譚海 卷之二 弓つるの音幷二またのおほばこ鏡面怪物の事
弓つるの音幷二またのおほばこ鏡面怪物の事
○狐狸のたぐひは弓(ゆ)つるの音を殊に嫌ふ也。小兒などの寢おびれたるをまじなふにも蟇目(ひきめ)の音よし、但(ただし)弓(ゆみ)なき時は竹に弦(つる)かけて引(ひき)ならしてもよき也。又ある弓術の書の傳に、車前(をうばこ)の實の二また成(なる)あらば、蔭ぼしにして大切にとり收(をさめ)をくべし、それを燈心(とうしん)のかわりにして燈(ひ)を點ずる時は、恠物(あやしのもの)かたちをかくす事あたはずと、ひきめの書にありといへり。また八月十五夜明月に向(むかひ)て、水晶にて取(とり)たる水を持(もち)て、鏡のおもてに恠物の顏を書(かき)、鏡をとぎあげをさめをく、うちみる時は常の鏡の如くなれども、向ふ時は人の顏そのかける恠物のかほに成(なり)うつりてみゆるといへり。
[やぶちゃん注:目次の「怪物」(これも私は「あやしのもの」と訓じておく)の「怪」はママ。
「おほばこ」「車前(をうばこ)」(歴史的仮名遣は前者が正しい)車前草。相撲取り草。ほれ! 小さな時、やった、あれだよ! 地味なぶつぶつした花のついた柄を根本から取って、二つ折りにし、二人で互いに引っかけて引っ張り合い、どちらが切れないかを競ったあの「おおばこ相撲」の、シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ Plantago asiatica だよ! ウィキの「オオバコ」によれば、風媒花で、春から秋かけて一〇~三〇センチの『長さの花茎を出し、花は花茎の頂に長い緑色の穂に密につき、白色もしくは淡い紫色の小花が下から上に向かって順次咲く』。萼(がく)は四枚、花冠はロート状で四裂する。『雌性先熟で、雌しべが先にしおれてから、長くて目立つ白い雄しべが出る』。『果実は蒴果(さくか)』(雌しべの中が放射状に複数の仕切りで分けられ、果実が成熟した時は、それぞれの部屋ごとに縦に割れ目を生じるもの。スミレなどがそれ)『で楕円形をしており、熟す』と、『上半分が帽子状に取れて、中から』四~六個『の種子が現れる』。『種子は果実からこぼれ落ちるほか、雨などに濡れると』、『ゼリー状の粘液を出し、動物など他のものに付いて遠くに運ばれる』とある。また、『オオバコの成熟種子を車前子(しゃぜんし)、花期の全草を天日で乾燥したものを車前草(しゃぜんそう)と』呼称し、これはれっきとした『日本薬局方に収録された生薬で』あり、『葉だけを乾燥させたものを車前葉(しゃぜんよう)という。成分として、花期の茎と葉に、配糖体のアウクビン、ウルソール酸を含み、種子にコハク酸、アデニン、コリン、脂肪酸を含む』。『種子、全草とも煎じて用いられ、服用すると咳止め、たんきり、下痢止め、消炎、むくみの利尿に効用があるとされ』。『また、葉も種子も熱を冷ます効用がある』とある。
「鏡面怪物」所謂、魔鏡であるが、これでは何故、それが魔境になるのか、よく判らぬ。作鏡の際に鏡面構造自体に作為を施した確信犯のそれについては、ウィキの「魔鏡」を参照されたい。
「弓(ゆ)つるの音」邪気を払う呪(まじな)いとして弓の弦を鳴らす「絃打(つるう)ち」「鳴弦(めいげん)」である。古くは天皇の入浴・病気や皇子の誕生などの際に行われ、後には(教え子諸君は授業の「源氏物語」の「夕顔」でもやったように)貴族や武家に於いて、日常の夜間警護などでも鳴らされた。
「小兒などの寢おびれたる」小児の「夜泣き」や「夜驚症」(所謂、「寝ぼけ」の激しいものであるが、夢遊病様状態を呈する場合もある)のことであろう。
「蟇目」は朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったもの。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際、この穴から空気が入って独特の音を発し、それが妖魔を退散させるとも考えられた。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。ここは従って、弓弦(ゆづる)の音ではなく、飛ばす、その鏑矢の発する音を指しているので注意が必要。
「車前(をうばこ)の實の二また成(なる)あらば」オオバコの実はかなり小さいし、その二股になった奇形種子を探すのは、かなり大変。しかし、そういう稀なものだからこそ、強い呪力を持つと考えたんだろうなぁ。
「ひきめの書」そうした鳴弦や蟇目と同様の呪力を持つものとして参考に添えられているのであろう。なお、検索中、古式の蟇目の正式な作法について詳細に記した驚くべき古記録「蟇目之書」(PDF)なるものを発見した! 必見!! 必ダウンロード!!!
「水晶にて」水晶で出来た容器。これしかし、水晶自体で鏡面を怪物の顔に削らない限りは、魔鏡にはならぬと思うのだが?]
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