谷の響 四の卷 十四 閏のある年狂人となる
十四 閏のある年狂人となる
福館村某の妻、閏月のある年はかならず狂人となりて經年やまず、明る正月より本にふくして全く常の人なりき。さてその狂のおこれるときは家に居ることなく、何處となくへめぐりて野山及林の内或は祠なとに伏し、飢るときは何方へも往て食を乞ひ、いろいろのたわごとをいふて歌ひつ舞ひつ啼つ笑ひつして、おかしきこともいと多かり。されど遠くは走らず、一二里の近きあたりにのみさまよへり。はじめ狂病の起りしとき、子供ら及夫(をつと)なる者もさまざま制せる由なれど、つやつや聽かで狂ひ出にしかば、つなぎ置くこともならず、又人のわづらひをなすにもあらねば今はたゞよるべきと思はるゝ家々の人を賴みおきて、時々謝儀を贈りしとなり。所の人これを福館村の閏馬鹿とよべり。嘉永七寅年も閏年ありて、專ら狂ひ歩行しを岡本三彌といへる人、したしく見てその由緣をきけるとて語りしなり。
[やぶちゃん注:「閏のある年」ウィキの「閏月」より引く。『太陰暦は、空の月の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを』十二回繰り返すことで十二ヶ月、即ち。『「一年」としている。しかしこの月の満ち欠け(平均朔望月=約29.530 589日)による12ヶ月は約354.3671日であり、太陽暦の一年(約365.2422日)とくらべて約十一日ほど『短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると暦と実際の季節が大幅にずれてしまう。このずれは11×3=33日』、つまり、三年間で一ヶ月分ほどになる。『そこで日本の太陰太陽暦ではこの太陰暦の』十二ヶ月に約三年に一度、一ヶ月を加え十三ヶ月とし、『季節とのずれをなるべく少なくする調整をする。この挿入された月を閏月という。これは二十四節気の節気と中気を、一年』十二ヶ月『それぞれの月に割り当てるが(立春を一月の節気、雨水を一月の中気とするなど)、暦をそのまま使い続けると二十四節気とは次第にずれが重なってくる。そのずれで中気が本来割り当てられた月のうちに含まれなくなったとき、その月を閏月としたものである。閏月の挿入の有無が太陰太陽暦と太陰暦との違いである。閏月の月名は、その前月の月名の前に「閏」を置いて呼称する。例えば「四月」の次に挿入される閏月は「閏四月」となる。また閏月が加わることにより、年末に立春を迎えることがある(年内立春)』とある。また、『閏月をどの時期に入れるかについては、同じ時代でも地域によって食い違うことがあった。例えば日本では古来より西日本では伊勢暦、東日本では三島暦が主に用いられたが、時として閏月を挿入する時期が異なっていたので、日本国内で日付の異なる暦を使っていた事がある』ともある(引用部下線はやぶちゃん)。これから考えると、彼女の精神が不安定になり、放浪癖が生ずるのは概ね三年に一度ということになるが、寧ろ、彼女は事前に来年が閏月が配される年だということを、暦売りなどが販売する暦で知り、それによってある意味、自律的に精神変調をきたしたのであろうと考えた方が自然な気がする。或いは、彼女は独自に、一年間分の、暦などよりも正確な体内時計を保持しており、暦を見ずとも、その季節の大きなズレ(閏月を配さねばならぬ)を生体認識していたとも考え得る(その場合、外界の自然の微妙な変化や気温や湿度の変化も判断材料としていた可能性もある)。そうして、その現実の自然界と形式上の時間の時差幅がある一定値を越えた際、それが何らかの理由で彼女の精神に作用し、そうした放浪現象を惹起させていたと考えることは、私には強ち、非科学的とは思われないのである。
「福館村」底本の森山氏の補註によれば、『南津軽郡常盤村福館(ふくだて)。津軽平野の中央部の農村』とある。現在は南津軽郡藤崎町(ふじさきまち)福舘。ここ(グーグル・マップ・データ)。東北方向に山岳部がある外は、八キロ圏内(後注参照)ならば、平野部が殆んどである。
「祠なと」ママ。「やしろなど」。
「飢る」「ううる」。
「何方」「いづかた」。
「往て」「ゆきて」。
「啼つ」「なきつ」。「泣きつ」。
「及」「および」。
「つやつや」一向に。
「狂ひ出にしかば」「くるひいでにしかば」。
「つなぎ」「繫ぎ」。
「人のわづらひをなすにもあらねば」これといって他者に危害を加えたり、困惑させるような問題行動を起こすわけでもないので。
「よるべき」立ち寄るであろう。彼女の放浪時の行動半径が一~二里(四~八キロメートル)圏内に限定されているからである。また、彼女は東北辺縁の山岳地帯には入り込まなかったのであろう。
「嘉永七寅年」同年は甲寅(きのえとら)で、この年は七月(大)の次に閏七月(小)がある。グレゴリオ暦一八五四年。なお、同年は十一月二十七日(グレゴリオ暦一八五五年一月十五日)に安政に改元している。
「步行しを」「あるきしを」。
「岡本三彌」。「三の卷 九 奇石」の情報提供者。]
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