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2016/11/19

谷の響 三の卷 十四 大藤

 

 十四 大藤

 

 黑石の街道高日村なる虛空堂の境内に、四本の藤樹(ふじ)ありき。こも亦希らしきものにて、その大きなるは周匝(まはり)ふたかゝへに餘り、次なるは七尺より四尺三尺に至れり。又その内にいと古き大樹數多ありて、囘抱(まはり)みな四かゝへより六かゝへに近きものなるが、この四本の古藤この大木にかゝりながら、蛇(をろち)の爭戰(たゝかい)を交ふるがごとく、右にのぼり左に降り、或は龍の如くにまとはりあるは蛇の如く相結び、三十四五間なるべき林の中を縱橫にわたかまれり。その花紫の色いと好きが數なく宙(そら)にかゝれば、路往く人これが爲に足を停止ざるはなし。この他(ほか)所々の社(やしろ)の裡(うち)に古き藤のまゝ有なれど、未だこれにつぐものあらず。

 

[やぶちゃん注:「大藤」現存するマメ目マメ科マメ亜科フジ連フジ属フジ Wisteria floribunda の巨木としてはフジ属で唯一、国の特別天然記念物に指定されている埼玉県春日部市牛島にある「牛島(うしじま)のフジ」(紫藤)はウィキの「牛島のフジによれば、『園芸品種としては日本最大のもので、全体の根回り』が九・二メートル、総面積七百平方メートルに及ぶ藤棚の枝張りは東西』で約三十四メートル、南北十四メートルあるという。ここは四本の藤の木であるが、藤好きの私としてはこれも見てみたかったなぁ……

「黑石」底本の森山氏の補註に『弘前の東部、津軽平野の東南隅にある黒石市。明暦二年津軽藩の支落として一万石の城下町となり、明治四年の廃藩まで藩主十一代。今は周辺の米・りんごを集散する農村都市である』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「高日村」底本の森山氏の補註に『南津軽郡田舎館村高樋(たかひ)。黒石に近接する農村』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「虛空堂」この虚空蔵堂は現存しない模様であるが、ここに高樋神明宮なるものが現存し、これを調べてみると、こちらの記事に以下のようにあった。この神社、『古くは深山大権現と称し、 又、 境内に巨木茂り、 更に藤の古木が連なり、 通称藤林と云われて、 それにまつわる種々の伝説が残っている』として、「青森の伝説」(角川書店刊)より、『境内に繁茂した老木に藤つるがたくさんまとわりついて、昔は藤の森であった。この藤のつるは、境内の森の主、大蜘蛛の巣が変化した蜘蛛の藤であったと伝える。妖怪の蜘蛛を退治してから、藤は自然と少なくなってしまった』と引き、『大蜘蛛がいなくなったからでしょうか、今は往時の面影はありません』と記者は感懐を述べておられる。そこに掲げられた写真を見ても藤の木らしきものは殆んど見えない。

「ふたかゝへ」三メートル五十センチ前後か。

「七尺」二・一二メートル。

「四尺」一・二一メートル。

「三尺」ほぼ九十一センチメートル。

「囘抱(まはり)」二字へのルビ。

「四かゝへより六かゝへ」七メートルから十メートル五十センチ前後。異様に太い。

三十四五間」六十二メートルから六十四メートル弱。

「わたかまれり」「蟠(わだかま)れり」。

「數なく」無数に。

「停止ざるはなし」「とどめざるはなし」と当て訓しておく。

「まゝ有なれど」「ままあるなれど」。しばしば、ありはするものの。]

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