谷の響 三の卷 十五 骨牌祠中にあり
十五 骨牌祠中にあり
目谷の奧なる大瀧股と號(い)へる幽地に、雁森と言ふて坦然(たひらか)なる山あり。春秋雁の往來するに憩(いこ)へる處にて、雁の羽毛及び糞など多かり。又この山上に小き祠(ほこら)一宇(ひとつ)ありて、山神を祭れるといへども、内に神躰もなく幣もなくして、奕徒(ばくちうち)の用ふる骨牌(かるた)といふものあり。時によれば此の骨牌二匝(はこ)も三匝もあるよしなれど、誰も寄進するものもなく博奕(ばくち)する者もなし。山士どもの言ふ、こは山神の遊戲(なぐさみ)玉ふものなりとて、犯せるものなしと言へり。こは三ツ橋某の親しく見たりし事とて語りしなり。
[やぶちゃん注:「骨牌」本文で「かるた」と読んでいる。ワン・セットの花札である。
「目谷」「めや」と読む。「一の卷 四 河媼(かはうば)」で「雌野澤(めやのさわ)」として既出既注であるが、再掲する。底本の森山泰太郎氏の「雌野澤」の補註に『中津軽郡西目屋村・弘前市東目屋一帯は、岩木川の上流に臨んだ山間の地で、古来』、『目屋の沢目(さわめ)と呼ばれた。弘前市の西南十六キロで東目屋、更に南へつづいて西目屋村がある。建武二年』(ユリウス暦一三三四年)『の文書に津軽鼻和郡目谷』(太字「目谷」は底本は傍点「ヽ」)『郷とみえ、村の歴史は古い』。「メヤ」の『村名に当てて目谷・目屋・雌野などと書き、本書でも一定しない。江戸時代から藩』が運営した『鉱山が栄えたが、薪炭や山菜の採取と狩猟の地で、交通稀な秘境として異事奇聞の語られるところでもあった。本書にも目屋の記事が十一話も収録されている』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)が西目屋村であるから、注の東目屋とはその地域の東北に接した現在の弘前市地域である。先のマップを拡大すると、弘前市立東目屋中学校(行政地名は弘前市桜庭(さくらば)清水流(しみずながれ))を確認出来る。
「大瀧股」青森県中津軽郡西目屋村大滝又沢。ここ(NAVITIMEの地図データ)。
「幽地」「いうち(ゆうち)」。「幽邃(ゆうすい)」に同じい。景色や雰囲気が静かで奥深い地。
「雁森」現在の青森県西津軽郡西目屋村と秋田県山本郡藤里町との境にある雁森岳(がんもりだけ)。標高九百八十六・七メートル。ウィキの「雁森岳」によれば、『岩木川はこの雁森岳から源を発している。雁森岳は白神山地世界遺産地域のコアゾーンになっており、基本的に入山はできない』。『雁森岳は青森県側では「トッチャカの森」あるいは「トッチャカ岳」と呼ばれていた。これは突き出た坂のある山という意味で、雁森岳の山頂部は青森県側も秋田県側も切り立った崖になっている。稜線は』一『メートル程度の幅しかないうえに、岩肌も露出している』。『雁森岳の山頂に近いカチミズ沢の大滝周辺は、マタギに「津軽の箱」と呼ばれている。切り立った崖に囲まれて、箱の中に閉じこめられているような感覚を呼び起こされる』とある。位置はリンク先の「位置」で確認されたい。グーグル・マップ・データでは山名表示無しながら、ここである。
「坦然(たひらか)なる山あり」上記の引用中の『頂に近いカチミズ沢の大滝周辺は、マタギに「津軽の箱」と呼ばれている。切り立った崖に囲まれて、箱の中に閉じこめられているような感覚を呼び起こされる』とある場所を指すのであろう。
「幣」「ぬさ」。
「誰も寄進するものもなく博奕(ばくち)する者もなし」そのカルタを寄進する者は誰一人としておらず、そうした場面を見た者もおらず、況や、博奕打ちがそこで賭場を開いているなどという場面を目撃した者もない。そもそもが山深い地で、わざわざ博奕打ちがやって来るような場所ではない。また、カルタが御神体であろうはずもなく、神体なき祠(やしろ)にあろうことかカルタを寄進するというのも意味が判らぬ、と言うのである。
「山士ども」一般には「山師」と書くと、鉱山の発掘や鉱脈の発見及び鑑定をする者、また、山林の伐採や立木の売買に従事する者を指すが、ここは寧ろ、先のウィキの「雁森岳」に出る「マタギ」(東北や北海道に於いて熊・猿などの狩猟を生業としてきた人々。中でも秋田県の仙北や阿仁(あに)地方にはマタギの村が多かった)を指すように思われる。
「こは山神の遊戲(なぐさみ)玉ふものなりとて、犯せるものなしと言へり」ここには何かが隠されているように思われる。或いは、この山中の孤絶した空間はマタギたちの特殊な会合や秘密の祭儀をする神聖な場所であったのではあるまいか?]