甲子夜話卷之二 51 御坊主某、年老て松平乘邑の容貌を語る事
2―51 御坊主某、年老て松平乘邑の容貌を語る事
松平乘邑は述齋の實祖父なれば、その容儀等いかなる人にやと尋しに、述齋は實父晩年の子なれば、時世大に違ひ、聞傳ふる人さへ少かりしとぞ。西城御開のとき、政府の使令に供する坊主某【名忘】、年老て八十に餘れる者の有しが、是が申たるは、君は左近將監殿の御孫なるが、彼殿は御存も有まじ。某は少年にて御老中附を勤し故、左近將監殿の、正しく御容貌をも記臆せり。御長は常人より矮く御小袖のゆきもたけも短くして臂も見ゆべき計、御袴より足袋の間少し肉色見えけるとぞ。君は外に似玉ふ所なし。但御眼中のきらめく所、いかにも御孫よと存らるゝと云けるとなり。乘邑の人體はこれにて想像せらる。
■やぶちゃんの呟き
「松平乘邑」「まつだいらのりさと」老中。複数回既出既注。例えばここを参照。
「述齋」昌平坂学問所長官林述斉(はやしじゅっさい)。複数回既出既注。例えばここを参照。
「實祖父」林述斉は林家への養子で、実父は美濃国岩村藩主松平乗薀(のりもり)であり、彼はその三男松平乗衡として生まれた。乗薀の実父が乗邑である。
「述齋は實父晩年の子」乗薀は享保元(一七一六)年生まれで、天明三(一七八三)年死去、林述斉は明和五(一七六八)年生まれであるから、乗薀満五十二の時の子である。
「西城御開のとき」不詳。大阪城の開城(慶長二〇(一六一五)年の「大坂夏の陣」)や江戸城西の丸(西城とも呼称する)を考えたが、その時に幕府伝令役を担当した茶坊主としても、林述斉が対面出来る「八十に餘れる者」ぐらいでは年齢が全く足りない。そもそもそれらでは直ぐ後の乗邑の老中附の「少年」と齟齬する。識者の御教授を乞うものである。
「左近將監」松平乗邑の官位。
「某は」「それがしは」。
「御長」「おんたけ」。
「矮く」「ひくく」。
「ゆきもたけも」「裄も丈も」着物の背縫いから肩先を経て袖口までの長さを言う「肩ゆき」もその袖の縦の長さも。
「臂」「ひじ」。
「計」「ばかり」。
「君は外に似玉ふ所なし」見た目、物理的には、このちんちくりん状態のみしか林述斉には似ていないというのである。事実としても如何にも無礼千万ではないか!? だからこそ次の眼光の鋭きことを述べて、帳消しとしているのかも知れぬ。
「存らるゝ」「ぞんじらるる」。
「乘邑の人體はこれにて想像せらる」寧ろ、述斉のそれだべ?!
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