諸國百物語卷之五 十九 女の生靈の事付タリよりつけの法力
十九 女の生靈の事付タリよりつけの法力(ほふりき)
相模の國に信久(のぶひさ)とて高家(かうけ)の人あり。此奧がたは土岐玄春(ときげんしゆん)といふ人のむすめ也。かくれなきびじんにて、信久、てうあひ、かぎりなし。こしもとにときわといふ女あり。これも奧がたにおとらぬ女ばうなりければ、信久、をりをり、かよひ給ふ。ときはは、それよりなをなを、奧がたに、よく、ほうこういたしける。あるとき、奧がた、うかうかとわづらひ給ひて、しだひにきしよくおもりければ、信久、ふしぎにおもひ、
「もしは、人のねたみもあるやらん」
とて、たつとき僧をたのみて、きとうをせられければ、僧、經文をもつて、かんがへて申しけるは、
「此わづらひは人の生靈、つき申したり。よりつけといふことをし給はゞ、そのぬしあらはれ申べし」
と云ふ。信久、きゝ給ひて、
「よきやうに、たのみ申す」
とありければ、僧、十二、三なる女を、はだかにして、身うちにほけ經をかき、兩の手に御幣をもたせ、僧百廿人あつめて法花經をよませ、病人のまくらもとに檀をかざり、らうそく百廿丁とぼし、いろいろのめいかうをたき、いきもつかずに經をよみければ、あんのごとく、よりつきの十二、三なる女、口ばしりけるほどに、僧は、なをなを、ちからをゑて、經をよみければ、そのとき、ときは、檀のうへにたちいでたり。僧のいわく、
「まことのすがたをあらはせよ」
との給へば、ときは、ゑもんひきつくろひ、うちかけをしていで、うへなる小そでをばつとしければ、百廿丁のらうそく、一どにきへけるが、火のきゆると一度に、奧がたも、むなしくなり給ふ。信久、むねんにおもひ、かのときはをひきいだし、奧がたのついぜんにとて半ざきにせられけると也。
[やぶちゃん注:「信久」不詳。本話柄の時代設定は最後の私の注を参照されたい。
「高家(かうけ)」由緒正しき家系の家。
「土岐玄春」不詳。医師っぽい名ではある。
「てうあひ」「寵愛」。
「こしもとにときわといふ女あり」「腰元に常盤(ときは)といふ女有り」。歴史的仮名遣は誤り。
「をりをり、かよひ給ふ」しばしば常盤の部屋にお通いになっておられた。これは必ずしも秘かにではなく、正妻も承知の上のことであったかも知れぬが、話柄の展開上は、不倫事としないと全く面白くない。
「これも奧がたにおとらぬ」美人の、である。
「うかうかと」心が緩んでぼんやりしているさま、或いは、気持ちが落ち着かぬさまを指し、ここは心身の状態がすこぶる不安定なことを言っていよう。
「しだひにきしよくおもりければ」「次第(しだい)に氣、色重りければ」。次第次第に病「ねたみ」「妬み」。
「たつとき」「尊き」。
「きとう」「祈禱(きたう)」。歴史的仮名遣は誤り。
「僧、經文をもつて、かんがへて」僧が経文を唱えてて、それに対する病者の様子(反応)などを以って勘案してみた結果として。
「よりつけ」「依付(よりつけ)」。患者に憑依している物の怪を、一度、別な「依代(よりしろ)」と呼ばれる人間に憑依させ、それを責め苛み、而して正体を白状させた上で調伏退散させるという呪法。
「そのぬし」「其の主」。憑依して苦しめている物の怪。この場合は実際に現世に生きていて生霊を飛ばしている(意識的にか無意識的には問わない)人物。
「十二、三なる女」依代には若い処女の少女が向いているとされた。
「身うち」全身。
「ほけ經」「法華經」。
「御幣」「ごへい」。
「檀」密教で呪法に用いる護摩壇。
「らうそく」「蠟燭」。
「めいかうをたき」「名香を焚き」。
「いきもつかずに」息をしないかの如く、一気に。
「あんのごとく」「案の如く」。
「口ばしりける」その生霊が憑依して不断の調伏の祈禱によって依代から逃げ出すことも叶わず、苦しんで思わず、生霊自身が依代の少女の口を借りて、苦悶の言葉を吐き始めたのである。
「そのとき、ときは、檀のうへにたちいでたり」私は正直、この箇所は、上手くない、と思う。せめて、
其の時、女の樣なるものの苦しめる姿(かたち)、朧(おぼ)ろけに檀の上に立ち出でたるが如く、幽かに見えたり
としたい。さすればこそ、「まことのすがたをあらはせよ」が生きてくると言える。さらに言っておいくと、迂闊な読者の中には、下手をすると、ここに実際の腰元の常盤がどたどたと登ってきてしまうというトンデモ映像を想起してしまうからでもある。
「ときは、ゑもんひきつくろひ、うちかけをしていで、うへなる小そでをばつとしければ、百廿丁のらうそく、一どにきへけるが、」ここも「常盤」を出してしまっては、B級怪談である。ここは例えば、
かの面影(おもかげ)に見えし女、衣紋(えもん)引き繕ひ、打掛(うちかけ)をして出で、上なる小袖を、
「ばつ!」
としければ、百二十丁の蠟燭、一度に消えけるが、
としたい(複数箇所の歴史的仮名遣は誤り)。「打掛」帯をしめた小袖の上に羽織る丈の長い小袖で、武家の婦人の秋から春までの礼服であったが、江戸時代には富裕な町家でも用いられた。この蠟燭が一斉に消えるシーンは圧巻! 撮ってみたい! いやいや! それ以上に本話が語り終えたその時、九十九本目の蠟燭が消されることにも注意されたい! 残りは一本! いよいよ怪異出来(しゅったい)まで残り、一話!
「むねんにおもひ、かのときはをひきいだし」「無念に思ひ、かの常盤を引き出だし」。
「ついぜん」「追善」。
「半ざき」「半裂き」。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注に、『罪人の手足に二頭、または四頭の牛をしばりつけ牛を走らせて、体を裂く処刑。室町時代の処刑法の一つ』とする。こういう注を高田氏はわざわざ附しているということは、本話の時制を室町時代まで遡らせているということになる。]