譚海 卷之二 常州鹿島參詣の事
常州鹿島參詣の事
○常陸息洲(いきす)より鹿島へわたる舟路(ふなぢ)の中に、八丈竹とて珍敷(めづらしき)竹(たけ)生(おひ)たる島あり。其竹は皆八ふしより外(ほか)なるものなきゆへかくいひならはしたるとぞ。舟中より見て過(すぐ)る所なれば、ある僧鹿島參詣の時、わざと舟さしよせて島へのぼらんとせしに、人跡罕(まれ)なる草莽の中にてためらひたる所、赤きへびのかしら火入(ひいれ)程にあるが、さし出(いで)て追來(おひく)るまゝ、驚(おどろき)て舟に乘(のり)漕去(こぎさり)たり。兩日は頭痛して心地なやましく覺(おぼえ)たり。見合(みあひ)たる時蛇毒にあたりたるにやと語りぬ。赤き蛇にて斑文(はんもん)あるもの也といへり。右海路(かいぢ)夜泊(やはく)の所(ところ)波のひゞき鈴の聲にたぐへて、よもすがら聞へければ、そのよしを尋(たづね)しに、此海底には神代(かみよ)の鈴とて水中の巖(いはを)にかけあり、一ところならず風波(ふうは)の便宜に隨(したがひ)て、かく時々聞え侍ると、舟人かたりけるとぞ。又鹿島の宮より東の海濱は、高天ケ原とて誠(まこと)日本の地の極東也。皆々燒土(やけつち)の樣に黑くかたまりたる砂石のみにて人家なし。五更已前行向(ゆきむかひ)て日輪の出(いづ)るを拜するに、その光景富士絕頂にてみるにことならずとぞ。此邊つゝじの大木多し、花の比(ころ)は滿山に照耀(しやうき)して美觀也。但(ただし)こゝのつゝじは世にいふきりしま也、緋紅(ひこう)成(なる)物にはあらず丹紅(たんこう)色(しよく)成(なる)ものにて、別種なるものとぞ。
[やぶちゃん注:「常陸息洲」現在の茨城県神栖(かみす)市息栖(いきす:グーグル・マップ・データ)。東国随一の古社鹿島神宮の南八キロほどの位置にあり、ここには息栖神社があって、鹿島神宮と千葉県香取市にある香取神宮を合わせて東国三社と呼ぶ。「息栖」とは「沖洲(おきす)」の転訛で、香取海(かとりのうみ:古代の関東平野東部に湾入し、香取神宮の目前に広がっていた内海を指す。江戸時代前まで下総・常陸国境周辺に広大に存在し、鬼怒川及び小貝川・常陸川)が注いでいた。その後、河川が運ぶ土砂によって次第に砂洲化していったが、しばしば洪水で決壊し、現在も複雑な水路を残す。当時、息栖から鹿島神宮へ向かうには、その後身として自然が形成した淡水の外浪逆浦(そとなさかうら)を渡る必要があった)に浮かぶ沖洲に祀られていたことに由来するとされる。
「八丈竹」それが植生するという島とともに不詳。
「八ふし」「八節」。どんなに成長しても総て節が八つしかない、という意味であろう。後述の変事(奇体な真っ赤な鎌首を持った蛇が守護する)から考えると、神代の事柄に纏わる神聖な竹なのであろうが、不詳。植物学的には、そのような竹はちょっと考えにくいと私は思う。
「罕(まれ)なる」「稀なる」。
「草莽」音なら「サウマウ(ソウモウ)」であるが、或いは「くさむら」と当て読みしているかも知れぬ。
「火入」タバコに火をつけるための火種を入れておく器を「火入れ」と言うが、ここは或いは、その火種ほどに頭部が真っ赤な色をした蛇の謂いか。
「兩日」二日ほど。
「見合(みあひ)たる時」僧が上陸しよう(そしてこっそり神聖な八節の八丈竹を採取しよう)とした際にその異蛇の眼と向かい合ってしまった瞬間に。
「毒」目に見えぬ毒気(どくけ)。
「赤き蛇にて斑文(はんもん)あるもの」これは普通に有毒蛇であるヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii である。
「かけ」「缺」。かけた部分。
「一ところならず風波(ふうは)の便宜に隨(したがひ)て」それが一ヶ所ではなく、数か所存在し、その折々の海上の風の強さ、それによって生ずる波の大きさの違いや、それらが海底のその欠けのある岩礁に与える、水圧や海流の動きの違いによって。
「鹿島の宮より東の海濱は、高天ケ原とて誠日本の地の極東也」「高天ケ原」は「たかまがはら」。ウィキの「鹿島神宮」には、『鹿島神宮の東方の高天原には「鬼塚」という全長』八十メートル『の古墳がある』、という叙述がある。そもそもが、この鹿島神宮は「常陸国風土記」にも、その『由緒が記載されており、「香島の天の大神」』(かしまのあめのおおかみ:『この神は天孫の統治以前に天から下ったと』する古い面白い神である)『が高天原より香島の宮に降臨したとしている』のである(下線太字はやぶちゃん)。
「五更」午前三時~午前五時頃或いは午前四時~午前六時頃。寧ろ、季節総てに通用する日の出前の曙の時刻と考えればよい。
「照耀」照り耀く。漢語としても、朝日が大地虚空を照らすさまによく用いる熟語である。
「きりしま」霧島躑躅。ビワモドキ亜綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属キリシマツツジ Rhododendron × obtusum。別名、「霧島」「本霧島」「佐田躑躅」などとも呼ぶ。常緑低木で四月から五月頃に小振りの花を開花させる。色は紅色乃至桃色から白。
「緋紅」鮮やかなくっきりとした赤。クリムゾン・レッド。これ。
「丹紅色」キリシマツツジの中に見られる中間色である薄い薔薇色、所謂、淡紅色であろう。これ。
「別種」何に対して言っているか、やや戸惑うが、朱色が主調であり、最も広汎に本邦に植生するものと考えるなら、ツツジ目ツツジ科ツツジ属ヤマツツジ Rhododendron kaempferi であろう。]

