諸國百物語卷之五 二十 百物がたりをして富貴になりたる事 / 「諸國百物語」電子化注完遂!
二十 百物がたりをして富貴(ふつき)になりたる事
京五條ほり川の邊に米屋八郎兵衞と云ふものあり。そうりやう十六をかしらとして、子ども十人もち、久しくやもめにてゐられけるが、あるとき、子どもに留守をさせ、大津へ米をかいにゆかれけるが、子どもに、
「よくよく留守をせよ、めうにち、かへるべし」
と、いひをかれける。その夜、あたりの子ども、七、八人、よりあひ、あそびて、古物がたりをはじめけるが、はや、はなしの四、五十ほどにもなれば、ひとりづゝ、かへりてのちには、二、三人になり、咄八、九十になりければ、おそれて、みなみな、かへり、米屋のそうりやうばかりになりけり。惣領、おもひけるは、
『ばけ物のしやうれつ見んための古物がたりなるに、むけうなる事也。さればわれ一人にて、百のかずをあわせん』
とて以上、百物かたりして、せどへ小べんしにゆきければ、庭にて毛のはへたる手にて、しかと、足を、にぎる。そうりやう、おどろき、
「なにものなるぞ、かたちをあらはせ」
といひければ、そのとき、十七、八なる女となりて、いふやう、
「われは、そのさきの此家ぬしなり。産(さん)のうへにてあひはて候ふが、あとをとぶらふものなきにより、うかみがたく候ふ也。千部の經をよみて、給はれ」
と云ふ。そのとき、かのそうりやう、
「わが親はまづしき人なれば、千ぶをよむ事、なるまじきぞ。ねんぶつにて、うかみ候へ」
と云ふ。かの女、
「しからば、此せどの柿の木に金子をうづめをき候ふあいだ、これにてよみて、給はれ」
とて、かきけすやうに、うせにけり。夜あけて、親八郎兵衞、かへりけるに、よいの事どもかたりきかせければ、さらば、とて、柿の木の下をほりてみれば、小判百兩あり。やがて、とりいだし、ねんごろにあとをとぶらひける。それより、米屋しだいにしあわせよくなり、下京(しもぎやう)一ばんの米屋となりけるとなり。
延寶五丁巳卯月下旬
京寺町通松原上ル町
菊屋七郎兵衞板
[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「百物語して福貴□成事」。文中の『ばけ物のしやうれつ見んための古物がたりなるに、むけうなる事也。さればわれ一人にて、百のかずをあわせん』は底本では二重鍵括弧はなく、本文続きであるが、特異的にかくした。
「京五條ほり川」この附近(グーグル・マップ・データ)。
「そうりやう十六をかしらとして、子ども十人もち、久しくやもめにてゐられけるが」「惣領十六を頭(かしら)にとして、子供、十人持ち、久しく鰥夫(やもめ)にて居るらけるが」。本篇ではこの貧しかった当時の米屋の父に尊敬語を用いている。正直、五月蠅く、ない方がよい。
「かいにゆかれけるが」「買ひに行かれけるが」。行く先が大津であるのは、問屋ではなく、名主や庄屋から直接に仕入れ買いに行ったようである。
「めうにち」「明日(みやうにち)」。歴史的仮名遣は誤り。
「古物がたり」「ふるものがたり」。
「しやうれつ」不詳。仮名表記と文脈に合うものは「勝劣」(百話で出現する物の怪の恐ろしさ具合が優れて恐ろしいか、或いは、意外にも大したことのない劣ったものであるかを見極める)であるが、これではあまりに余裕があり過ぎ、また「從列」「生列」(百話に合わせて物の怪が百鬼夜行となって列を成して次々と生まれ出現してくる)という語と造語してみても何だか締りがなくて弛んでしまう気もする。しっくりくる熟語があれば、是非、お教えいただきたい。差し換える。
「むけう」「無興」。
「せど」「背戸」。裏口の方。
「小べん」「小便」。
「そのさきの此家ぬしなり」「この今よりも以前の、そなたの住まうところの、この家の女主人で御座いました。」。
「産(さん)のうへ」異常出産のために子とともに亡くなったのであろう。夫も直前か直後に亡くなり、それ以前の子もなかった後家であったものか。
「あとをとぶらふものなきにより」「後(世)を弔ふべき者無きにより」。
「うかみがたく候ふ也」「成仏出来ずにおるので御座います。」。
「延寶五丁巳卯月下旬」延宝五年は正しく「丁巳」(ひのとみ)でグレゴリオ暦一六七七年。旧暦「卯月」はグレゴリオ暦で五月一日、同月は大の月で五月三十日はグレゴリオ暦五月三十一日に相当する。第四代将軍徳川家綱の治世。
「京寺町通松原上ル町」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「菊屋七郎兵衞」板木屋七郎兵衛(はんぎやしちろべえ 生没年不詳)。「菊屋」とも号した。京で出版業を営み、後に江戸にも出店した地本(じほん)問屋(地本とは江戸で出版された大衆本の総称で、洒落本・草双紙・読本・滑稽本・人情本・咄本・狂歌本などがあった。草双紙の内訳としては赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻が含まれる)。主に鳥居清信の墨摺絵や絵本などを出版している(ここはウィキの「板木屋七郎兵衛」に拠った)。
「板」板行(はんぎょう)。版木を刻して刊行すること。
これが、本「諸國百物語」の擱筆百話目である。さて……今夜、あなたのところに起こる怪異は一体、何であろう……何が起きても……私の責任では、ない……ただ私の電子化に従って読んでしまったあなたの――せい――である…………]