谷の響 四の卷 二十 天狗人を攫ふ
二十 天狗人を攫ふ
弘化午の年、新寺町玄德寺の住職京師に昇り本山【本願寺なり。】の學寮にありしとき、最上のもの四人同道にて本山參りを致し、其うち一個(ひとり)の者四月二日に御剃刀といふを頂くとて出けるが、その日黃昏(くれあひ)に及べども來らず。同行のものいと不審(いぶかり)て人を雇ひて探索(たづねもとむ)れども、遂に踪跡(ゆくえ)しれずして三日を過たりしに、本山より其者を最上の寮へ遣はしていへるには、此もの發狂せしと見ゆるなればよくよく介抱すべしとて、醫師を添へられて送りたるに衆々(みなみな)いと愕然(おどろ)き、種々(いろいろ)劬(いたは)れども顏色靑ざめて物も得言はず、たゞ慴(ふるえ)怕(わなゝ)き動(やゝ)もすれば駈出んとするを、手を捕り足を押へて停留(とゞめ)置にき。されど日數ふるまゝに看病のものも勞疲(くたびれ)て耐へ得ざれば、本山の下知にて寮に居合せたるもの代々に晝夜とも傍にあらしめて扱ひさせたるに、十四五日ばかり過て漸々正氣なりければ、そのありし事址(こと)ども尋ぬるにいらへけるは、御剃刀を頂き廊下を通れる時、五十あまりの老人と覺しき修驗(やまぶし)のいと尊ふとげなるが一個(ひとり)來りて、我に善き廰堂(ざしき)を見すべし此方へ來よといふて、手を採ると覺えしが卽便(そのまゝ)飛鳥の如く走りて何處といふ差別も分らざりしに、修驗のいへるにはその着たる肩衣を取り棄てよと言へるから直(すぐ)に脱ぎすてたりしに、又暫くして懷中のものも棄てよとありければ、是は私先祖より傳へ來れる佛像にて、臺座の缺損(いたみ)を修覆せんためわざわざ大衢(みやこ)まで持來りしことなれば免許(ゆるし)玉はれと言ひしかど、更に諾(うべな)はずして彌(いよいよ)棄よと言ひしから、私も手を折りて萬般(さまさま)に願(ね)ぎたりしかば、さらば己れを棄つべしとてそのまゝ頸筋を摑(つかま)へて杳(はるか)に抛(なげ)られたりと覺しが、夢の覺たる意氣(こゝち)にて四邊(あたり)を觀望(みまは)せば、※廰(ざしき)の結構言はん方なく障子を開て見れば樓閣(にかい)とおぼしき故、梯子を索(たつ)ねて下りて見るに又※廰(ざしき)ありて初のごとし[やぶちゃん字注:「※」=「濵」より(さんずい)を除去したもの。]。こは何處にてあらんとその下を望觀(のぞみみ)るに、男か女かわからねど色淸らかにいと尊とげなる人の白き裝束を服し玉ひたるが獨御在(はし)て、私を囘視(かへりみ)玉ひて人を呼で過傷(けが)ばしさせぬやうに計ふべしと宣(のり)玉ひしを聞けるが、何とやらん凌懼(ものおそろ)しく身の毛逆立樣に覺しが、又昏迷(たふれ)てそのあとは知らずなりしと語りしなり。
こはこれ嚮(さき)の修驗は天狗にて、その投墮されたる處は萬惶(もつたい)なくも内裡の御層樓(さんかい)にて、白き御裝束を穿(め)し玉ひたるはいといとかしこかれど今上皇帝にわたらせ玉ひしとなり。然るに檢非違使の御方にてこれを禁綱(いましめ)按察(ぎんみ)あれど、狂氣して何の辨へもあらざればそが懷中を査(あらた)め視るに、御剃刀頂戴の時御ながれを下さるよしにて其土器(かはらけ)が有しかばへ是必(さだめて)一向宗の徒(もの)なるべしとて本山へ屆けられしとなり。さるに此係りの醫師の話に、龍顏を上より拜する時は必ず死するものなり。されど狂氣の中は幾年も活延(いきの)べけれど、本性となりては活助(たすかる)ものなし。疾く國元へ下すべしとて、卒(にはか)に整點(したく)させて寮を退去(さらせ)けるとなり。こは此玄德寺も介抱してその者より直に聞たるとて語りしなり。
[やぶちゃん注:「攫ふ」「さらふ」。
「弘化午の年」弘化三年丙午(ひのえうま)。一八四六年。
「新寺町」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「玄德寺」既出既注であるが、再掲する。底本の森山氏の補註に『弘前市新寺町にある浄土宗法源寺塔頭であった大会山玄徳寺。文禄四年』(一五九四年)『南津軽郡浪岡に開創、慶安三年』(一六五〇年)『弘前に移転したという。今はない』とある。法源寺は同町の真教寺の真西に専徳寺という寺を挟んで現存するから(先のYuki氏のブログ「くぐる鳥居は鬼ばかり」にはこの「遍照山法源寺(弘前市新寺町・大浦城の移築門)」もある)、この法源寺の周辺(グーグル・マップ・データ)にあったのであろう。それにしても、まさに新寺町というだけに現在も軒並み、寺が密集している。
「本山【本願寺なり。】」通常は単にこう書いた場合、京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町にある、浄土真宗本願寺派の本山龍谷山(りゅうこくざん)西本願寺を指す。
「最上」出羽国最上郡地方のことであろう(底本の森山氏もそう推定されておられる)。最上郡は現存する群であるが、古くのそれは遙かに郡域が広く、本書の記載に近い幕末時点では、出羽国に属し、全域が新庄藩領であった。ウィキの「最上郡」を参照されたい。
「四月二日」グレゴリオ暦では四月二十七日。
「御剃刀」「おかみそり」。元来は戒師が出家する者に戒を授けて髪を剃ることを指すが、ここは現行「帰敬式」と呼ばれている、宗祖親鸞の「教え」に基づき、仏・法・僧の三宝に帰依することを誓う儀式と思われる。東本願寺の公式サイト内の「帰敬式」によれば、受式すると仏弟子としての名前である「法名」(釋○○あるいは釋尼○○)が生前に授与されるとある。
「最上の寮」或いは天理教の「おやさと(親里)」のように、西本願寺には各地方(国・郡)に分けられた宿泊所(或いはそれを含む大きな奥羽レベルでの宿所で、さすれば、弘前の修行僧が一緒であるのも納得がゆく)があったものかも知れない。
「劬(いたは)れども」「勞はれども」。「劬」には「疲れる」の外に「労わる」の意がある。
「駈出ん」「かけいでん」。
「停留(とゞめ)置にき」「とどめおきにき」。二字へのルビ。
「ふる」「經る」。
「勞疲(くたびれ)て」二字へのルビ。
「代々に」「かはるがはるに」。
「傍」「そば」。
「過て」「すぎて」。
「漸々」「ようよう」。漸(ようや)く。
「事址(こと)」二字へのルビ。
「尊ふとげ」「たふとげ」。
「廰堂(ざしき)」二字へのルビ。
「此方」「こなた」。
「卽便(そのまゝ)」二字へのルビ。
「飛鳥」「ひてふ」。
「何處といふ差別も分らざりしに」何処(いづこ)へ参るかということさえも判らずに。周りが全く見えぬほどの速さで連れ行くその途中に。
「肩衣」「かたぎぬ」。ここは袈裟の意。
「大衢(みやこ)」二字へのルビ。「衢」は訓「ちまた」で、人が大勢集まっている、賑やかな通りの意から、町中、ここは「おほやちまた」で京都を指す。
「免許(ゆるし)」二字へのルビ。
「棄よ」「すてよ」。
「萬般(さまさま)に」二字へのルビ。「さまざまに」。いろいろと。
「願(ね)ぎ」「ねぐ」「祈ぐ」で、本来は神仏に向かって祈る・祈願するの意。仏像の破却はどうか御容赦あれと冀(こいねが)い。
「己れを」「おのれを」。お前を。
「覺たる」「さめたる」。
「意氣(こゝち)にて」二字へのルビ。
「觀望(みまは)せば」二字へのルビ。
「※廰(ざしき)の結構言はん方なく」(「※」=「濵」より(さんずい)を除去したもの)その座敷の間の入り口の様子の驚くべき広さと豪華さは謂いようもないほどで。
「開て」「あけて」。
「樓閣(にかい)」二字へのルビ。
「梯子」「はしご」。階段。
「索(たつ)ねて」読みはママ。手で支えてつつ。
「初のごとし」「はじめ」。先に見た座敷と、これまた同じような、豪華絢爛なる広座敷があった。
「何處」「いづく」。
「獨御在(はし)て」「ひとり、おはして」。
「呼で」「よんで」。
「過傷(けが)ばしさせぬやうに計ふべし」「けが(を)ば、しさせぬ樣にはからふべし」。怪我などを、致さぬように、はからってやるがよい。
「聞けるが」「ききけるが」。
「凌懼(ものおそろ)しく」二字へのルビ。
「逆立樣に覺しが」「さかだつやうにいおぼえしが」。
「昏迷(たふれ)て」二字へのルビ。
「嚮(さき)の」最初の。「嚮」は「向」に同じい。
「投墮されたる」「なげおとされたる」。
「萬惶(もつたい)なくも」二字へのルビ。「勿體なくも」。畏れ多くも。
「裡」「うち」。内裏。
「御層樓(さんかい)」「ごさんかい」三層構造の内裏の最上階の謂いか。但し、これが二条城ということにあるが、同城の天守は、取付矢倉が付属する層塔型五重五階の天守であったものの、これは寛延三(一七五〇)年に落雷で焼失、それ以降は再建されていない。それとも、江戸後期に三層階の建物が禁裏の中にあったものか。識者の御教授を乞う。
「穿(め)し」「召す」。「着る」の尊敬語。
「今上皇帝」恐らくは孝明天皇である。先代の仁孝天皇は弘化三年一月二十六日に崩御しているからである。
「檢非違使」「けびいし」。禁裏内の警察機構の長であるが、この当時のそれは有名無実と思われ、捕縛は判るが、以下のような尋問・聴取も任されていたかどうかは、甚だ疑問と思うが、如何?
「禁綱(いましめ)按察(ぎんみ)あれど」それぞれ二字へのルビ。
「辨へ」「わきまへ」。
「御ながれ」不詳。次に「土器(かはらけ)」とあるから、酒席で貴人や目上の人から杯を受けて、これに注いで貰う酒。辞書によれば、古くは飲み残しの杯を渡されてそのまま飲んだとあることを指すか。肉食妻帯を宗旨として許す真宗は酒を飲むことは禁じていないと思われる。或いは、酒に見立てた水盃かも知れぬが、まあ、識者の御教授を乞う。
「有しかば」「ありしかば」。
「是」「これ」。
「此係り」「このかかはり」。これに関わった。
「龍顏」天皇の顔。
「中は」「うちは」。
「本性」正気に戻ること。
「活助(たすかる)」二字へのルビ。
「疾く」「とく」。早く。
「下す」「くだす」。
「整點(したく)させて」二字へのルビ。私はピンとこない熟語である。
「こは此玄德寺も介抱して」これはこの、当時、修行僧として西本願寺に修学した、現在の住持も、彼の介護を輪番で担当して。
「直に」「ぢかに」。]
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