五月 尾形龜之助 (附 初出復元)
五月
鳴いてゐるのは雞だし、吹いてゐるのは風なのだ。部屋のまん前までまはつた陽が雨戸のふし穴からさし込んでゐる。
私は、飯などもなるつたけは十二時に晝飯といふことであれば申分がないのだと思つたり、もういつ起き出ても外が暗いやうなことはないと思つたりしてゐた。昨夜は犬が馬ほどの大きさになつて荷車を引かされてゐる夢を見た。そして、自分の思ひ通りになつたのをひどく滿足してゐるところであつた。
から瓶につまつてゐるやうな空氣が光りをふくんで、隣家の屋根のかげに櫻が咲いてゐる。雨戸を開けてしまふと、外も家の中もたいした異ひがなくなつた。
筍を煮てゐると、靑いエナメルの「押賣お斷り」といふかけ札を賣りに來た男が妙な顏をして玄關に入つてゐた。そして、出て行つた私に默つて札をつき出した。煮てゐる筍の匂ひが玄關までしてきてゐた。斷つて臺所へ歸ると、今度は綿屋が何んとか言つて臺所を開けた。半ずぼんに中折なんかをかぶつてゐるのだつた。後ろ向きのまゝいゝかげんの返事をしてゐたら、綿の化けものは戸を開けたまゝ行つてしまつた。
[やぶちゃん注:「雞」は「にわとり」で底本の用字である。本作は昭和四(一九二九)年四月発行の『学校』第五号を初出とし、そこでは題名が「題はない」であり、その後、同年十二月刊の「学校詩集」及び同月文書堂刊の「全日本詩集」(東亜学芸協会編)にそれぞれ再録されている。後者の二冊では孰れも題名は決定稿と同じ「五月」となっている。詩篇本文の異同は以上の三者にはないものと推定される。以下に初出形として「題はない」で示す。傍点「ヽ」箇所「半ずぼん」は太字で示した。秋元氏の対照表には不審な箇所があり(詩篇本文全体を表示しておらず、空行が本当に初出形の空行なのかどうかが、不分明であったりする)、果たして決定稿の空行が初出にあるのかどうかやや不審なのであるが、総合的に判断して空けておいた。
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題はない
鳴いてゐるのは雞だし、吹いてゐるのは風なのだ。部屋のまん前までまはつた陽が雨戸のふし穴からさし込んでゐる。
私は、飯などもなるつたけは十二時に晝飯といふことであれば申分がないのだと思つたり、もういつ起き出ても外が暗いやうなことはないと思つたりしてゐた。昨夜は犬が馬ほどの大きさになつて荷車を引かされてゐる夢を見た。そして、自分の思ひ通りになつたのをひどく滿足してゐるところであつた。
今朝も、長い物指のようなもので寢てゐて緣側の雨戸を開けたいと思つた。もしそんなことで雨戸が開くのなら、さつきからがまんしてゐる便所へも行かずにすむような氣がしてゐたが、床の中で力んだところで、もともと雨戸が開くはずもなく結極はこらひきれなくなつた。
から瓶につまつてゐるやうな空氣が光りをふくんで、隣家の屋根のかげに櫻が咲いてゐる。雨戸を開けてしまふと、外も家の中もたいした異ひがなくなつた。
筍を煮てゐると、靑いエナメルの「押賣お斷り」といふかけ札を賣りに來た男が顏の感じの失せた顏をして玄關に入つてゐた。そして、出て行つた私にだまつて札をつき出した。煮てゐる筍の匂ひが玄關にもしてきてゐた。――私は筍のことしか考へてゐないのに、今度は綿屋が何んとか言つて臺所を開けた。半ずぼんに中折れなんかかぶつてゐるのは綿の化けものなのだからだらう。いいかげんの返事をしてゐたら、綿の化けものは戸をあけたまま行つてしまつた。
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「長い物指のようなもので」「行かずにすむような氣がしてゐたが」の二箇所の「ような」はママ、「結極」も「こらひきれなくなつた」もママである。老婆心乍ら、詩人は「長い物指のようなもの」を使って「寢」たままで「緣側の雨戸を開けたいと思つた」のである。「異ひ」は「ちがひ」。
本作は一読、寺山修司にでも映像化させてみたくなるような、すべて事実なのかも知れぬが、何とも言えない一種、サイケデリックな映像で、大いに好きである。]
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