうはあまり人間とかゝはりのないものなのだらう。――だが、今日も新聞には俺のことを何も書いてはゐ、そして、何が「――これならば」なのか、俺は尾形といふ印を兩方の掌に押してゐたのだつた。
*
しかしながら、この異稿表には大きな疑問がある。まず、最初の異同箇所、第一段落の「誰も俺に話かけてゐたのではなかつたか。」の箇所であるが、ここを秋元氏は(下線太字はやぶちゃん)、
(初出稿)誰も俺に話かけてゐたのではなかつたか
(詩集稿)誰も私に話かけたゐたのではない
としているのであるが、最初に掲げた通り、詩集本文は「誰も私に話かけてゐたのではない。」である点である。次に
第二段落の「ネジ」が初出稿も詩集稿も孰れも表では「ネヂ」と正しく表記されている
点、さらに言うなら、ご覧の通り、
初出稿でも一人称の「俺」の中に「私」(第一段落内に三箇所)も混在している
点である。
尾形龜之助の旧全集は草野心平と秋元潔共編で底本と同じ思潮社から一九七〇年に出ている(私は所持しない)が、それを底本とした思潮社の現代詩文庫1005「尾形亀之助詩集」と、現行通用している秋元氏の「尾形龜之助全集 増補改訂版」とを比較してみると、後者ではママ注記が激しく減らされているだけでなく(これは底本「あとがき」でそれを減らした旨の記載はある。あるが、ただ振らなかったのか、そこを正字法に敢然と訂したのかは説明されていない。思うに、秋元氏は秋元氏の独断でそれらを使い分け、読者にはそれがブラック・ボックス化していると推定している)、一部は原典の脱字や誤記が注記なしに訂されているのではないかと深く疑われる箇所が全体に存在するのである。
こうした不審を敷衍すると、この校異表が本当に正確なのかどうかが、疑われてくることは明白である。
そうして以上から推察し得ることは、まず、
本篇の現行全集の本文の「ネジ」は正規表現の「ネヂ」で詩集「障子のある家」には記載されているのではないか?
という深い猜疑(但し、現代詩文庫版は「ネジ」である)と、
初出復元しても残る三つの「私」も実は「俺」なのではないか?
という不審があるということである。「障子のある家」をお持ちの方は是非、この私の疑義にお答え戴けると、恩幸、これに過ぎたるはないのだが……。]
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