御孃さんと私 やぶちやん(copyright 2010 Yabtyan)
……私(わたくし)は大學時分、中目黑の素人屋に下宿してゐました。私の部屋の隣には年老いた大家夫婦の三十に近い未婚のOLの御孃さんの部屋がありました。この御孃さんとは凡そ三年程の間一緖の屋根の下に暮らしたのですが、御孃さんと言葉を交はしたのは數へる程しかありませんでした。
最終學年の十一月の上旬の事、唯一度だけ彼女の部屋の戶を叩いた事が有りました。
私の大學の卒業論文は和綴で是が非でも題箋は筆で記さねばなりませんでした。私の卒論は「咳をしても一人」で知られる『層雲』の俳人を扱つた「尾崎放哉論」でしたが、彼の名前は之何れの字をとつても如何にも配置の難しい字に思はれました。御孃さんが書道を趣味にしてをられることは何時休日になると漂つて來る墨の匂故に入つた先(せん)から知れてゐましたから、其題箋を思ひ切つて彼女に賴んでみることにしました。まともに御孃さんの顏を拜したのも其時が初めてでした。
突然の下宿人の懇請ではありましたが、御孃さんは當初二つ返事で快く請けがつて吳れました。
ところが一週日が過ぎた頃、これまた突然彼女が私の部屋の硝子戶の扉を矢張り初めて叩いたのでした(私の部屋は彼女と姉との昔の子供部屋だつたのです。戶は全面が半透明の硝子障子の引戶で、私は何時もその向かうに夜遲く仕事から歸つて來た彼女のシルエツト許りを目にして過して來たのでした)。
狹い廊下のことですから殆ど彼女の化粧の香が鼻を擽る程數糎(センチ)の距離を置いて顏を見合はせることとなりました。彼女は、
「お書きするのは容易(たやす)いのですけれど、書道を少し齧つて來た私には矢張り貴方の卒業論文の表紙ですもの、御自身でお書きになる方が絕對好(い)いと思ふんです。」
と言ふのです。卒論は既に書き上げて餘裕で芥川龍之介全集の全卷通讀なんどに現(うつつ)をぬかしてゐた當時の私には晴天の霹靂でした。
「私、實は筆が大の苦手なもんですから」
と聊かはにかんで答へたのですが、
「失禮ですけれど下手でも御自身でお書きになるのが好いと思ふんです。私が書いたら、將來屹度失望なさると思ふんです」
御孃さんは「將來屹度失望なさる」といふところに妙に力を込めて言ふのでした。私はそれでもなほ、
「決して失望しませんから」
と決まりの惡い笑みを浮かべ乍らも實際本氣でさう思ひつつ食ひ下がつては見ました。が、
「いゝえ。屹度、失望なさいます」
と何故か少し焦点を外した目をし乍ら、請けがつて吳れませんでした。
私は甚だ殘念に思ひつつ、禮を言ふと自室の戶を閉めやうとしました。
すると其時、彼女が私の部屋のベツドを指さして、
「その、二段ベツド、狹いでせう。小學生の頃、姉が下私は上に寢てゐたのよ」
と笑ひ乍ら訊きました(この子供部屋の姉妹の爲の二段ベツドは据付だつたのです)。
「えゝ、頭が突つかへるので此の三年の間づつと斜めになつて寢てました」
と私は剽輕に答へました。お孃さんは大袈裟に體を震はせて如何にも可笑しくてならないといふ感じで笑ひました。それは私には少女のやうな可愛らしい笑ひに見えました。
實は私は其時初めて彼女が斯くも綺麗な方だつたのだと今更乍ら氣づいたのでした。さうして内心何うして結婚されないのだらうなんどと訝しんだのさへ覺えてゐます。
數カ月の後(のち)、私は首尾良く卒業し、神奈川縣の公立高校に赴任することとなつて其下宿を引き拂つたのでしたが、その間際、何時ものやうに夜遅くに歸つて來た御孃さんに廊下でばつたり出食はして別れの挨拶をせねばならぬ羽目に陷りました。
「御卒業お目出たう」
と彼女が言ひました。何か二言三言儀禮上の言葉を交はしたとは思ひますがすつかり忘れてしまひました。只最後に、私はもう此の御孃さんとも二度と會ふこともなからうと思ふと少し許り大膽な氣持になつてゐましたから、
「あの……何故御結婚なさらないんですか。……お美しいのに……」
と如何にも失禮な問ひを御孃さんにかけて仕舞ひました。その頃の私は傍(はた)から見れば富山の田舍から出て來た垢拔けない書生位(くらゐ)にしか思はれてゐなかつたものと思ひます。御孃さんも例外ではありませんでしたらう(私の生まれは實は鎌倉で小學校を卒業するまでは其處に居たのですが、其のやうな話を大屋夫婦に話したのは卒業も間近になつてのことでしたから)。だから逆に御孃さんも質朴なる愚か者の問ひと受け流して氣障な嫌味とは取らずにゐて吳れたものか(勿論私の述懷は眞正直なものでしたが)、惡戲つぽく微笑んだ後(のち)、
「‥‥お世辭でも嬉しいわ。私はね、一寸體が丈夫ではないの。老いた父や母の面倒も私が見なくてはならないし。……私ね、諦めてゐるの。……でもね、結婚ばかりが人生ではないわよ」
と判然(はつきり)言ふと「お休みなさい」と笑顏の儘御孃さんは颯爽と自分の部屋の方に消えて行つたのでした。
――もう三十年以上前のことになりますが、私は今も時々あの御孃さんの最後の笑顏を思ひ浮かべるのです。すると何故か少し後ろめたいやうな不思議に哀しくさうして懷しい心持が私の心を過(よ)ぎるのを常としてゐるのです。 (二〇一〇・六・六)