谷の響 三の卷 九 奇石
九 奇石
己が知れる某なる人、いぬる甲寅の年の八月江戸よりの歸るさ、碇ケ關の放舍(はたごや)に宿歇(とまり)けるが、日も未だ高ければ庭に居置きたる水盆(はち)の魚に餌を與へて慰みつるに、その水盆に布(しけ)る小石のうち、いと奇らかなるもの一個(ひとつ)あり。その石は今別の濱なる瑪瑙石にひとしく、鮮明にすきとほりて大さは胡桃ばかりのものなるが、俱に布たる松藻と言へるものこの石を貫(つらぬ)き、根と葉の先は石の左右にあらはれ、中半(こと)は石中(いし)に籠りて透(しか)すときはいと明細(あきらか)に見ゆるなり。この人旅籠(はたごや)の主に乞得たりとて己に見せしなり。藻の軟(やはら)かなるものにてかゝる石を貫きたるは、いといと奇しきものといふべし。
又、岡本三彌といへる人、小泊村の海岸より得たりとて希代の石ありき。その石の形狀さながら鹽漬の茄子にひとしく、色また爾(しか)なり。白き斑文は𤾣(かび)によく似て、蒂(へた)と莖は俗に言ふホンダワラとよべる海草の根株なり。實に眞の物に見違ふばかりにして、いと珍らしき似象(にざう)のものなり。又肌(はたへ)濃(こまか)く質硬くして上品なるは言ふべくもあらず。
また成田某といへる藩中の人より贈られたる一奇石あり。三寸に二寸ばかりにして、石決明(あはび)の形狀によく似たれどもこの物の化(な)れるにあらで、自然(おのづから)に似たるものなり。色もまた石決明にひとしく、肌(はたへ)密(こまか)に光ありて慰斗(のし)押へにいと好きものなるが、何人の持行きしにや見えずなりぬ。又、工藤權太郎といへるもの、金木邑の山中より得たりとて鰹節にひとしき石を贈れり。こも又眞の物にまがへど、それの化(な)りたるにあらでその似象のものなりき。その他物の化(な)れるものあやしきものいと多かり。同じくその狀(かたち)を寫得し一二を玆に模寫す。
[やぶちゃん注:「甲寅の年」安政元(一八五四)年。
「碇ケ關」既出既注であるが再掲する。底本の森山氏の補註に、『南津軽郡碇ケ関(いかりがせき)村。秋田県境に接する温泉町。藩政時代に津軽藩の関所があり、町奉行所が支配していた』とある。現在は合併によって平川市碇ヶ関として地名が残る。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「居置きける」「すゑおきける」。
「布(しけ)る」「敷ける」。
「奇らかなる」「めづらかなる」と訓じておく。
「今別の濱」底本の森山氏の補註に、『東津軽郡今別(いまべつ)町』(まち)。『津軽半島の先端にある港町。この浜に瑪瑙石が多い』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「瑪瑙石」「めのういし」。縞状の美しい模様を持ち、オパール・石英が火成岩或いは堆積岩の空洞中に層状に沈殿して出来た鉱物の変種。
「松藻」淡水産の水草で「金魚藻」の名で知られる被子植物門双子葉植物綱スイレン目マツモ科マツモ属マツモ Ceratophyllum demersum。「水盆」(金魚鉢のような水槽)のその下の水受けの中に敷いた小石であり、この水槽で飼っているのは淡水魚と考えるのが妥当で、中は真水、それを受ける敷き皿のなかも真水、さすればそこにあったこの「松藻」とは、瑪瑙石が海浜で採取されたからといっても、これは食用の海産褐藻類である不等毛植物門褐藻綱イソガワラ目イソガワラ科マツモ属マツモ Analipus japonicus ではあり得ない。そもそも後者はそのような場所では、海水を満たしていても、すぐに腐ってしまう。だいたいからして、碇ケ関はとんでもない山奥で海水を供給出来ようはずはないのである。
「この石を貫(つらぬ)き、根と葉の先は石の左右にあらはれ、中半(こと)は石中(いし)に籠りて透(しか)すときはいと明細(あきらか)に見ゆるなり」「藻の軟(やはら)かなるものにてかゝる石を貫きたるは、いといと奇しきものといふべし」瑪瑙は中心部に隙間(晶洞)を形成していることがしばしばあることは周知の通りで、この瑪瑙が断片でその晶洞が貫通しており、しかもその孔の口径がそれほど大きくなく、それを敷き引いた深皿状の水槽の受け皿に一緒に入れた活きたマツモ Ceratophyllum demersum が成長し、その孔を潜って大きくなったと考えれば、ここで平尾が石をマツモが貫いたと誤認してもおかしくはない。ウィキの「マツモ」によれば、マツモ Ceratophyllum
demersum は『多年生植物で、根を持たずに水面下に浮遊していることが多』く、『茎を盛んに分枝し、切れ藻でも増殖する』。『秋ごろから筆状の殖芽を産生し、水中で越冬する』とある。
「乞得たり」「こひえたり」。乞うて譲って貰った。
「小泊村」既出既注であるが再掲する。底本の森山氏の補註に、『北津軽郡小泊(こどまり)村。津軽半島の西側に突出た権現崎の北面が小泊港である。古く開けた良港である。大間は大澗で入江のこと』とある。現在は青森県北津軽郡中泊町(なかどまりまち)小泊である。この「小泊港」周辺である(グーグル・マップ・データ)。
「鹽漬の茄子」「しほづけのなす」。
「色また爾(しか)なり」色もまた、まさに「塩漬けの茄子」にそっくりである。
「斑文」二字で「もん」と読んでいるかも知れぬ。
「𤾣(かび)」「黴」(かび)と同義。
「蒂(へた)と莖は俗に言ふホンダワラとよべる海草の根株なり」不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum の乾燥したもの。古くから食用(私は好物である)や肥料、また、正月飾りなどに使用された。大きく成長した個体の茎はかなり太く乾燥すると軽いものの堅くなり、根株(仮根)は生時でも食い入って頑丈、乾燥物は石の如く堅い。たまたまその奇石に附着して成長した個体か、或いは採取者が海で採れたからとて、ホンダワラと当該石を加工して接合させたものかも知れぬ。平尾があまりにもそっくりだと感嘆しているところからは、人為的加工が却って疑われるのである(無論、自然に出来たものが酷似したシミュラクラを創り上げた可能性もある)。
「實に眞の物」「げにまことのもの」。全く以って本物の塩漬けの茄子。
「見違ふ」「みまがふ」。
「似象(にざう)」相同の立体形象。
「肌(はたへ)」表面の光沢や感触。
「三寸に二寸ばかりにして」長幅が九センチメートル程、短幅が六センチ程。
「石決明(あはび)」津軽であるから、軟体動物門腹足綱原始腹足目ミミガイ科アワビ属クロアワビ
Haliotis discus discus と考えてよいであろう(同種の北方亜種エゾアワビ
Haliotis discus hannai も考え得るが、本種はクロアワビと同一種とする見解もある)。ただ、この大きさはアワビの稚貝か、同属別種のトコブシ
Haliotis diversicolor aquatilis のそれである。アワビにそっくりというには小さ過ぎてしょぼい。
「この物の化(な)れるにあらで」アワビが石化したという奇物なのではなくて。
「肌(はたへ)密(こまか)に光ありて」と叙述しているということは、アワビの貝殻の内側と同様の真珠光沢を持っていることを意味する。
「慰斗(のし)押へ」献上・結納などで贈答する際、それに乗せた長寿を言祝ぐ長熨斗(ながのし:熨斗鮑(あわび)鮑の肉を薄く剝ぎ、長く伸ばして干したもの。古くより祭礼儀式用の肴(さかな)に用い、後、祝儀の贈答物に添えるようになった)や、その贈物自体が落ちたり、飛ばされたりしないように添えられる一種の文鎮のようなもの。縁起を担いで、現在では松ぼっくり・蝦・打ち出の小槌などを象った人工物を用いるようであるが、考えて見れば、熨斗は鮑が原材料なので、類感呪術的には鮑の殻を用いてもよいように思うし、ここでそれに最適だと言うのも、あながち偶然ではないように思われる。
「持行きしにや」「もちうゆきしにや」。平尾のところに来る者の中にも、そうした不心得者がいたようである。
「金木邑」本の森山氏の補註に、『北津軽郡金木(かなぎ)町。津軽半島中央南部の中心地。元禄十一年金木新田の開発に着手した』とある。現在は五所川原市金木町(ちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「同じくその狀(かたち)を寫得し一二を玆に模寫す」「寫得し」は「うつしえし」。実は本「谷の響」の自筆本は伝わらず、既に焼失したものと考えられている(底本の森山氏の冒頭の解題に拠る)。平尾は絵師であったのだから、さぞ、美事なものであったろうが、その挿画を我々は最早、見ることは出来ないのである。]
« 諸國百物語卷之五 八 狸廿五のぼさつの來迎をせし事 | トップページ | 甲子夜話卷之三 1 白川城の災後、越州、家老に憤る幷狂歌の事 »