甲子夜話卷之三 16 同牡丹の上意、婦人言上の事
3-16 同牡丹の上意、婦人言上の事
又當御代、何れの御坐所にか牡丹を植置せられしが、數珠の中、色うつろひたるを、上意には、これは衰たり。見るべくも非とありけるを、婦人に有しとやらん申上るには、牡丹は夫にても能く候。召つかわるゝ女中も、色衰候て、御寵もつき候も是亦然べくも候半。表向御政事にたづさはらん臣共は、色移ろひ候時より社御用には立申べし。仕へ初し頃は、誰も時めきて見え候が、漸々と年久くなり目立申さず、花の移ひ候如に候。外臣等は此所より先きが御用に立ち申すべき御見所に候と言上せしとぞ。其時上意には、さても能ぞ申たり。此牡丹なくば其詞をも聞まじ。牡丹こそ媒よと仰ありしと也。御盛德仰奉るべし。又その婦女も有がたき賢媛なりき。
■やぶちゃんの呟き
前条に続き、「當御代」今上将軍家斉のエピソード。
「婦人」ここは単にその場にいた御付きの上﨟衆の一人であって、正・則室などではあるまい。
「言上」「ごんじやう(ごんじょう)」。
「植置せ」「うゑおかせ」。
「衰たり」「おとろへたり」。
「非」「あらず」。
「夫」「それ」。
「候半」「さふらはん」。
「御政事」「おんまつりごと」。
「共」「ども」。
「より社」これで「よりこそ」(係助詞「こそ」)と訓ずる。
「立申べし」「たちまうすべし」。
「初し」「はじめし」。
「目立」「めだち」。
「移ひ」「うつろひ」。
「如に」「ごとくに」。
「外臣等は此所より先きが御用に立ち申すべき御見所に候」「外臣」は「ぐわいしん(がいしん)」で、ここは特に縁故ではなく実力で昇進し、且つ、特に派閥を持たないような自立した家臣の謂いであろう。「御見所」は「おんみどころ」。「独立独歩を旨として参った家臣などは、まさに、そのように見かけがなってより(老衰してより)先にこそ、上さまのお役に立てるような面目(めんぼく)を十二分に発揮出来るように成るので御座いまする。」といった謂い。
「能ぞ」「よくぞ」。
「其詞」「そのことば」。
「聞まじ」「きくまじ」。聴けなかったであろう。
「媒」「なかだち」。
「仰」「おほせ」。
「盛德」立派なる徳。
「仰奉る」「あふぎたてまつる」。
「賢媛」「けんゑん」。才媛。