尾形龜之助第二詩集 「雨になる朝」 (恣意的正字化版)始動 序(二篇) / 十一月の街
尾形龜之助の第二詩集「雨になる朝」(昭和四(一九二九)年五月論志堂書店刊)を恣意的に正字化し、さらに一部詩篇で異なる初出稿・第二次稿をも復元して、順次、示すこととする。
私は既に、私のサイト「鬼火」の「心朽窩新館」に於いて、
尾形龜之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇) 附やぶちゃん注
その他をオリジナルに電子化してきた。永く、残る生前発行の二詩集の原典に当たって、正規表現での電子化をし、尾形龜之助の全詩を掲げたく思ってきたが、その個人的な頼みの伝手も、私からは最早、失われてしまった。されば、かくなる仕儀を行うことと決した。
底本は一九九九年思潮社刊の秋元潔編「尾形亀之助全集 増補改訂版」を用いたが、上記の通り、恣意的に漢字を概ね正字化した。それが少なくとも戦前の刊行物の場合、より詩人の書いた原型に近い物ものとなると信ずるからである。
本詩集の内、八篇は初出或いは第二次稿で相違が認められ、それが底本では「異稿対照表」として掲げられている。本電子化では、当該決定稿の後に、それらを復元して示すこととする。
以上の二点に於いて、本電子テクストはネット上に現存する如何なる「雨になる朝」とも異なるものとなる。【2016年11月13日 藪野直史】
雨になる朝
この集を過ぎ去りし頃の人々へおくる
序 二月・冬日
二月
子供が泣いてゐると思つたのが、眼がさめると雞の聲なのであつた。
とうに朝は過ぎて、しんとした太陽が靑い空に出てゐた。少しばかりの風に檜葉がゆれてゐた。大きな猫が屋根のひさしを通つて行つた。
二度目に猫が通るとき私は寢ころんでゐた。
空氣銃を持つた大人が垣のそとへ來て雀をうつたがあたらなかつた。
穴のあいた靴下をはいて、旗をもつて子供が外から歸つて來た。そして、部屋の中が暗いので私の顏を冷めたい手でなでた。
[やぶちゃん注:「冷めたい」はママ(次の「冬日」も同じ)。「雞」は「にはとり」で、底本は「鶏」であるから、「鷄」とするべきところであるが、「鷄」がないこともないが、尾形龜之助は多くの著作で圧倒的に「雞」と書いているので、ここはそれを踏襲した。以下でも同様の処置を施した。原典をお持ちの方、これらが「鷄」となっているようであれば、是非、御指摘下されたい。]
冬日
久しぶりで髮をつんだ。晝の空は晴れて靑かつた。
炭屋が炭をもつて來た。雀が鳴いてゐた。便通がありさうになつた。
暗くなりかけて電燈が何處からか部屋に來てついた。
宵の中からさかんに雞が啼いてゐる。足が冷めたい。風は夜になつて消えてしまつた、簞笥の上に置時計がのつてゐる。障子に穴があいてゐる。火鉢に炭をついで、その前に私は坐つてゐる。
千九百二十九年三月記
[やぶちゃん注:クレジットはインデントであるが、ブログでのブラウザ上の不具合を考えて上げてある。]
十一月の街
街が低くくぼんで夕陽が溜つてゐる
遠く西方に黑い富士山がある

