諸國百物語卷之四 十六 狸のしうげんの事付タリ卒都婆の杖の奇特
十六 狸のしうげんの事付タリ卒都婆(そとば)の杖の奇特
丹波のかめ山に宇都宮小兵衞(うつのみやこひやうへ)と云ふ百しやう、有り。むすめを四人もちけるが、姉々はみな、えんにつけ、四ばんめのいもふと、いまだ、ゑんにつかざりしを、となりざい所の、うとくなる百姓のかたよりとなのりて、ゑんぐみをとりむすばんとて、なかだち、あちこちと、きもいりて、しゆび、とゝのひ、すでに、にちげんもきわまりけるが、その日げんの二、三日まへに、なかだち來りて、
「かねがね、きわめ申したる日は、あのはうに、にわかに、さしあひ申したく、そのまへ日に御さだめ下され候へ。すなはち、まづ、むこ入りをさきへさせ、さて、むすめ子もかへりに同道いたし候はん」
と云ふ。むすめのをやも、ともかくも、と、へんじして、さて、その日になりければ、姉々ふうふもきたり、とりもちけるが、日くるゝと、はや、むこどの、きやくじん、なかだち、うちつれきたられ、いろいろのしん物など、しうとの座敷にならべをきけり。大あねふうふは、みちとをかりしゆへ、おそく來たられけるが、夜みちたびぢには、まよいの物にあわぬためとて、卒都婆(そとば)のつえを、つねつね、こしらへもちけるが、此夜も、このつえをつき來たり。まづ、むこどのを見んとて、うらへまわり、あね、なに心なく、つえにて、きのすだれをあけて、のぞきみければ、みなみな、毛のはげたる、ふる狸どもと、酒もりしてゐたり。ふしぎにおもひ、ていしゆをよび、みせければ、ていしゆ、みて、
「人也」
と云ふ。あねのめには、たゞふる狸と見へ、座敷にならべをきたる、しん物、と、おぼしき物は、みな、牛馬(うしむま)のほねと見へたり。あねもふしんにおもひ、やゝありて思ひつけ、かのつえにて、すだれをかゝげさせ、ていしゆにみせければ、まことに、むこどのをはじめ一座のきやくじん、みなみな、ふる狸にて有りければ、あねのていしゆ、おどろき、ひそかに、あいむこどもをよび、
「かくかくのしだい也。たがいにぬかるな」
と、しめしあわせ、せど、門(かど)の戸をかため、まど、えんのしたまで、ふさぎをき、さらぬていにて、あねむこ、座敷へまかりいで、
「むこどのゝさかづき、これへ下されよ」
とて、むこどのゝそばへ、つつ、と、より、やがて、かいなを、むず、と、とり、とつておさへ、
「おのれは、にくきやつばらかな」
といへば、きやくじん、なかだち、
「こはいかに、ろうぜき」
と云ふ所を、あいむこども、ひしひしと、とりつき、わきざしをぬき、さしとをす。しうと、しうとめ、おどろき、
「これは、物に、くるい給ふか」
と云ふをも、きゝいれず、むこどのゝ下人供のものどもまで、切りにかゝれば、
「われわれは人げんにて候ふ。御ゆるし候へ」
とて、えんのした、窓のそとへ、にげんとすれども、かなはず。みなみな、きりころされけるをみれば、いく年へたる狸にて有りしと也。人々、おどろき、そのあくる日、まことのしうげんいたしけると也。これも、ひとへに、そとばの杖の、きどく也。
[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「狸のしうけんの事」。「かくかくのしだい也。たがいにぬかるな」は底本では鍵括弧なしで改行もないが、敢えてかく操作した。
「しうげん」祝言。婚姻の儀。
「丹波のかめ山」「丹波の龜山」現在の京都府亀山市。
「えんにつけ」「緣に付け」結婚させ。
「四ばんめのいもふと」四番目の妹は恐らく末子である。姉妹(一般には三姉妹の末妹)の末子の運命だけが姉と異なり、辛苦・困難・異類との婚姻を強いられる(この場合はまさにその捩じれた話柄)という設定は、汎世界的な民族伝承譚のステロタイプである。「シンデレラ」や「猿の婿入り」或いは「口裂け女」の設定にこれらの類型がはっきりと出ている。
「ゑん」「緣」。
「となりざい所の」「隣り在所」。
「うとくなる百姓のかたよりとなのりて」「有德なる百姓の方より、と名乘りて」裕福な百姓の御方からと言う触れ込みで、是非とも「ゑんぐみをとりむすばんと」(緣組を取り結ばんと)いう話を「なかだち」(媒人(なこうど))が持ち込んで参り、これまた「あちこちと、きもいりて」(まことに熱心に嫁として迎えたいと、あれこれ、慫慂説得致いた。「きもいりて」は「肝煎りて」で「万事万端世話を焼いて」の意)によって。
「しゆび、とゝのひ」「首尾、調ひ」。
「にちげんもきわまりけるが」「日限も極まりけるが」。祝言の日取りも決まっていたところが。その日げんの二、三日まへに、なかだち來りて、
「あのはうに」「あの方に」。先方(婿方の家)に。
「にわかに、さしあひ申したく」「俄かに、差し合ひ申し度く」。急に差し障りが生じましたによって、祝言日限の差し換え(前倒し)をお願い致したく。この「さしあひ」は異例な用法で、「差し障りがある」の意ではなく、「予定の差し換えをする」の敷衍的な謂いであろう。但し、「さしあふ」には「差し替える」の意味は本来なく、寧ろ、実は「差支えがある」が原義で、「ある事態が重なり合う・バッテイングしてしまう」の意が本来である。しかし「申したく」と言う願望表現からは、以上のように訳さないと意味が通らぬ。
「むこ入りをさきへさせ、さて、むすめ子もかへりに同道いたし候はん」地方によっては、嫁にとる場合でも、婿がまず嫁の家に出向き、そこで祝言を挙げ、さらに嫁同道の上、婿の家で再度、祝言の儀を執り行う風俗もあったやに私は聴いている。
「ともかくも」「どのようでも結構で御座います。」「如何様にても構いませぬ。」。
「姉々ふうふもきたり」三人の嫁いだ姉「姉夫婦も」皆「來たり」。
「とりもちけるが」「取り持ちけるが」。嫁の家で行う祝言の儀のための用意や来客の接待の準備をすることとなったが。
「日くるゝと」「日暮るると」。
「むこどの、きやくじん、なかだち、うちつれきたられ」「婿殿、客人、媒人、打ち連れ來られ」この三者(婿殿・客人・媒人)は並列。――日暮れと同時に――一気に――一緒に来た――のである。ここがミソである。
「しん物」「進物」。
「しうと」「舅」。
「大あねふうふ」「大姉夫婦」。四人姉妹の長姉夫婦。
「みちとをかりしゆへ」「道遠(とほ)かりし故(ゆゑ)」。歴史的仮名遣は誤り。
「たびぢ」「旅路」。
「まよいの物」「迷ひの物」。歴史的仮名遣は誤り。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注に彷徨(さまよ)う『霊や変化』(へんげ)とある。
「あわぬ」「遇はぬ」。歴史的仮名遣は誤り。
「卒都婆(そとば)のつえ」「つえ」は「杖(つゑ」)の歴史的仮名遣の誤り。塔婆心、基! 老婆心乍ら、間違えてはいけないが、これは挿絵を見て戴ければ判る通り、実際の卒塔婆(供養・追善のために墓などに立てる細長い板。本来は供養のために石製の五輪塔を作るところを、その板先を同形に切り込み、そこに五輪塔同様に梵字や経文などを記した板塔婆)を杖にしたものではない(それでは朽木の卒都婆に腰掛けている「卒塔婆小町」並に非礼である!)。先の「江戸怪談集 下」の脚注に、この『卒塔婆の杖は、特にあつらえて、そのような経文を書き入れた六角棒』である。
「つねつね、こしらへもちけるが」「常々、拵へ持ちけるが」。
「このつえをつき來たり」「此の杖(つゑ)を突き來たり」。
「うらへまわり」家の「裏へ𢌞(まは)り」。歴史的仮名遣は誤り。
「なに心なく」これという意味もなく。たまたま、やや高い位置に「木の簾(すだれ)」があったから、持っていた卒塔婆の杖を使って差し上げただけの意(挿絵参照)。
「毛のはげたる」「毛の禿げたる」。古「狸ども」だから毛が「禿げ」ているのか?
「ていしゆ」長姉自身の夫。挿絵はこの瞬間を切り取ったもの。
「人也」「ひとなり」。「何だって言うんだ。お前の言うような変なものじゃない。皆々、真面(まとも)な人(ひと)じゃないか。」。妻は見せる前に、夫に「みんな、化け物よッツ!」と耳打ちしたのであろう。
「あねのめ」「姉の目」。
「ほね」「骨」。
「あねもふしんにおもひ」「姉も不審に思ひ」。夫の目には普通の人に見えるからである。そこで、「やゝありて思ひつけ」、少し経って、はっと思い当ったのである、自分は現に今、卒塔婆の杖で簾を掲げて見ていることを、である。
「あいむこども」長姉の下の二人の妹の夫。義弟二人。描写は省略されているが彼らにも卒塔婆の杖で簾を掲げた状態での中の様子を見せて現認させたのである。
「せど、門(かど)の戸をかため」「背戸・門の戸を固め」。裏口及び表口の戸を内からは容易に開けられぬように閉ざし。物を置いたり、閂(かんぬき)を打ちつけにしたのであろう。
「さらぬていにて」到着の挨拶代りの一献という風に、極めて平素なる言祝ぎの振りをして。
「あねむこ」長姉の夫。
「やがて」そのまま、即座に。
「かいな」「腕」。
「とつておさへ」「捕つて押さへ」。
「にくきやつばらかな」「憎き奴輩(やつばら)かな!」。「ばら」は接尾語で、人を表す語に付き、二人以上、同類がいることを示す。現在は見下した言い方であるが、古語では必ずしもそうした賤称の複数形ではなく、フラットな場合も多い。但し、ここはそのニュアンスの方がいいことは言うまでもない。
「ろうぜき」「狼藉」。「無法なる仕儀!」。
「わきざし」脇差は一般の百姓や町人でも相応の地位にある者は所持が許されていた。
「しうとめ」「姑」。
「くるい給ふか」「狂ひ給ふか」。歴史的仮名遣は誤り。
「われわれは人げんにて候ふ。御ゆるし候へ」ここは面白い。取り立ての係助詞「は」は、あたかも、「婿や客人や媒人は化け狸でごぜえやすが、あっしらは金で雇われた人間でごぜえやすで! お助けぇえ!」と叫んでいるようではないか。
「にげん」「逃げん(=む)」。
「まことのしうげん」「眞(まこと)の祝言」。本当の隣村の富農の息子との婚儀。即ち、縁談自体は事実であって、それに化け狸御一行が乗じた訳で、しっかりと大団円、ハッピー・エンドとなっているところがすっきりとしていて、とてもよろしい。]


