諸國百物語卷之五 六 紀州和歌山松本屋久兵衞が女ばうの事
六 紀州和歌山松本屋久兵衞が女ばうの事
紀州わか山に松本屋久兵衞と云ふもの有り。手まへもうとくにくらしけれども、ふりよにわづらひて、あひはてけり。そのあとへ入りむこをとりて、あとめとして、とし月をおくるとき、まゝむすめ有りしが、せいじんしてよきみめかたちなりければ、此入りむこ、しう心して、わりなくちぎりける。母、これを見つけて、せけんのぐはいぶんとおもひ、人にもかたらず、あさゆふ、むねをこがしけるが、此事、いつとなく所にもかくれなく、ちくしやうなりとて、みな人、あざけりけると也。母はこの事おもひくらし、氣やみになりて、あひはてけり。むすめ、よろこび、そうれいのいとなみ、とりつくろい、夜あけがた、野べにをくらんと、その夜は棺(くわん)を座敷にをきければ、夜半のころ、母、棺のうちよりたち出で、あたりを見まはし、むすめと男ふしたるねまにゆき、むすめがのどくびをくひちぎり、又、棺のうちへ、はいりける。人々、ぜひなき事也とて、をや子一どに葬禮しけると也。その家も、のちにはほろびけると也。そのとき、行きあはせ見たる、あき人、京にのぼりて物がたりしけると也。
[やぶちゃん注:「手まへもうとくにくらしけれども」「手前も有德に暮らしけれども」。暮し向きも裕福に過ごしていたけれども。
「ふりよにわづらひて」「不慮に患ひて」。
「入りむこ」「入り聟」であるが、この場合は、松本屋久兵衛の妻の後夫の謂い。
「あとめ」「跡目」。嗣子。
「まゝむすめ」「繼娘」。この場合は、松本屋久兵衛の実の娘。
「せいじんしてよきみめかたちなりければ」「成人して良き見目貌(みめかたち)なりければ」。「なりければ」は「成り」ではなく、であったので、の意であろう。
「しう心して」「執心して」。義理の娘に懸想したのである。
「せけんのぐはいぶんとおもひ」「世間の外聞と思ひ」。後添えの夫と実の娘が関係を持ってしまったことが世間に知れては、外聞がこれ、はなはだ悪しきこと極まりない、と思い。
「むねをこがしけるが」「胸を焦がしけるが」。母である前に女であるが故に、妬心を両者に持ったのである。
「いつとなく所にもかくれなく」何時からともなく、その秘していた後夫と娘の密通が世間にすっかり知れることとなって。
「ちくしやうなり」「畜生なり」。
「そうれいのいとなみ」「葬禮の營み」。
「とりつくろい」「取り繕ひ」。歴史的仮名遣は誤り。万端、定規(じょうぎ)通りに執り行い。
「野べにをくらんと」「野邊に送(おく)らんと」。野辺の送りをせんと。
「むすめと男ふしたるねまにゆき」「娘と男臥したる寢間に行き」。
「むすめがのどくびをくひちぎり」「娘が咽喉頸を喰ひ千切り」。
「をや子一どに」「親子(おやこ)一度に」。歴史的仮名遣は誤り。
「あき人」「商人(あきんど)」。]