譚海 卷之二 隱岐國駒とりの事
隱岐國駒とりの事
○出雲より隱岐へは渡海七里程あり。隱岐に牧駒(まきごま)有(あり)、年々繁殖するを、春ごとに駒をとりて出雲へ牽來(ひききた)り遣ふ事也。その母馬(ははうま)を一疋取得(とりえ)て四蹄(してい)を縛(ばく)し舟に乘すれば、その子馬はみなみな跡に隨(したがひ)て舟に乘り來ると云(いふ)。
[やぶちゃん注:この話、そこはかとなく哀しくなってくる。
「出雲より隱岐へは渡海七里程」誤り。隠岐諸島は島根半島の北方約五〇キロメートルに位置する。
「牧駒」放牧されいた隠岐馬。島根大学の「汽水域研究センター」公式サイト内の「隠岐馬」によれば、『隠岐馬は、奇蹄目の日本馬の一種で、体高が低い隠岐在来の矮小馬である。足は細く、蹄が強いため蹄鉄を打たなくてもよく、首は太く、たてがみは直毛で弾力があり、毛色は鹿毛(茶褐色)や青色(純黒色)が多かった。また、神経質で性急にして怒りやすく、ややもすれば人を噛んだり、蹴ったりすることもあり、御しがたい性質の馬であった』が、明治三九(一八九九)年と昭和一一(一九三六)年の二回に『わたる日本馬政局の馬政計画の実施により、隠岐馬の雄はすべて去勢され、絶滅』させられてしまったとある。リンク先には現存する十二歳の雄馬の骨格標本の画像がある。]