家 尾形龜之助
家
夕暮になつてさしかけたうす陽が消え、次第に暗くなつて、何時ものやうに西風が出ると露路に電燈がついてゐた。そして、夜になつた。私は雨戸を閉めるときから雨戸の内側にゐたのだ。外側から閉めて、何處かへ歸つて行つたのではないのだ。
毎月の家賃を拂ふといふので、貸してもらつてゐる家を自分の家ときめてゐる心安さは、便所はどこかと聞かずにもすみ、壁にかゝつてゐるしわくちやの洋服や帽子が自分の背丈や頭のインチに合ひずぼんの膝のおでんのしみもたいして苦にはならぬが、二人の食事に二人前の箸茶碗だけしかをそろへず、箸をとつては尚のこと自分のことだけに終始して胃の腑に食物をつめ込むことを、私は何か後めたいことに感じながらゐるのだ。まだ大人になりきらない犬が魚の骨を食ひに來る他は、夜になると天井のねずみが野菜を食ひに出てくる位ひのもので、臺所はいつも小さくごみつぽく、水などがはねて、米櫃のわきにから瓶などが列らんでゐる。又、一山十錢の蕗の薹を何故食べぬうちにひからびさしてしまつたかとは、すてるときに一ツが芥箱の外へころがり出る感情なのであらうか。
夜の飯がすんで、後は寢るばかりだといふたあいなさでもないが、私は結局寢床に入いつて、夜中に二度目をさまして二度目に眠れないで煙草をのんでゐたりするのだ。ときには天井の雨漏りが寢てゐる顏にも落ちてくるのだが、朝は、誰も戸を開けに來るのではなくいつも内側から開けてゐるのだ。眼やになどをつけたとぼけた顏に火のついた煙草などをくはへて、もつともらしく内側から自分の家のふたを開けるのだ。
[やぶちゃん注:「位ひ」はママ。底本の対照表にはないが、「編註」で秋元氏は、初出を『ニヒル一ノ三』(昭和五(一九三〇)年五月発行)及び同年同月の『旗魚』『詩神』と記した後に、『異文あり』と明記する。やはり、実はこの「異稿対照表」なるものは完全なものでないことが判明するのである。]