谷の響 四の卷 十九 食物形を全ふして人を害す
十九 食物形を全ふして人を害す
安政二乙卯の年のことなるが、上十川村の百姓某といへる者、腹の内にかたまりありていたくなやみけるが、醫藥もしるしなくほとほと死なんとして家内の者にいへりけるは、吾死して腹中にこの病をたくはへたらんにはうかぶよしなし、すみやかに腹をさいて塊物(かたまり)を取除くべしとてつひにむなしくなりにけり。さるにそのあくる日、屍を葬場へかついでひそかに腹をさいてそのこゞりを取出しこれをといて見るに、世にサモタチといふ茸の笠の徑(わた)り二寸餘りなるもの一ひらありて、この茸少しのきずもなく形狀そのまゝにてありしとぞ。斯ばかりの茸たゞに呑むべきよしもなく、又きりわらで食ふべきこともなき筈なるに、いとあやしきことなりとて、これが療治せる桑野木田の醫師島田某の語りしなり。又この醫師の話に、蕨に中(あて)られて苦しむもの、大かたは一本のまゝの蕨をはくことありき。こもきりたゝでくふべきものにあらざれど、數人を見るにみなしかありしなりと言へりき。
さて、これによりて思ひ出ることあり。さるは文政の年間、同町に田中屋淸兵衞といへる豆腐屋ありしが、主淸兵衞なるもの性好んで鯡の子を食(くら)へつること數十年なりしに中(あて)られたることなかりしが、ある日これに中られいたく腹をなやみ、四日の間夜晝のわかちなく苦しみて、わづかの飮食も呑ともくだらず藥もしるしなさゞりしに、病て四日といふ夜に至りげつといふて吐下(はきくだ)せるものあり。こをとりて見るに一枚(ひとひら)の數の子の少しも缺損(かけいた)まぬ其まゝのものにて有りしとなり。病人はこの物を吐いてよりちとばかり落ちつきたる樣子なれども、精氣盡きたりけん其明方に失せにけりとなり。
又これも同じ事なるが、文政の末年近隣なる高瀨屋三郎右衞門と言へるもの、小章魚(たこ)を食ひてこれに中てられ、又夜晝のわかちなく苦しみけるに病みて七日といふに、當れる小章魚の脚の八九寸なるもの一すぢを吐き出せり。これ亦痛みなく生のまゝにてありしなり。さるにこの人年六十にあまりて常によわき生れつきゆゑか、二日目に空しくなりぬ。又天保の年間、井桁屋小太郎といへるもの何にくひあてられしや、こも食ひたるものをそのまゝに吐きいたせる話ありしが、病みて三日にして失せたりき。こを醫師にたづぬれど、うへのぶべきあげつらひもあらざりしなり。さりとはあやしきことなり。
[やぶちゃん注:第一例(第一段落の主記載のもの)については、腹部を剖検して出ているところから、内臓に出来た巨大ポリープ(死因がそれならば癌であって播種していたのかも知れぬ)の可能性が高いように思われる。一部のポリープは素人が肉眼で見ても茸によく似ているからである。その後の蕨の例、数の子の例及び蛸の足の例は孰れもよく判らない。特に後者は二例とも死亡しており、気にはなる(数の子や蛸それ自体がその死因ではないと思われるが)。数の子のケースは実は鯡の卵巣ではなく、フグ類のような何らかの強い毒性を持った魚の卵巣、或いは深海性のワックス(高級脂肪酸)を多量に含んだ魚類の内臓や身の過食などが想起はされるものの、不明である。識者の御教授を乞う。
「全ふ」「全(まつた)う」が歴史的仮名遣としては正しい。
「安政二乙卯の年」安政二年は乙卯(きのとう)でグレゴリオ暦では一八五五年。
「上十川村」青森県黒石市上戸川(かみとがわ)村。この附近(グーグル・マップ・データ)。
「ほとほと」殆んど。
「うかぶよしなし」死んでも浮かばれぬ。余程、痛みが激しかったのであろう。
「こゞり」「凝り」。凝り固まったもの。しこり。
「といて」「解いて」。内臓との癒着が激しかったことから、かく表現したものか。
「サモタチ」秋田県生まれの永田賢之助氏の紹介になる秋田の茸の詳述サイト内の「サワモダシ(俗称)」を見ると、標準主要種を「ナラタケ」としつつ、『近似種にナラタケモドキ、ヤチヒロヒダタケがある。これらをいっしょくたにサワモダシと呼んでいる』と記されてあり、『サワモダシは消化が良くないので食べ過ぎないこと。また、生だと中毒を起こすので料理には注意が必要。サワモダシの幼体に似ているのが猛毒ニガクリタケ』と注意を喚起してある(下線やぶちゃん)。なお、
「ナラタケ」は菌界担子菌門菌蕈(きんじん)亜門真正担子菌綱ハラタケ目キシメジ科ナラタケ属ナラタケ亜種ナラタケ
Armillaria mellea nipponica
「ナラタケモドキ」はナラタケ属ナラタケモドキ Armillaria tabescens
「ヤチヒロヒダタケ」はナラタケ属ヤチヒロヒダタケ Armillaria ectypa
で、
猛毒で死亡例も多い「ニガクリタケ」はハラタケ目モエギタケ科モエギタケ亜科クリタケ属ニガクリタケ Hypholoma fasciculare
である。「サワモダシ」と「ワモタチ」は音が近似しているように私は感じるので(特に東北方言ではこの二語は実はかなり似て聴こえるように思うのである)、これを最有力候補として掲げておく。
「二寸」六センチメートル。
「一ひら」「一枚」。「ひら」は薄く平らなものの数詞。
「斯」「かく」。
「きりわらで」「切り割らで」。
「桑野木田」現在の青森県つがる市柏(かしわ)桑野木田(くわのきだ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。五所川原の南西。
「蕨」「わらび」。シダ植物門シダ綱シダ目コバノイシカグマ科ワラビ属ワラビ Pteridium aquilinum。ウィキの「ワラビ」によれば、『牛や馬、羊などの家畜はワラビを摂取すると中毒症状を示し、また人間でもアク抜きをせずに食べると中毒を起こす』。また、『ワラビには発癌性のあるプタキロサイド(ptaquiloside)』が約〇・〇五~〇・〇六%含まれる』。『また、調理したものであっても大量に食べると全身が大量出血症状になり、骨髄がしだいに破壊され死に至る。しかし、ワラビ中毒がきのこ中毒のように問題にならないことから判るように、副食として食べている程度ならば害はない。またアク抜き処理をすればプタキロサイドはほとんど分解される』とあり、一九四〇年代に、『牛の慢性血尿症がワラビの多い牧場で発生することが報告され』、一九六〇年代には、『牛にワラビを与えると急性ワラビ中毒症として白血球や血小板の減少や出血などの骨髄障害、再生不能性貧血、あるいは血尿症が発生』『し、その牛の膀胱に腫瘍が発見された。これが現在のワラビによる発癌研究の契機となった』とある、更にウィキの「ワラビ中毒」によれば、『人でも適切にアク抜きをせずに食べると中毒を起こす(ビタミンB₁を分解する酵素が他の食事のビタミンB₁を壊し、体がだるく神経痛のような症状が生じ、脚気になる事もある)。また、調理したものであっても大量に食べると体じゅうが大量出血症状になり、骨髄がしだいに破壊され死にいたる。しかし、ワラビ中毒がきのこ中毒のように問題にならないことから判るように、副食として食べている程度ならば害はない。一方、ワラビ及びゼンマイはビタミンB₁を分解する酵素が含まれる事を利用して、精力を落とし身を慎むために、喪に服する人や謹慎の身にある人、非妻帯者・単身赴任者、寺院の僧侶たちはこれを食べると良いとされてきた』ともある。ダブるが、後者の最後の部分が面白く、示しておきたかったので敢えて引いた。
「文政の年間」一八一八年~一八三〇年。平尾は今まで「年間」を「ころ」と和訓している。
「同町」これは前提示の町を指すのではなく、筆者平尾魯僊の実家のあった紺屋町(現在の弘前市紺屋町(こんやまち)。弘前城の西北直近。ここ(グーグル・マップ・データ))と「同」じ「町」の謂いである。
「主」「あるじ」。
「性」「しやう」。生まれつき。
「鯡の子」「にしんのこ」。条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii の卵巣である数の子。当時(江戸以前)のそれは、現在のそれとは異なり、♀の腹から取り出した卵塊を天日干しした「干し数の子」(水で戻して食する)である。私が小学生の頃までは、干し数の子が乾物屋の前で山積みされて、えらく安い値で売られていたのを思い出す。ウィキの「数の子」によれば、『日本以外の地域では近隣のアジア諸国、およびニシンの漁獲量が多い北米、ロシア、欧州などの地域でも、カズノコを食用にする習慣は一般的ではない。それらの地域では日本に輸出を開始する以前はカズノコを廃棄していた』とある。なお、数の子の有毒化というのは聴いたことがなく、同ウィキには、『数の子にはコレステロールが含まれているが、そのコレステロールを消し去るだけのEPA(エイコサペンタエン酸)が含まれている。コレステロール値が減少する結果も出ている。また痛風の原因となるプリン体は、ごくわずかしか含まれていない』とある。魚卵=尿酸値上昇とする馬鹿の一つ覚えは、やめたが、いい。私は好物である。
「食(くら)へつる」ママ。「くらひつる」。
「呑ともくだらず」「のむとも下らず」。大小便の排泄が停止しているようである。排便がないのはいいとしても、小水が出ていないとなると、これは重篤な腎不全が疑われ、それが彼の直接の死因なんではあるまいか?
「しるしなさゞりしに」「驗成さざりしに」。効果が全く見えなかったところが。
「病て」「やみて」。
「文政の末年」一八三〇年。文政は十三年十二月十日(グレゴリオ暦では翌一八三一年一月二十三日に天保に改元されている。
「近隣なる」これも紺屋町である。
「小章魚(たこ)」「こたこ」或いは「ちさきたこ」。「たこ」は「章魚」二字へのルビ。
「これに中てられ」何らかの細菌性食中毒(サルモネラ菌や腸炎ビブリオ)は別であるが、蛸の生食による蛸自体の病原性中毒は知られていないと思う。
「痛みなく」腐っておらず、しかも噛み砕いたりした損傷、切ったり調理したり痕が全く見られない、という謂いであろう。
「常によわき生れつきゆゑか」死因は別にありそうに私には思われる。
「天保の年間」一八三〇年から一八四四年。
「井桁屋小太郎といへるもの何にくひあてられしや、こも食ひたるものをそのまゝに吐きいたせる話ありしが、病みて三日にして失せたりき。こを醫師にたづぬれど、うへのぶべきあげつらひもあらざりしなり」確かに。何食ったか分らんわ、吐いたものがどんあもんだっか分らんわ、死ぬまでの三日間がどんな症状だったかも分らんでは、これ、「うへのぶべきあげつらひもあらざりしなり」(以上の事例で述べたような議論する素材も何もなく、如何なる判断も推理も出来ない)に決まっとるがね!
「さりとはあやしきことなり」最初の巨大ポリープ以外は、後に行けば行くほど、実は、「そうはいってもさ、これってさ、なんか、えらい怪しいなあ? もしかして、これらの何人かは、食中毒じゃあなくて、誰かに毒殺されたんじゃあ、ねえの?」って呟きたくなる私(藪野直史)がいるんですけど。]