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2016/11/17

谷の響 三の卷  十 化石の奇

 

 十 化石の奇

 

 且説(さて)、物の石に化(な)れるは奇(めつら)しからねど、玆にいとあやしき話ありき。さるは、往ぬる文政四五年の頃、同坊なる伊助といへるもの串柿を估(か)ひもて家の小兒等に與へしに、みな怡(よろこ)びて喰ひたるが、その内一箇(ひとつ)は石なりとて其代を求むる兒あり。伊助不審(いぶかり)採り上げて視れば、形は眞の乾柿にして硬く重き石なりければ、いと奇異の思ひを爲し人にも語りて見せつるが、實に乾柿の石に化(な)りたるにてありける。一連のうちにたゞ此一個而已石に變(な)りて、左右(あたり)は悉(みな)每(つね)の柿にてありけるもいと希しき事と言ふべし。

 又、天保のはじめにて有けん、青森勤番の人三四人、小舟に棹をさして釣に出たるが、糕糖(くわし)の料(たね)とていとよく熟(うみ)たる葡萄を齎(もたら)し、俱に喫ひつゝ居(ゐたる)うち、某なる人石が齒に障れるとてそのまゝ吐て見るに、形葡萄なるにいといと硬き石にてあれば、人々奇怪の事よといふに、嚙たる某も希らしきものとして懷にして歸りけり。その後この某御城の中に宿直(とのゐ)してありし時、同僚の人に此縡(こと)を語り石を出して見せければ、その人掌に上げいと希(めづら)しと見てゐしが、いかにしけん火爐(ひばち)の中に隕(おと)せるに、火勢強く卒(はや)くも取得ざるうち、※(くわつ)と響(なり)て火の中を飛び出たれば拾ひて之を見るに、炒りたる大豆の如く黑皮少しく破裂(さけ)て、中より嫩綠(もえぎ)の肉實(さね)露(あらは)れたれど、その質更に損(そこね)ることなく却りてひとつの奇文(かざり)を增しきと、ある藩中の人語れるなり。さて一の莖に累攢(こごれ)る葡萄のうち、一顆(つぶ)石に化(な)りたるも又、世に希らしきことなるべし。[やぶちゃん字注:「※」=「石」+「周」。]

 又、これも天保の年間(ころ)、小泊村の市之助といへる者、明神の沼【十三の海と隣りて僅の砂崖を隔てし沼なり。】といふより小鰕(えび)を窠(すく)ひ鹽炒(しほいり)にして食ひしが、石に咬みあたりしから急に吐て之を見るに、僅の小鰕頭より半身は石に變(な)り、尾の方の半身は每(つね)の鰕にてありければ、いと希らしきものとして己が裡(うち)に持來りしが、何さま一寸たらずの小鰕にして、頭は腦髓明徹(すきとほり)ていと堅き石なるに、尾の方半身は赤くなりて少しく破れたれど、内は全く連續(つづき)てありし。こも一罔(あみ)に窠(すく)へる蝦の一個(ひとつ)その質石に化(な)れるも又奇怪とすべし。

 この三つは僉(みな)一般(おなじ)話にして、年月を經て化(な)れるものにはあらず。玉液石津に觸れてかく暫時に石に變りたるものなるべし。さるに其玉液石津の僅の物に限れるも、いたく怪しき事なりかし。

 

[やぶちゃん注:最初の石になった干し柿は誰かの悪戯臭いが、後の二者は奇形やカルシュウム或いは炭酸カルシュウムなどの沈着による石化現象がありそう。特に三つ目のエビ類では確かにあると思う。

「奇(めつら)し」読みはママ。

「文政四五年」一八二一年か一八二二年。

「同坊」「どうまちの」。平尾の書き癖。同じ町内の。

「估(か)ひ」「買ひ」。

「其代」「そのかはり」と訓じておく。

「眞」「まこと」。

「實に」「げに」。

「而已」漢文訓読でこの二字で「のみ」と読む。

「天保のはじめ」「天保」はグレゴリオ暦一八三〇年から一八四四年。

「糕糖(くわし)」二字へのルビ。「菓子」。釣りの間のつまみ。

「料(たね)」品。

「齎(もたら)し」持ち来たり。

「喫ひ」「喰(く)ひ」或いは「喰(くら)ひ」。

「某」「なにがし」。

「障れる」「さはれる」。

「吐て」「はきて」。

「嚙たる」「かみたる」。

「此縡(こと)」「この事」。

「※(くわつ)と」(「※」=「石」+「周」。調べて見たが、これは「岩屋」「石室」の意で、音も「テウ(チョウ)」で不審)オノマトペイア(擬音語)。

「響(なり)て」「鳴りて」。

「嫩綠(もえぎ)」二字へのルビ。「萌黃」。「嫩」は生え初めた「若葉」の意。

「肉實(さね)」二字へのルビ。

「その質更に損(そこね)ることなく却りてひとつの奇文(かざり)を增しき」これは中の葡萄の種が確かに種の形をちゃんとしており、しかも石(のように)堅く、しかもその表面には普通の種の表面よりも遙かに独特の、一種の変わった紋様が生じていた、という謂いか?

「累攢(こごれ)る」二字へのルビ。重なり合うように一つの房に固まって生(な)る。

「小泊村」既出既注。現在の青森県北津軽郡中泊町(なかどまりまち)小泊。の「小泊港」周辺(グーグル・マップ・データ)。十三湖の北方。

「明神の沼【十三の海と隣りて僅の砂崖を隔てし沼なり。】」十三湖西岸の砂洲の南方の日本海寄りに現在も明神沼があり、その沼南端の丘陵に湊明神宮(みなとみょうじんぐう:別名:湊神社或いは浜の明神遺跡)がある。但し、ここは十三湖のある「十三」地区を含む五所川原市ではなく、つがる市側の市境付近に当たる。(グーグル・マップ・データ)。小泊からは南に直線で十四キロ強。十三湖と同様、汽水の沼であろう。

「といふより」という辺りで。

「己が裡(うち)」「我が家(うち)」。

「何さま」何ともまあ。対象があまりに小さいことを指していよう。

「一寸たらず」三センチに満たないちんまい。

「頭は腦髓明徹(すきとほり)ていと堅き石なるに」頭部の臓器類が確かにエビのそれと同じで、透き通って見えいるにも拘わらず、全体が石(のように)カチカチになっているらしい。

「内」外骨格は一部が損壊していて頭部と繋がっていない箇所があるものの、内臓(筋体や神経節)は完全に頭部と一つに繋がっているというのである。或いはこれは、何らかの後天的な病気或いは寄生虫に侵されている個体なのかもしれない。

「玉液石津」「玉液」は「美しい液体」の意で、「石津」(恐らく「セキシン」と音読みする)は「石・鉱物から滲出する液体」を指すから、特殊な宝玉や鉱石から滲み出て生物を石化・鉱物化させる玄妙なる摩訶不思議な液体の謂いであろうか。

「暫時に」少しばかりの時間で。

「其玉液石津の僅の物に限れるも」。その「玉液石津」が影響を及ぼすのが、ごく「僅」かな、それも対象物の中の「限」られた、ごくごく一部だけの「物」であること「も」。]

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