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2016/11/19

諸國百物語卷之五 十 豐前の國宇佐八幡へ夜な夜な通ふ女の事

 

     十 豐前の國宇佐八幡へ夜な夜な通ふ女の事



Sasahatiman

 ぶぜんの國うさ八まんの宮より、半みちほどきたにあたりて、廟所(びようしよ)あり。此所へ、よなよな、へんげの物きたるとふうぶんしければ、ある夜、わかきものどもあつまり、

「こよひ行きて見とゞけんものあらんや」

と云ふに、だれも、

「ゆかん」

と云ふものなし。そのなかにぶへんのものありて、

「それがし、まいらん」

とて、かうげんはきちらし、かの所へたゞ一人ゆき、もりのこかげにたちやすらい、へんげの物をまちゐける。くらさはくらし、雨はふり、物すさまじさはかぎりなし。かゝる所へ十町ばかりさきより、ともしび、かすかに宙をとんできたる。すはやと思ひ、はゞきもと、くつろげ、ちかづくをまちゐければ、しだいに火ちかくなり、四五けんほどになりてみれば、はたちばかりの女、身には經かたびらをき、たけなるかみをさばき、かしらにかな輪をいだき、火をとぼし、足には、たかきあしだをはきて來たる。かのもの、うつてすてん、とおもひしが、いやいや、しだいを見とゞけん、とをもひ、かたはらに立ちより、うかゞひゐければ、この女、火(ひ)屋のうちへいり、死人(しにん)をやきたる火にて、なにやらん、しばしやきて、さて又、もとの道へ、かへる。かのもの、なにゝても、こゝにてくみとめん、とおもひ、うしろより、かの女を、むずと、いだく。そのとき、かの女、

「さても、かなしや。大ぐはん、むなしくなりけるよ」

と云ふ。かのもの、ふしぎにおもひ、

「さては、にんげんにてありけるよ。しさいをかたれ」

といゝければ、女、申すやう、

「はづかしながら、わが男、いかなるゐんぐわにや。さんびやうをわづらひ、いろいろりやうぢをつくせども、しるしなし。それがし、あまりのかなしさに、宇佐八まん、七日だんぢきして、いのりければ、七日まんずるあかつき、八まん、まくらがみにたち給ひ、

『千日があいだ、丑のときに墓所(むしよ)にゆき、死人をやきたる火にて餅をあぶり、くわせよ。かならず、さんびやう、へいゆすべし』

と、あらたにじげんましましければ、それよりこのかた、をしへのごとく、まい夜この廟所にかよふ事すでに三年(みとせ)におよべり。今、四、五日にて、大ぐはん、みて申し候ふに、此ぐはん、むなしくなす事の、かなしく候ふ。たゞ御たすけ下され候へ。へんげのものにては、なく候ふ」

と云ふ。かのもの、きゝて、

「さては、いよいよ人間にまがいなし。たすけてとらせん。さりながら、やどにかへりてのしるしのため」

とて、この女のかみを一つかみきつてとり、それよりやどにかへり、かのわかものどもにあひ、

「へんげの物をとらへ、かうさんさせ、いのちのかはりに、かみをきり、かへり候ふ」

とて、なげいだしければ、人々おどろきけると也。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「宇佐八まんよなよな通女の事」(「よなよな」の後半は恐らく踊り字「〱」の潰れたもの)。

「豐前の國」現在の福岡県東部及び大分県北部に相当する。

「宇佐八幡」現在の大分県宇佐市南宇佐にある宇佐神宮。全国に約四万四千社余りある八幡宮の総本社。石清水八幡宮・筥崎宮(又は鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。主祭神は八幡大神(はちまんおおかみ:誉田別尊(ほむたわけのみこと)=応神天皇・比売大神(ひめのおおかみ:宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)・神功皇后 (じんぐうこうごう)。

「半みち」一里の半分。約二キロメートル。現在の宇佐市高森新村地区に相当するが、寺院のようなものは見当たらない。或いは古い時代の墓域がこの辺りあったものか。

「廟所」墓地。

「ふうぶん」「風聞」。

「ぶへんのもの」「武邊の者」。

「それがしまいらん」

「かうげんはきちらし」「高言吐き散らし」。

「もりのこかげにたちやすらい」「森の木蔭に立ち憩(やすら)ひ」。歴史的仮名遣は誤り。

「くらさはくらし」殊の外に暗く。

「十町」約一キロメートル。

「はゞきもと、くつろげ」「はばきもと」は「鎺本」「鎺元」などと書き、刀剣の「鎺金(はばきがね)」のある部分。「鎺金」は、人が脛巾 (はばき:旅行や作業などの際に脛(すね)に巻きつけて紐で結び、動きやすくした保護具。古くは藁や布で作った。後世の脚絆(きゃはん)に当たる)を穿いた形に似るところから、刀剣などの刀身が鍔 (つば) に接する部分にはめる鞘口(さやぐち)形の金具。刀身が鞘から抜け落ちないようにするためのものを言う。それを「くつろげ」るとは、緩めておき、何時でも抜刀出来るようにすることを指す。

「四五けん」約七・三~九・一メートル。

「經かたびらをき」「經帷子(きやうかたびら)を着」。「經帷子」は仏式で死者を葬る際に死者に着せる着物。薄い白麻などで作り、衽(おくみ:本来は着用の実用性から左右の前身頃(まえみごろ:和服で胴体の前の部分を被うもの)端に付け足した半幅の布)や背に名号・題目・真言などを書く。「寿衣(じゅい)」「経衣(きょうえ)」などとも称する。

「たけなるかみをさばき」「丈なる髮を捌(さば)き」。身の丈にも及ばんとする長い髪を結い結ぶことなく、捌き散らし。

「かしらにかな輪をいだき」「頭に鐡輪を抱き」。「鐡輪」は囲炉裏などで燠の上に挿して用いる鉄の輪に鉄の脚のついた五徳のこと。「抱き」は「戴(いただ)き」の方がよい。或いは脱字かも知れぬ。言わずもがな、挿絵の通り、所謂、専ら恨みの怨念を祈る女の執念として認知されるばかりとなってしまった「丑の刻参り」の奇怪な姿である。但し、これを女が恨む敵(一般には女敵(めがたき))を呪い殺す仕儀の作法として定着させたのは、江戸期の大衆風俗ではあった。ウィキの「丑の刻参り」によれば、『「うしのときまいり」という言葉の方が古い』。『古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。後に呪詛する行為に転ずる』。『京都市の貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考察される』。『また、今日に伝わる丑の刻参りの原型のひとつが「宇治の橋姫」伝説』『であるが、ここでも貴船神社がまつわる。橋姫は、妬む相手を取殺すため鬼神となるを願い、その達成の方法として「三十七日間、宇治川に漬かれ」との示現を受けたのがこの神社である』。『それを記した文献は、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本』「平家物語」の『「剣之巻」であるが、これによれば、橋姫はもとは嵯峨天皇の御世の人だったが、鬼となり、妬む相手の縁者を男女とわず殺してえんえんと生き続け、後世の渡辺綱に一条戻橋ところ、名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされ、その腕は安倍晴明に封印されたことになっている。その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式は次のようなものである』(以下の部分引用は私がオリジナルに引いた)。

――明神、哀れとや覺しけん、「誠に申す所不便なり。實(まこと)に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀨に行きて三七日漬れ。」と示現あり。女房、悦びて都に歸り、人なき處にたて籠りて、長なる髮をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顏には朱を指し、身には丹を塗り、鐵輪を戴きて三つの足には松を燃やし、續松(ついまつ:松明(たいまつ)と同義)を拵へて兩方に火を付けて口にくはへ、夜更け、人定りて後、大和大路へ走り出で、南を指して行きければ、頭より五つの火燃え上り、眉太く、鐵漿黑(かねぐろ)にて、面赤く、身も赤ければ、さながら、鬼形(きぎやう)に異ならず。これを見る人、肝魂(きもたま)を失ひ、倒れ臥し、死なずといふ事、なかりけり。斯の如くして宇治の河瀨に行きて、三七日漬りければ、貴船の社の計(はから)ひにて、生きながら、鬼となりぬ。宇治の橋姫とは、これなるべし。――

『この「剣の巻」異本ですでに橋姫には「鉄輪(かなわ)」(五徳に同じ)を逆さにかぶり、その三つの足に松明をともすという要素があるが、顔や体を赤色に塗りたくるのであり白装束ではない。室町時代にこれを翻案化した能楽の謡曲「鉄輪」においても、橋姫は赤い衣をつけ、顔に丹を塗るなど赤基調が踏襲され』、『白装束や藁人形、金槌も用いていはいないが』、『祓う役目の陰陽師晴明の方は、「茅の人形を人尺に作り、夫婦の名字を内に籠め』」といった祈禱を行う。『よって現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、この陰陽道の人形祈祷と丑の刻参りが結びついたためという見解がある』とする。以下、「源流」こ項。『人形を用いた呪詛自体はかなり古くから行われており』、「日本書紀」用明天皇二(五八七)年四月の条に、『「中臣勝海連(なかとみのかつみのむらじ)が家(おのがいえ)に衆(いくさ)を集えて、大連をいたすく。ついに太子彦人皇子の像を作りて、まじなう」と記され、古墳時代から人形を媒体とした呪いがあった。ただし、この時点では、まだ像を刺す行為は確認できない』。『考古学資料の遺物として、奈良国立文化財研究所所蔵の』八『世紀の木製人形代(もくせい ひとがたしろ)があり、胸に鉄釘が打ちこまれた状態の物も出土している。木簡を人形に切り取り、墨で顔が描かれている。丑の刻参りと共通する呪殺を目的とした形代だったと考えられている』。『この遺物からも、人形に釘を打ち込み、人を呪うと言った呪術体系自体は古代(奈良時代)からあった事が分かる。研究者によっては、鉄釘自体が渡来文化であり、こうした呪術体系自体が大陸渡来のものではないかとしている。この他にも類例として、島根県松江市タテチョウ遺跡から出土した木札には、女性が描かれており、服装から貴人女性と見られるが』、三『本の木釘が打ちこまれていた。その位置は、両乳房と心臓に当たり、明らかに呪殺目的であった事が分かる』とある。

「たかきあしだをはきて」「高き足駄を履きて」。「高き足駄」は高下駄。挿絵参照。

「うつてすてん」「討つて捨てん」。

「しだいを見とゞけん」「次第を見屆けん」。「まずは、この変化(へんげ)の物、何をどうするかを見届けてから、討ち果すこととするが肝要じゃ。」。

「をもひ」「思(おも)ひ」。歴史的仮名遣は誤り。

「火(ひ)屋」死者を焼くための火葬場。本邦では仏教の普及とともに、平安以降に既に皇族・貴族・僧侶・浄土宗の門徒衆などで火葬が広まっている。それでも近代に至るまで土葬の方が一般的であったのは、火葬自体に時間と労力・費用がかかったからとも言われる。

「かのもの、なにゝても」彼奴(きゃつ)が、物の怪であろうが、生きた人間であろうが、何物(者)であろうとも。

「こゝにてくみとめん」「この瞬間に組み止めるが好機じゃ!」。

「大ぐはん」「大願」。

「わが男」夫。

「いかなるゐんぐわにや」「如何なる因果にや」。

「さんびやうをわづらひ」「三病を患ひ」。「三病」は「日葡辞書」に三つの難病として「癩(らい)」=「ハンセン病」・「くつち(くっち)」・「てんがう(てんごう)」と載せる。この内、「くっち」は癲癇(てんかん)=「癲癇発作をきたす広義の神経疾患や症候群」と思われれ、「てんごう」は「癲狂」で「発狂すること」=「広義の重度の精神病」を指すようである(「てんごう」も「癲癇」とする説もある)。ここではさらに狭義の謂いで、「癩病」=「ハンセン病」のことを指している。抗酸菌(マイコバクテリウム属Mycobacteriumに属する細菌の総称。他に結核菌・非結核性抗酸菌が属す)の一種である「らい菌」(Mycobacterium leprae)の末梢神経細胞内寄生によって惹起される感染症。感染力は低いが、その外見上の組織病変が激しいことから、洋の東西を問わず、「業病」「天刑病」という誤った認識・偏見の中で、今現在まで不当な患者差別が行われてきている(一九九六年に悪法らい予防法が廃止されてもそれは終わっていない)。歴史的に差別感を強く纏った「癩病」という呼称の使用は解消されるべきと私は考えるが、何故か、菌名の方は「らい菌」のままである。おかしなことだ。「ハンセン菌」でよい(但し、私がいろいろな場面で再三申し上げてきたように、言葉狩りをしても意識の変革なしに差別はなくならない)。

「りやうぢをつくせども」「療治を盡せども」。

「しるし」「驗」。効果。

「だんぢき」「斷食」。

「七日まんずるあかつき」「七日滿ずる曉」。丁度、お宮参りを始めてそこで丸七日目が満てるという暁方。

「丑のとき」午前二時。

「くわせよ」病人である夫に「食はせよ」。ハンセン病にはかなり古くから近代に至るまで民間治療の闇の部分に於いて、人肉や人の生肝・嬰児やミイラ化した人の遺体の一部が特効薬として信じられた。

「へいゆ」「平癒」。

「あらたにじげんましましければ」「新たに示現ましましければ」。はっきりと眼前にお姿をお現わしになられてお告げ(教え)をお下しになられたので。

「をしへのごとく」「教への如く」。

「大ぐはん、みて」「大願、滿て」。

「むなしくなす事」言わずもがな乍ら、こうした「丑の刻(時)参り」にあっては、その姿を他者に見られると、その瞬間に総ての積み上げた効果が失われるとされる。

「まがいなし」「紛ひ無し」。歴史的仮名遣は誤り。間違いない。

「やどにかへりてのしるしのため」「宿へ歸りての證(しるし)の爲」。

「一つかみきつてとり」「一摑み切つて取り」。

「かうさん」「降參」。]

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