へんな季節 尾形龜之助
へんな季節
次の日は雨。その次の日は雪。その次の日右の眼ぶたにものもらひが出來た。
午後、部屋の中で錢が紛失した、そして、雨まじりの雪になつて二月の晦日が暮れた。
少しでも拂らはふと思つてゐた肉屋と酒屋はへんに默つて歸つて行つた。
私は坐つてゐれないのでしばらく立つてゐた。ないものはないのであつた。盜つたことも失くなつたことも、つまりは時間的なことでしかないやうだ。
天井に雨漏りがしかけてきて、雨がやんだ。
次の日いくぶん眼ぶたの腫がひいてゐた。
朝のうちに陽が一寸出てすぐ曇つた。
庭の椿が咲きかけてゐた。
湯屋へ行くと、自分と似たやうな頭をした男が先に來て入つてゐるのだつた。晝の風呂は湯の音がするだけで、いつかうに湯げが立たない。そしてつゝぬけに明るい。誰かゞ入つて行つたまゝの乾いた桶やところどころしかぬれてゐないたゝきが、その男とたつた二人だけなので私の步くのにじやまになつて困つた。私よりも若いのに白く太つてゐるので、湯ぶねを出ると桃色に赤くなつたりするのだつた。
湯屋を出ると、いつものやうに私のわきを自轉車が通つた。
緣側に出て頸にはみ出してゐる髭をつんでゐると、友達が訪づねて來た。そして、金のない話から何か發明する話になんかなつた。
友達が歸ると、又友達がやつて來た。十二時過ぎて何日目かで風呂に入るつもりで出かけて來たのが遲くなつたと言つて、歸りに手拭と石鹼をふところから出して見せた。
あくびが出て、糊でねばしたやうに頭の後の方が一日中なんとなく痛かつた。一日が、ながい一時間であつたやうな日であつた。
どしや降りになる雨を床の中で聞いてゐると、小學校にゐた頃の雨の日の控室や、ひとかたまりになつて押されて二階から馳け降りる階段の跫音が浮かんだ。寢てゐる足が重く、いくども寢がへりをして眠つた。
風が吹いて、波頭が白くくづれてゐる海に、黑い服などを着た人達が乘つてゐるのに少しも吃水のない、片側にだけ自轉車用車輪をつけてゐる船が、いそがしく砂地になつてゐる波打際へ着いたり沖の方へ出て行つたりしてゐるのを見てゐると、水平線の黑い雲がひどい勢ひでおほいかぶさつてくるのであつた。私はその入江になつた海岸の土堤で、誰か四五人女の人なども一緒に蒲團をかぶつて風を避けてゐた。そしてしばらくして、暗かつた蒲團の中から顏を出すと、もうそこには海も船もなくなつてゐて、土堤にそつて一列に蒲團が列らんでゐるのであつた。
明け方、小いさな地震が通つて行つた。
雨はまだ朝まで降りつゞけてゐた。櫻草の鉢をゆうべ庭へ出し忘れてゐた。
朝の郵便は家賃のさひそくの葉書を投げこんで行つた。
もうひと頃ほど寒くはなくなつた。
新聞は、雨の街を人力車などの走つてゐる寫眞をのせてゐた。
夕飯にしやうかどうしやうかと思つてゐると、――暖かいには暖かいが、と隣家のふたをあけたまゝのラヂオが三味線をひいた後天氣豫報をやり出した。
私は便所に立つて、小降りのうちに水をくんだ。そして、鹽鮭と白菜の漬物を茶ぶ臺に揃へて、その前にきちんと坐つた。
(暖かいには暖たかいが、さて連日はつきりしない、北の風が吹いて雨が降りつのる。この天候は日本の東から南の海へ橫たはつてゐる氣壓の低い谷を、低氣壓がじゆずのやうに連らなつて進んでゐるためで、まだ一兩日はこのまゝつゞく)――と、ラヂオは昨日と同じことを言ふのであつた。
[やぶちゃん注:太字「じゆず」は底本では傍点「ヽ」。「拂らはふ」「糊でねばしたやうに」(「のばす」の方言か?)「おほい」「ゆうべ」「さひそく」「夕飯にしやうかどうしやうか」(二箇所の「しやう」)「暖かいには暖たかいが」(後者の送り仮名)は総てママ。
なお、現代文庫版(旧全集準拠版)では、「緣側に出て頸にはみ出してゐる髭をつんでゐると」の「髭」は「髪」(正字は「髮」)となっている。底本新全集の秋元氏の補正と思われるが、果たしてこの補正は本当に正しいのだろうか? 私にはやや疑問が残る。]

