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2016/12/17

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(21) 神道の發達(Ⅳ)

 

 斯樣な次第で――出雲に於ける大國主神の大祭祀は數に入れないとして――祖先禮拜に四階級がある、家族の宗教、氏神の宗教、請地方の主なる神社(一の宮)に於ける禮拜、及び伊勢に於ける國家的祭祀がそれである。これ等の祭祀は今や傳統に依つて一緒に結合されて居る、そして熱心な神道家は、すべての神々を一緒にして、毎朝の祈禱の内にそれを禮拜する。さういふ神道家は、折々その地方の主なる神社に參詣する、そして出來る事ならば伊勢まて巡禮をする。日本人はみな生涯一度は伊勢の神宮に參詣するか、若しくはその代理やを送るべきものとされて居る。無論遠隔の地に住んで居るものは、誰れもかれもこの禮拜をなしうるとは考へられない、併しいづれの村でも或る期間に、その地方の爲めに杵築若しくは伊勢へ巡拜を出さない處はない――恁ういふ代表の費用は、その地方の寄附金に依つて支拂はれる。なほ進んで、日本人はみな神道の高い神々を自分の家て禮拜してうるのである、則ちその家には神棚の上に、神の守護の保證を記した板牌が置かれてあるのである――それは伊勢或は杵築の神官から得た護符である。伊勢の祭祀の場合、この板牌は聖い神社そのものの木材から通例拵へられるのであつて、その神社は古くからの慣習に依り、二十年毎に再建される事になつて居るのである――則ちその壞された建物の木材が切られて、板牌になり、全國に分布されるのである。

[やぶちゃん注:「板牌」「ばんはい」と音読みしているか。しかし、通常、これは歴史学では仏教の板状の石塔婆(いしとうば)を指す語であるから、違和感があり、ここは「御札」とすべきである。平井呈一氏も『お札』と訳しておられる。]

 

 今一つの祖先禮拜の發達――仕事及び職業を主宰する神々の祭祀――は特別な研究を値する。不幸にしてこの問題に就いて吾々の知る處は甚だ少ない。古代にあつては、この禮拜は今日よりも遙かに正確に定められ、行はれて居たに違ひない。職業は父子相傳的で、職人は、同業組合なるものに纏められて居た――恐らくそれは階級と云つても差支ないかも知れない、そして各組合若しくは階級は、多分その守り神をもつて居たに相違ない。或る場合には職業の神は、日本の職人の祖先であつたかも知れない、また或る場合には、それが朝鮮或は支那起原のものであつたらう――それは日本へその職業をもつて來た移住の職人の祖先なる神々である。それ等の事に就いて知られて居る處は多くない。併し職業組合のすべてではないとしも、その大抵は、或る時代にあつては、宗教的の組織をもつて居り、その徒弟はただに職業の内に迎へ入れられたのみならず、その神を祭祀するやうにされたのであつた。組合には織工、陶器工、大工、箭製作者、弓製作者、鍛冶工、船大工、その他の職人の組合があつて、これ等が過去に於て、宗教組織をもつて居たといふ事は、或る種の職業は、今日でも宗教の性質をもつて居るといふ事實に依つて思ひ及ぼされる。たとへば大工は今でも神道の傳統に從つて家を建てる、則ち大工はその仕事が成る程度に達すると、神官の衣をまとひ、儀式を行ひ、祈禱を捧げ、かくて新しい家を神々の保護の下に置く。併し刀鍛冶の職業は、昔にあつては職業中の尤も神聖なるものであつた、刀鍛冶は神官の衣を着て仕事をし、立派な刀身を作つて居る間は、神道の齋戒の式を行ふのである。その鍛冶場の前に、その時藁の神聖な網(締繩)が下げられる、これは神道の最古の象徴てある、その時はその家族の何人たりと島も、その内に入り、また鍛冶工に話しかける事を許されない、そしてその當人は聖火をもつて煮炊きされた食物の外喰へないのである。

[やぶちゃん注:「箭」「や」と訓じておく。]

 

 神道の十九萬五千の神社は、併しながら氏族の祭祀若しくは職業組合の祭祀、或は國家の祭祀等より以上のものを代表して居る、その多くはい同じ神の異つた精靈に捧げられたものである、といふのは神道では、人間の靈にしても、神の靈にしても、それが幾種かの靈に分かたれ、その一々はみな別々の性質をもつて居ると説くからである。恁ういふ分かれた靈は『分魂』August-divided-spirits と呼ばれて居る。たとへば食物の女神、豐受姫神の靈は、分かれて樹木の神、久久能智神と、草の女神、鹿屋野比賣神のなかに入つたとされて居る。神も人間も、また荒い靈と、穩かな靈とを、もつて居るとされて居た。それで平田は大國主神の荒い靈は甲の神社に於て禮拜され、その穩かな靈は別の神社に於て禮拜されたと云つて居る……。吾々はまた氏神の社の澤山が、同じ一つの神に捧げられて居る事を記憶して置かなければならない。恁ういふ重複、若しくは增加は、また或る主なる神社に於て澤山の異つた神々が、一緒に祭られてあるといふ事實に依つて、入れ合はせがつけられて居る。そんなわけであるから實際にある神道の神社の數は、必らずしも禮拜されて居る神々の實數を示すものでもなければ、その祭祀の種類を顯はすものでもない。『古事記』或は『日本紀』に記されてある神は、いづれも何處かに、その神社がある、そしてその他の數百の神も――後年の多くの奉祭をも入れて――その神社をもつて居る。たとへば澤山の神社に歷史上の人物――偉大なる大臣、將軍、君主、學者、勇士竝びに政治家の靈に捧げられて居た。たとへば神功皇后の有名な大臣、武内宿禰――六代の君主に仕へ、三百年の齡を過ごした人――は今や多くの神社に於て、長命と大知識とを與へる神として祈願されて居る。嘗て醍醐天皇の大臣てあつた菅原道眞の靈は、天神若しくは天滿宮の名の下に、文字の神として祭られて居る、子供達は何處でも、その書いた文字の一番良いものを、この神に捧げる。そして自分の使ひふるした筆を、その社の前に置かれてある入れものの中に入れる。曾我兄弟は第十二世紀の有名な悲劇の犧牲であり、勇士であるが、この兄弟は神となり、人々は兄弟の仲をよくする爲にそれに祈禱をする。キリスト教のジェジュイト派に對する強烈な敵であり、秀吉の有力な將軍なる加藤淸正は、佛教と神道との兩方から神として祭られて居る。又家康は東照宮の名の下に禮拜されて居る。事實日本の歷史上の大人物の多くは、そのために大抵神社をたてられて居る。そして以前には、大名の靈は、必らずその子孫竝びに後繼者の臣下に依つて禮拜されて居た。

 

    註 人間も荒い靈と穩かな靈とをもつ
    て居た。併し神は三つの異つた靈――
    荒い靈、穩かな靈、授けをする靈をも
    つて居た、――それは荒御靈、よき御
    靈、幸御靈と云はれて居る。――サト
    ウ氏の神道の復活 Satow’s “The revival
     of pure Shintau”を見よ。

 

[やぶちゃん注:「『分魂』August-divided-spirits」平井呈一氏は『ワカミタマ(分御霊)』と訳しておられる。それを支持する。

 「豐受姫神」「とようけのかみ」。ウィキの「トヨウケビメによれば、『豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている』。「古事記」では「豐宇氣毘賣神」と表記される(「日本書紀」には登場しない)。別称を「登由宇氣神」「大物忌神」「とよひるめ」等とする。「古事記」では『伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている』。『神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である』が、『後に、他の食物神の大気都比売(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった』。伊勢神宮外宮の社伝では、『雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされ』るので、『元々は丹波の神ということになる』。「丹後国風土記逸文」には、『奈具社の縁起として次のような話が掲載されている』。『丹波郡比治里の比治真奈井で天女』八人が『水浴をしていたが』、その中の一人が『老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住んでいたが、十数年後に家を追い出され、あちこち漂泊した末に竹野郡船木郷奈具の村に至ってそこに鎮まった』が、その『天女が豊宇賀能売神(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという』。なお、「摂津国風土記」』逸文では、「止與宇可乃賣神」は、『丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山(所在不明)に居たとも記されている』とし、『また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という』という。『外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている』。『丹波、但馬の地名の起源として、豊受大神が丹波で稲作をはじめられた半月形の月の輪田、籾種をつけた清水戸(せいすいど)が京丹後市峰山町(比沼麻奈為神社がある)にあることから、その地が田庭と呼ばれ、田場、丹波へと変遷したという説がある。 付近の久次嶽中腹には大神の杜があり、天の真名井の跡とされる穂井の段(ほいのだん)がある。また、神社の縁起は、大饗石(おおみあえいし)と呼ばれる直方体のイワクラであると言われている』。『福知山市大江町には元伊勢豊受大神社があ』もと、『伊勢内宮より南方の船岡山に鎮座する社で、藤原氏の流れである河田氏が神職を代々継承している。崇神天皇の御世、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)が天照大神の御杖代として各地を回るときに、最初の遷座地が丹後であった。その比定地はいくつか存する』。『伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)、奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社で主祭神とされているほか』、『神明神社の多くや』、『多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、稲荷神とトヨウケビメを祀っている稲荷神社もある』とする。

「久久能智神」「くくのちのかみ」。ウィキの「ククノチによれば、『日本神話に登場する木の神で』、「古事記」では「久久能智神」、「日本書紀」では「句句廼馳」と表記するとあり、『神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神である』とする。「古事記」に『おいてはその次に山の神大山津見神(オオヤマツミ)、野の神鹿屋野比売(カヤノヒメ)が産まれて』おり、「日本書紀」『本文では山・川・海の次に「木の精ククノチ」として産まれており、その次に草の精・野の精の草野姫(カヤノヒメ)が産まれている。第六の一書では「木の神たちを句句廼馳という」と記述され、木の神々の総称となっている』。『神名の「クク」は、茎と同根で木が真っ直に立ち伸びる様を形容する言葉とも、木木(キキ・キギ)が転じてクク・クグになったものともいう。「ノ」は助詞の「の」、「チ」はカグツチなどと同じく神霊を意味する接尾詞であるので、「ククノチ」は「茎の神」「木の神」という意味になる』。『公智神社(兵庫県西宮市)の主祭神になっているほか、久久比神社(兵庫県豊岡市)には全国唯一のコウノトリ伝説のある神社もある。木魂神社という名のククノチ神を祭る神社も複数ある。樽前山神社(北海道苫小牧市)では原野の神・開拓の神として大山津見神・鹿屋野比売神とともに祀られている。志等美神社(三重県伊勢市)では林野の神であると同時に水の神とされる』。「延喜式」の「祝詞」には、『屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)の名が見え、ククノチと同神と見られる。屋船久久遅命は上棟式の祭神の一つとされている』とある。

「鹿屋野比賣神」「かやのひめのかみ」。ウィキの「カヤノヒメによれば、「カヤヌヒメ」とも読まれ、「古事記」ではこの名で出、「日本書紀」では「草祖草野姫」『(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)と表記し』、古事記では別名が野椎神『(のづちのかみ)であると記している』。『神産みにおいて伊弉諾尊 (いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみ)の間に生まれ』「古事記」では、『山の神である大山祇神との間に』、四対八柱の『神を生んだ。神名の「カヤ」は萱のことである』。『萱は屋根を葺くのに使われるなど、人間にとって身近な草であり、家の屋根の葺く草の霊として草の神の名前となった』。『別名の「ノヅチ(野槌)」は「野の精霊(野つ霊)」の意味である』とする。『樽前山神社(北海道苫小牧市)では山の神・大山祇神(おおややまつみ)、木の神・句句廼馳(くくのち)と共に祀られている』。『萱津神社(愛知県あま市)では日本唯一の漬物の神として祀られており、タバコの葉の生産地では煙草の神として信仰されている』。清野井庭(きよのいば)神社『(三重県伊勢市)では灌漑用水の神、別説では屋船の神の分霊であるという』とある。

「荒い靈」「荒御靈(あらみたま)」。

「穩かな靈」「和御靈(にぎみたま)」。

「入れ合はせがつけられて居る」信仰体系の中での、一見、神の重複性による矛盾の辻褄合わせがつけられている、の意。

「武内宿禰」「たけのうちのすくね」或いは「たけしうちのすくね」。古代の大和朝廷初期に活躍したとされる伝承上の人物。記紀によれば,孝元天皇の子孫で日本最初の大臣とし、神功皇后の新羅征伐に従軍、その後、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代の天皇に仕え、二百数十年間に亙って官にあったという、とんでもない長寿の官僚である。紀氏・巨勢(こせ)氏・平群(へぐり)氏・葛城(かつらぎ)氏・蘇我氏など、中央有力豪族の祖ともされている。

「齡」「よはひ」。

「ジェジュイト派」カトリック教会の男子修道会イエズス会(ラテン語: Societatis Iesu)のこと。一五三四年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、世界各地への宣教に務め、日本に初めてキリスト教を齎した。「加藤淸正」は熱心な日蓮宗信者で、関ヶ原合戦によって、切支丹大名小西行長が領していた南肥後の領主に鞍替えとなるや、領内の切支丹に日蓮宗への改宗を強制、従わぬ者に対しては容赦ない弾圧を加えたことで知られる。

「サトウ氏の神道の復活 Satow’s “The revival of pure Shintau”」前に注した、イギリスの外交官でイギリスに於ける日本学の基礎を築いたサー・アーネスト・メイソン・サトウ(Sir Ernest Mason Satow  一八四三年~一九二九年)が一八七五年に「日本アジア協会」で口頭発表し、一八八二年に『日本アジア誌』誌上で論文の形としたThe revival of pure Shin-tau(「純粋神道の復活」)のこと。]

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