譚海 卷之二 武藏野に五兵衞まむしを療する家傳の事
武藏野に五兵衞まむしを療する家傳の事
○武藏野に五兵衞といふ百姓、代々一子相傳の祕方ありて、まむしの毒にあたりたるを療治する事奇妙なり。聞傳(ききづた)へ諸方より群集(ぐんじゆ)する事たへず。先年親五兵衞現在の時は、まむしにさゝれたる人遠方より尋來(たづねきた)り、五兵衞が門内(かどうち)へ入るとはや痛(いたみ)を忘(わする)る程に功驗(こうげん)有(あり)しとぞ。今の五兵衞に至りてはそれほどには及(およば)ざれども、平愈する奇功(きこう)はいちじるしき事なり。まむしにさゝれて毒の紫に凝(こ)りたる所を、五平指にて撫(なで)あげなでおろすに、指に隨(したがひ)てのぼりおりする程に妙を得たる事也(なり)。此五平途中往來の序(ついで)に、まむしへびなどみかへす時、其まゝまてと聲をかくれば、とゞまりてうごく事ならず、此人蝮蝎の類(たぐひ)に付(つき)ては、いか成(なる)子細ありてかくまで奇特(きどく)ある事にやと人の云(いへ)りし。
[やぶちゃん注:「現在」「げんざい」は硬いが、格助詞の「の」には訓では上手く繋がらぬから、そう読んでおく。存命の時の意。
「蝮蝎」音は「フクカツ」であるが、「蝮」(まむし)は本邦にいても、「蝎」(さそり)は本州以北にはいないから、ここはこれで「くちなは」と訓じているものと思われる。この文字列は通常は「蟒蛇」(うわばみ)などと同列で妖怪変化的な「大蛇」の謂いであるが、本邦の大蛇は概ね、人を襲い喰らう「毒蛇」と考えられたから、別段、ここで用いてもおかしくはない。
「奇特」。「奇特」は私は「きどく」と濁って読みたい。「神仏」(ここはそれに準ずる)「の霊験(れいげん)」の意である。]