甲子夜話卷之三 8 御鷹匠頭内山七兵衞の事
3-8 御鷹匠頭内山七兵衞の事
御鷹匠頭の内山七兵衞は質朴の人なり。此人に感じ入たることあるは、常々鳥肉は嫌と稱して、人前に於て喫することなし。人も亦實事と思へり。其實は嫌にてはなし。組の者野先へ出る每に、必御鷹の得たる鳧雁を持贈ることなり。夫を防んとて、天性好まぬことに、わざと仕成したるにて有ける。
■やぶちゃんの呟き
「御鷹匠頭」既出既注であるが、再掲しておく。定員二名で千石以上の旗本の世襲とされた。江戸後期は戸田家と内山家のみで、幕末には戸田家一家に限られた(次注の安田寛子氏の論文参照)。
「内山七兵衞」静山と同時代人とすれば、安田寛子氏の論文「近世鷹場制度の終焉過程と維持組織」(PDF)に出る内山善三郎(通称・内山七兵衛)であろうかと思われる。なお、この内山家の先祖の一人である可能性が高い、内山七兵衛永貞(通称の一致、及び一時期の鷹匠頭としての内山家の嗣子が本名に「永」の字を用いていることが確認出来る)という人物が第五代将軍徳川綱吉の治世にいるが、この人は何と、かの数学者関孝和(寛永一九(一六四二)年~宝永五(一七〇八)年)の実兄であり、この兄弟、かの上野寛永寺根本中堂の造営という綱吉政権の大事業に深く関与していたことが、鈴木武雄氏の論文「駿遠(静岡)における関孝和と内山七兵衛永貞の消息」(PDF)で明らかにされている。
「嫌」「きらひ」。
「喫する」「きつする」。食する。
「組の者」自分の支配の鷹匠及び鷹狩の下役の者ども。
「野先」私の趣味で「のづら」と訓じておく。
「必」「かならず」。
「鳧雁」「ふがん」と読む。鴨と雁(かり)。孰れも鳥綱カモ目カモ亜目カモ科マガモ属
Anas の仲間。同属の内で体が小さく、首があまり長くなく、冬羽では雄と雌で色彩が異なるものをかなり古くから「鴨」と称し、そうでない大型種を「雁」と区別したりするが、これは科学的な鳥類分類学上の群ではない。
「持贈る」「もちおくる」。鷹匠頭である内山に、である。上司である彼に目を懸けて貰うため、将軍より分配下賜された獲物を、これまた、贈答として部下が彼に差し出すのである。これは違法ではないが、如何にもな、賂(まいない)ではある。
「夫を防んとて」「それをふせがんとて」。
「仕成したる」「しなしたる」。そういう嘘の嗜好をわざと流して、これ見よがしな賂の贈答を一切受けぬようにしたのであった。
« 諸國百物語卷之五 十六 松ざか屋甚太夫が女ばううはなりうちの事 | トップページ | 譚海 卷之二 弓つるの音幷二またのおほばこ鏡面怪物の事 »