諸國百物語卷之五 十二 萬吉太夫ばけ物の師匠になる事
十二 萬吉太夫(まんきちだゆふ)ばけ物の師匠(ししやう)になる事
京(きよう)上立(かみたち)うりに、萬吉太夫と云ふ、さるがく、有りけるが、能(のふ)、へたにて有りしゆへ、しんだいをとろへて大坂へくだるとて、ひらかたの出ぢや屋にて、ちやをのみ、やすらいゐるうちに、日もそろそろくれがたになりければ、
「こゝに、一夜の宿をからん。」
といへば、ちや屋、申しけるは、
「やすき事にて候へども、此所には、よなよな、ばけ物きたりて、人をとり申すゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、夜はわれらもこゝにはゐ申さず。」
とかたる。萬吉、きゝて、
「それとても、くるしからず。」
とて、その夜はそこに、とまりける。あんのごとく、夜半のころ、川むかいより、人のわたるおと、しける。見れば、たけ七尺、ゆたかなる坊主也。萬吉、これを見て、やがてことばをかけ、
「いやいや、さやうのばけやうにては、なし。まだ、ぢやくはいなるぞ。」
といへば、ぼうず、きゝて、
「そのはうは、いかなる人なれば、さやうには、の給ふぞ。」
と云ふ。萬吉、きゝて、
「われは、みやこのばけ物なるが、此所にばけ物すむと聞きおよびて、あふて、上手か、へたか、心みて、上手ならば、師匠とせん。へたならば、弟子にせん、とおもひて、これにとまり候ふ。」
と云ふ。坊主、
「さらば、そのはうの、ばけてぎわ[やぶちゃん注:ママ。]を、見ん。」
と云ふ。萬吉、
「心えたり。」
とて、つゞらより能のしやうぞくとりいだし、鬼になりてみせければ、坊主、おどろき、
「さてさて上手かな。女(ぢよ)らうにばけられよ。」
と、のぞむ。
「心ゑ[やぶちゃん注:ママ。]たり。」
とて又、女になる。ぼうず、申しけるは、
「おどろき入りたる上手かな。今よりのちは師匠とたのみ申すべし。われは川むかいのゑの木のしたにすむ、くさびら也。數年、この所にすんで、人をなやます也。」
とかたる。萬吉、きゝて、
「その方は、なにが、きんもつぞ。」
と、いふ。
「われ、三年になりぬる、みそのせんじしるが、きんもつ也。」
と云ふ。
「又、そのはうは。」
と、とふ。萬吉、きゝて、
「我れは、大きなる鯛のはまやきが、きんもつにて、これをくへば、そのまま、いのち、をわり申す。」
と、たがいにかたるうちに、夜は、ほのぼのと、あけにける。坊主も、いとまごひして、かへる。萬吉太夫は、ひらかた、たかつき、あたりへ、かたりきかせければ、みなみな、たちあひ、だんがうして、太夫のいわれしごとく、三年になるぬかみそをせんじて、かのくさびらに、かけゝれば、たちまち、じみじみとなり、きへにけり。そのゝちは、ばけ物、いでざりしと也。
[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「萬吉太夫はけ物のしせうに成事」(歴史的仮名遣は誤り)。植物妖怪のテツテ的笑怪談。
「萬吉太夫」不詳。
「京上立うり」現在の京都市に「上立売通(かみだちうりどおり)」として現存する地名。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「さるがく」「猿楽・申楽」。ここは以下の「能」が「へた」(下手)であったがため、「しんだいをとろへ」(身代衰え:能楽師としての地位が落ちて、家が零落してしまい)た、というところを読めば分かる通り、能楽の旧称なので注意されたい。
「ひらかた」「枚方」。現在の大阪府枚方市。
「出ぢや屋」街道筋や道端などに小屋掛けをして出している簡易の茶店。掛け茶屋。
『「こゝに一夜の宿をからん」といへば、ちや屋、申しけるは、「やすき事にて候へども、此所には、よなよな、ばけ物きたりて、人をとり申すゆへ、夜はわれらもこゝにはゐ申さず」』これが江戸時代の設定だと、これは違法行為であり、泊まった万吉太夫も貸した出茶屋の主人も処罰される。当時は正規の宿駅の正規の旅籠業を営むところ以外では一般人は宿泊することもさせることも禁じられていたからである(行脚僧などは例外)。但し、それは表向きで、緊急や急病・疲弊などの折りに、こうした交渉と宿貸はしばしば行われた。しかしそれでも露見すれば、罰せられたことは知っておいてよい。但し、この時代設定は江戸よりも前とも思われるので、あまり問題にする必要はないか。
「川むかい」「川向ひ」。川向う。川は枚方の西北境界線を流れる淀川と見てよかろう。川幅はかなりあるが、渡って来るのは妖怪ですから、問題ありますまい。
「七尺」二メートル十二センチ。
「ゆたかなる」肉づきのいい。ぼってりとした。挿絵を見よ。
「さやうのばけやうにては、なし」「左樣の化け樣にては、無し」。「そのような生っちょろい化け様(よう)にては、化けたとは言われぬわ!」。
「ぢやくはい」「若輩」。経験が乏しく未熟であること。
「ばけてぎわ」「化け手際」。
「しやうぞく」「裝束」。
「女(ぢよ)らう」「女﨟」。高貴な婦人。
「ゑの木」「榎(えのき)」。歴史的仮名遣は誤り。バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis。
「くさびら」「菌(くさびら)」。茸(きのこ)のこと。榎の根元だから、菌界担子菌門ハラタケ亜門ハラタケ綱ハラタケ目タマバリタケ科エノキタケ属エノキタケ(榎茸)Flammulina velutipes を想起しての設定であることは明白。エノキダケは実際にエノキに生え、他にカキ・コナラ・クワ・ヤナギなどの広葉樹の枯れ木や切り株に寄生する木材腐朽菌である(「ナメコ」「ナメタケ」は本種の別称である)。参照したウィキの「エノキタケ」によれば、傘は直径二~八センチメートルで『中央が栗色あるいは黄褐色で周辺ほど色が薄くなり、かさのふちは薄い黄色またはクリーム色である。かさの表面はなめらかで強いぬめりと光沢がある。かさは幼菌では丸みが強く、のちしだいに広がり、まんじゅう型からのち水平に近く開く』とあり、ここででっぷりした坊主(様の頭)で出現するところもエノキダケを意識していると言える。
「きんもつ」「禁物」。禁忌物。天敵。
「三年になりぬる、みそのせんじしる」三年熟成させた味噌を煎じた汁。
「鯛のはまやき」「鯛の濱燒」。尾頭附きの鯛を塩焼きにしたもので、主に祝いの膳に用いる。本来は古来の入浜式塩田の製塩中の熱い塩の中に、獲れたての活け鯛を入れ、塩釜蒸し風にしておいて焼いたことから、この名があるようである。
「そのまま」たちまちのうちに。
「たかつき」現在の大阪府高槻市。まさに枚方の淀川を挟んだ対岸域。「くさびら妖怪」の本拠地である。
「かたりきかせければ」体験した奇体な事実を子細に語って廻ったところ。
「たちあひ、だんがうして」「立ち合ひ、談合して」。枚方と高槻の淀川沿いの主だった者たちが揃って集まり合い、申し合わせた上。
「太夫のいわれしごとく」「太夫の言はれし如く」。歴史的仮名遣は誤り。
「じみじみ」当初は溶け崩れてゆくさまのオノマトペイアかと思ったが、これは「ぢみぢみ」が正しいのではないかとも思われる。「地味地味」で、「形や模様などがはなやかで大きかったものが、忽ちのうちに溶け崩れて色褪せ、萎んでしまうさま」である。大ナメコの味噌汁は私の大好物であるが、かけて暫くすると、ナメコはくったりとなって、遂にはどろどろになって液状化してしまう。なんとなく、それを思うと、この「くさびら」のお化けも可哀想な気が、私はしてくるのである。]
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