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2016/12/28

空の下   梅崎春生

 

[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年八月号『新潮』に発表された。底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第六巻」を用いた。一部の語句について当該段落後にオリジナルに注を附した。]

 

   空の下

 

 西の低地から、煙が流れてくる。

 私の庭先の、地上二米(メートル)ほどの高さを、それは淡くみだれた縞(しま)になって、ゆっくりと東へただよってゆく。縁側にすわって、とりとめもなく私はそれを眺めている。西風が吹いているんだな、などと思う。しかし目を立てて見ても、群れ立つ庭樹の梢や、地上の草花や雑草の穂が、ほとんど動いていないのは、風速がごく小さいせいだろう。ここにいる私の皮膚にも感じられない。だから煙がそこらを這っていても、煙の縞がもすこし濃くなってきたとしても、心配するほどのことはない。煙のにおいが微かに、鼻の奥を刺戟する。ものの焦(こ)げくすぶる、いがらっぽいにおいだ。そこでなにを燃しているのか、わざわざ縁側を降りて見に行かなくても、私には判っている。燃えているのは、古畳である。裏が白っぽく湿っているので、火付きが悪いのだ。昨日はよごれた座布団(ざぶとん)類だったし、一昨日は使いふるしの長火鉢であった。

 一昨日の長火鉢は、古ぼけた割には頑丈な出来だったと見え、ぶっこわすのに大へん手間がかかった。沢庵石(たくわんいし)をぶつけたり、鍬(くわ)の背で叩いたりして、やっとばらばらにした。ばらばらにし終えたときは、さすがの飛松トリさんも、水から引き揚げられたゴムマリみたいに、顔じゅうを汗だらけにしていた。私はその光景を、西窓を細目にあけて、眺めていたのである。その飛松トリさんの傍では、近所の古畑ネギさんが、はらはらしたような声を出して、しきりにうろうろしていた。

「まあ、勿体(もったい)ないじゃないか。まだ使えるものを、そんなにまでしなくても」

「いいんですよ」顔の汗を手の甲で拭きながら、トリさんは邪慳(じゃけん)に言い放つ。「あたしはムシムシしてしようがないんだから」

[やぶちゃん注:「ムシムシして」不安や怒りなどで気分が晴れなくて。「ムシャクシャする」と同義。私は誰でも判る語だと思っていたが、「幻化」にこの語が出る部分を公開した際、注を附けずにおいたら、意味が判らないというメールを貰ったので、敢えてここで注しておく。]

「ムシムシするったって、ほんとにおよしよ。来年にまた、要(い)るもんじゃないかね」

 トリさんは返事のかわりに、沢庵石を頭の上まで持ち上げ、地面にころがった猫板めがけて、勢いよく投げおろす。灰がバッと四散して、そこらあたりに濛々(もうもう)とたちのぼる。古畑ネギさんは袖で鼻をおおいながら、飛びはねるように後しざりする。灰のなかから呆(あき)れたような、こもった声がする。

[やぶちゃん注:「猫板」は「ねこいた」で、長火鉢の端の引き出し部分の上を蔽っている板を指す。暖かいので猫が蹲るところから、かく称する。]

「――わからずやだねえ。ほんとに。およしなさいってのに」

 飛松トリさんは、三十がらみの独身女で、背丈も五尺三四寸はある。筋肉質のいい体軀をしている。灰神楽(はいかぐら)のなかを、片肌脱(ぬ)いでつっ立っているから、片方の胸の隆起がありありと見えた。そこにも汗が流れているに違いないから、やがてべたべたと灰まみれになるだろう。そのままつっぱねるように言う。

[やぶちゃん注:「五尺三四寸」百六十一~百六十四センチ弱。当時の女性の背丈としては高い。]

「だってムシムシするんだよ。仕方がないじゃないか」

 毎年今ごろの季節になると、飛松トリさんはすこしずつおかしくなってくる。ふだんは無口なごくおとなしい女性だが、いつもこの若葉どきになると、気分のおさまりがつかなくなるらしく、所業も少々正常でなくなってくる。その時期が近づくと、眼の色が青みをおびてくるから大体わかるというのだが、私が確めたわけではないから、本当かどうかは判らない。いつか古畑ネギさんが、何かの話のついでに、私にそう教えて呉れたのである。

 飛松トリは、その低地に建てられた細長い家の、いちばん端の部屋に住んでいる。その家の台所に接した北向きの六畳間だ。身寄りもほとんどないらしく、訪ねてくる人はあまりない。日当りのわるい六畳の部屋に、終日黙々として生活している。生活の資をどこから得ているのか、私はよく知らない。知りたい気持も、別にない。家賃の上(あが)りで生活しているのかとも想像されるが、しかしそれだけでは大変だろう。その細長い軒(のき)の低い家屋は、飛松トリの所有物なのである。私の居間の西窓をあけると、目とほとんど等高に、その細長い屋根の斜面が見える。軒庇(のきびさし)は古びて朽ちかけ、瓦も割れたり脱落したりしている。脱落した部分は、泥や黄土で補塡(ほてん)してある。よほど栄養のいい泥土をつかったと見え、いろんな草がそこに密生している。花をつけているのもある。鬼瓦の横にいま黄色い花をつけているのは、タンポポである。昨年の夏などは、どこから種がとんできたのか、ひょろひょろした向日葵(ひまわり)が一本生育し、直径三寸ほどの小さな花ゐつけ、一夏の風にゆらゆら揺れていた。今年はその跡に、小さな蕗(ふき)が三四本、ポン煎餅ほどの大きさの丸い葉を、つつましやかに拡げている。飛松トリの部屋は、大体その真下にあたる。その真下の部屋でトリさんは、この二三日来目玉を青くして、しきりにムシムシしているのである。ムシムシすると家財道具を燃したくなる気持は、私にもおぼろげながら判る。私もむかし、何度も何度も、そんな気持になったことがあるから。

[やぶちゃん注:「三寸」九センチ。]

 毀(こわ)されてばらばらになった長火鉢は、古畑ネギさんの制止もふり切って、その日の夕方までにすっかり灰になってしまった。もともと長火鉢というものは、炭を燃すためのものであって、燃されるためにつくってはないから、まことに不本意な燃え方をして、灰になるまでにはなかなか時間がかかった。その跡におびただしく堆積(たいせき)した灰は、私が翌朝見たときは、そこからすっかり姿を消していた。その代り古畑一家の部屋の前の、猫の額(ひたい)ほどの庭のすみに、あたらしく灰の山がひとつできていた。いつの間にそこに移動したのか私も知らない。しかしそのうちに、古畑ネギさんが私の家に、上等の火鉢灰を売りつけに来るだろうという予感は、漠然とながら私にはある。

 昨日も春にしてはむし暑い日だったので、飛松家の裏口では、古座布団や竹行李(たけこうり)などが、終日黄色い煙をあげて燃えていた。そこら中を飛び廻るようにして制止しているのは、やはり古畑ネギさんである。ネギさんとして見れば、みすみす物が燃えてしまうのは、ひとごとながら、居ても立ってもいられない気持なのだろう。その気持もいくらか判る。トリさんは前日と同じ恰好で煙のなかに佇(た)ち、衣紋竹(えもんだけ)で燃え殻をつついたり、煙にむせて烈しくせきこんだりしていた。なにしろいい体格だから、腕ずくでとめるのも容易ではなかろう。しかし私にしても、その自信は全然ないし、だいいち他人が他人のものを燃すのに、私が口を出すいわれがある筈もない。私の家に火がつかない限りは、物が燃えようと濡れようと、さしてかかわりのあることとも思えない。だからそれはそれでよろしい。ムシムシしているのは私ではなく、トリさんなのだから、トリさんの家財が燃えあがるのは、別に不自然なことではない。

[やぶちゃん注:「衣紋竹」和服を掛けておくための竹製の道具。これは無論、トリが一緒に燃やそうとしていた、トリのものである。]

 今朝は早くから、私がまだ寝床にいるうちに、西窓の下手(しもて)にあたって、けたたましい声がした。鶏が鳴いているのかと、始めは思った。

「まあ、およしったら。畳まで燃すなんて、あんまり無茶過ぎるよ。およし。およしったら」

 古畑ネギさんの声。そしてそれに和すように、おろおろした別の声が、

「およし遊ばせ。あら、ほんとに、およしになって。あらあら」

 堀田というお内儀(かみ)さんの声である。今日は二人でとめている様子だ。トリさんの声は聞えなかった。黙々として作業に従事しているらしい。西窓からのぞいて見なくても、その情景はだいたい想像がつく。昨日おとといと、トリさんの胸のかなり見事な隆起は、見飽きるほど眺めたから、わざわざ立ってのぞいて見る嗜慾(しよく)もおこらない。その隆起を上下にゆるがせて、いよいよ古畳を引っぱり出そうとしているのだろう。昨秋の大掃除の折に見たが、あの家の畳は、裏がすっかり白っぽく黴(か)びて、しとしとと湿っていた。上をあるくとポクポクと凹(へこ)む。実はその手の畳が二枚、私の家のと入れ替わっている。大掃除のどさくさまぎれに、うまく間違えられてしまったのだ。だからそんなことまで私は知っているのだが、今トリさんが引きずり出しているのは、黴びてしめった方のやつだから、燃すのもさだめし骨が折れることだろう。そんなことを寝床でかんがえている間も、窓の外ではガヤガヤガヤと、声や音が入り乱れていたが、やがてひときわ甲高(かんだか)く、

「あなた。あなた!」

 と叫ぶネギさんの声がした。手に負えずと見て、亭主を呼ぶ気になったらしい。しかしその返事は戻ってこなかったようである。ネギさんの亭主古畑大八郎は、生憎(あいにく)とその近くに居合わせなかったのか、あるいはまた、かかわっては損だとして、見て見ぬふりをしたのかも知れない。古畑大八郎という老人は、そういう性格の男なのである。私はこの老人に、千三百円ほどの貸金がある。

 古畑夫妻は、この家の反対の端、道路に近い二部屋を占拠して住んでいる。二部屋といっても、一部屋はこの家の玄関である。飛松トリと古畑夫妻の中間の部屋には、さっきの堀田一族が居住している。つまりこの細長い家のなかには、三世帯が一列横隊にならび、それぞれの生活を営んでいるのである。家主はもちろん飛松トリさんであるが、彼女があとの二世帯に、いくらの家賃で部屋を貸しているのか、その家賃もきちんきちんと支払われているかどうか、私はよく知らない。しかし近所の噂では、ほとんど支払われていないという話だ。堀田家はそれでも、二三箇月に一度くらいは金を入れるらしいが、古畑家にいたっては、一文(もん)だに入れたことがないということである。噂だから当てにならないが、事実そういうことになっているかも知れない、とも思う。ふだんの飛松トリさんは、いい体格をしているくせに、気が弱くて無口で、あまり催促などができる人柄ではないようである。そこにつけこめば、家賃を踏み倒すのもむつかしいことではなかろう。いつだったか古畑老人がトリさんにむかって、こう怒鳴りつけているのを聞いたことがある。

「ぐずぐず言うなら、早速この家を出て行ってもらおう。あんたが居なくても、別段うちは困りやしないんだから」

 家主がいなくても店子(たなこ)は困らないだろうけれども、この古畑大八郎の言い方は、世間の通念とはすこし逆のようであった。もっとも老人にして見れば、とっさの感想を、率直明快に表現したのかも知れない。

 堀田一族はおおむね、子供から成り立っている。子供は何人いるのか判らない。皆同じような顔をしているので、ほとんど区別がつかない。四五人のようでもあるし、七八人のようでもある。じつとかたまっておれば数えられるだろうが、この子供たちはしょっちゅう動き廻っているので、正確な数はとらえがたい。朝から晩までそこら中をかけ廻っている。私の家の庭をも平気でかけ抜ける。庭というほどのものでなく、方六七間の空地にすぎないが、ぐるりを囲っていた竹垣が今はすっかり朽ち果てたので、誰でも自由に通り抜けられるのだ。もともと貧居人工に乏しく、雑草や灌木(かんぼく)が宅をおおっているだけだから、その灌木類を縫って、子供たちは騒然とわめき走る。しかしこれら子供たちも、この界隈(かいわい)のある一箇所だけは、はばかって近寄ろうとしない。それは古畑家の庭だ。古畑家と言っても、彼はほんとは間借人だから、特定の庭をもつ筈はないのだが、何時からか自分の部屋の前をキチンと竹垣で囲って、強引(ごういん)に他人の侵入をはばんでいる。空地は部屋に属しているという見解なのであろう。しかしその竹垣は、年々歳々、すこしずつ拡がってゆく傾向がある。その垣根はキチンと四角に仕切られてはいず、不規則な円形をなしているが、しかしそれがいっぺんにふくれ拡がってゆく訳ではない。タンコブのように、あちらがふくれたかと思うと、今度はこちらがふくれるという具合に、少しずつ版図(はんと)を拡げてゆくのである。いつ竹垣をうえかえるのか知らないが、昨年の今頃あたりから見ると、すでに古畑家の庭の面積は、約二倍に膨脹(ぼうちょう)したようである。その庭の手入れは、もっぱら古畑大八郎がやる。ほとんど一日の大半、彼はそれにかかり切っている。だから私の家の庭と違って、完全に手入れが行き届き、徹底的に整備してある。雑草などは一本も生えていない。丹念に育てられた花卉(かき)のたぐいが、いつもあざやかに季節の色を点じている。大八郎は一日のうち何度もここに降りてきて、花に水をやったり、肩をそびやかせてうろうろ見廻ったりするのである。

[やぶちゃん注:「方六七間」凡そ十一~十三メートル弱四方。]

 古畑大八郎は六十がらみの、骨張った感じの老人だが、まだ腰はしゃんと伸びている。ネギさんとの間には、子供は一人もない。ただ二人きりで暮らしている。うまく民生委員にとり入って、生活保護法を受けているという話だが、その他の収入としては、ネギさんがちょこまかと動いて、物資を右から左へ流したり、そこらのものをチョロまかしたりして、さまざまの利得がある様子だ。私の家の畳を大掃除の折、二枚もチョロまかしたのは、この古畑一家だとは断定できないけれども、道路から見える古畑家の部屋の畳が、二枚だけ周囲と別の色をしているのは、事実である。道を通るときにそこをのぞき込んだりすると、古畑老人はとたんにとがめるような眼付きになって、私をにらみつける。老人の眼は四角な感じの隈で、ちょっとトーチカの銃眼に似ている。この眼でにらみつけるから、堀田家の子供たちといえども、容易に近寄らないのである。その四角な眼の奥で、この老人がなにを感じ、なにを考えているかは、私にもよく判らない。私と関係のないことだから、それほど判りたいとも思わない。しかしその網膜にうつる私自身の姿は、ある感じをもって、私にうすうすと想像できる。私はこの老人と、昨年までほとんど口を利(き)いたことがなかった。口を利くほどの用事がなかったからだ。ネギさんとは時々口を利く。ネギさんが私の家にいろんな物を売りつけに来るからである。使い残しの汲取券だとか、代用石鹼だとか、そんなこまごまとしたものを持ってくる。いつかは一番(ひとつが)いの小鳥を持って売りにきたこともあった。私の庭に無断でそっとカスミ網を張り、それで捕獲したものである。その他椎茸(しいたけ)。これもたしかに私の庭で栽培(さいばい)したもの。私が庭を放ってかえり見ないから、雑草のカーテンのむこうを、古畑一家は盛んに利用しているらしい気配がある。この間偶然踏みこんで見たら、小規模ながら畠ができていたのには、私もすこしおどろいた。しかしそれならそれで、私はかまわない。雑草の代りに三ツ葉が生えるだけだから、庭の眺めとしては、それほどプラスでもマイナスでもない。そういう気がする。その三ツ葉を束(たば)ねて、ネギさんは時々私に売りにくる。採り立てで新鮮だから、滋養分も豊富だというのである。ネギさんの言うことは、平生(へいぜい)あまり信用できないが、これが採り立てであることだけは、私も確実に信用する。なにしろ古畑家の荘園に、今しがたまで生えていたものに違いないから。新鮮であるからには、値段もなかなか安くない。金がないとことわっても、代はいつでもいいからと、ネギさんは無理矢理に置いてゆく。ツケがきくほど、私は信用されているらしい。古畑大八郎氏が私に金を借りにきたのも、そういうネギさんの信用と、いくらか関連があるのかも知れないと思う。

[やぶちゃん注:「汲取券」例えば、東京都では昭和四四(一九六九)年三月まで屎尿)しにょう)の汲み取りは有料で、手数料の徴収には「汲取券」が使われていた。「東京都清掃事業百年史」(PDF)に拠った。そこには昭和三十年代の屎尿汲取券の取扱店の写真も出る。私(昭和三十二年生まれ)には残念なことに記憶がない。

「代用石鹼」苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を主成分とする粘土の一種白土(はくど)などから製せられた石鹸の代用品であろう。粗悪なものでは油脂成分を全く持たないものもあったようである。]

 それは今年の始めの、ある寒い日であった。古畑老人はどてらの着流しで、ふところ手のまま、ぬっと私の庭に入ってきた。古畑老人は心臓がわるいという話で、そのせいか皮膚は土色をしている。頭には黒灰色の髪がまばらに生えている。冬景色のなかに立たせて、これほどぴったりした人態(にんてい)は、他にあまり見当らないように思う。荒れ果てた私の庭の眺めも、中心点を得て、にわかに引き立つ感じであった。やがてその中心点が、しずかに口を開いた。金をすこしばかり融通(ゆうずう)して欲しいと言うのである。

「今はありません」と私は率直にことわった。実際に余分の金は私になかった筈だから。

「今はなければ、何時ありますか?」老人は低い含み声で、押しつけるように反問した。ブリキの貯金箱の差入口のようなれいの四角な眼が、まばたきもせず、じつと私の表情を凝視している。

 その時どういう返事をしたのか、私はよく記憶していない。いい加減に話のつじつまを合わせて、私に現在は金がないことを納得(なっとく)させ、帰ってもらったのだろうと思う。いずれそのうちに、などと口を、辷(すべ)らせたかも知れない。そこらのやりとりは、どうもあやふやである。とにかく老人は、肩をそびやかすようにして、その日は得るところなく帰って行った。なにか無形のものは得たかは知れないが、実際の金は私から借り出せなかった。古畑大八郎とまとまった会話をしたのは、この日が始めてである。

 一週間か十日か経った。私が銭湯のなかで、向いの川島さんと顔を合わせた。すると川島さんがすぐさま私に言った。

「古畑さんに金を貸すんだそうですね」

「なぜです?」と私は反問した。

「あなたから借りるあてがあるから、それまでに少し融通して呉れと、あの爺さんが言ってきましたよ」

「それで、貸したんですか?」

「ええ。二百円ばかり」川島さんは湯気の間から、照れたような、また憫(あわ)れむような笑い顔を、私の方にちらとむけた。そして言った。

「あのお爺さんと口をかわしたのは、これが始めてですよ。いつもツンとしててね」

「そう言えばそんな感じですね」

「二百円ほどでいいと言うんでしょう。貸さなきゃ悪いような気になってね」

 それと同じようなことが、ほかにもあった。裏の秋野さんがやってきて、私に同様のことを言った。

「君。古畑に金を貸すんだってね」

 それと同じ質問を、角の煙草屋のおかみさんからも受けたし、汲取屋の若者からも受けた。その若者は、私から汲取券をうけとりながら、小声でささやくように言った。

「あなた、古畑さんに融通して呉れるんでしょうね。ほんとでしょうね」

 海岸の波打際にはだしで立っていると、波が足裏のへりの砂をすこしずつ持って行く。あれに似てくすぐったいような、快(こころ)よいような、忌々(いまいま)しいような感じが、私の全身にぼんやりと感じられた。どうも私の意思とは関係なく、なにかがしきりに進行しているらしい。私はその若者に訊(たず)ねてみた。

「それでいくら貸したんだね?」

「ええ。百二十円。そのほかに汲取代の貸しが、八荷分だったかな。まとめて払うと言ってね、なかなか払って呉れねえんですよ」

 そんな風にして、古畑老人があちこちから借り集めた金は、私の集計ではざっと七八百円にのぼった。どうして古畑にそんな金が必要なのか、私にはよく判らなかった。するとある日、堀田のお内儀(かみ)さんがやってきた。あの子沢山のお内儀である。もっとも亭主はいないのだから、お内儀さんというより、未亡人というべきだろう。その色の黒いくたびれた顔の未亡人は、縁側に腰をおろして、怨(えん)ずるような声で私に言った。

「ほんとに困るんでございますのよ。あたしは夜なべをやっておりますでしょう。ですからねえ」

「そうでしょうねえ」

 どんな夜なべをやっているのか、それでどうして困るのか、わけも判らないまま、私はとりあえず相槌(あいづち)を打った。古畑のこととなにか関係があるらしい。そういう予感が私にあった。なんだかひどく身体がだるいような気分である。未亡人はその私の顔を、チラと横目で見た。

「あなたはわらってらっしゃいますけれど、笑いごとではございませんのよ」未亡人は私の方に、ぐいと上半身を乗り出すようにした。「早くどうにかしていただかなくては、口が乾上(ひあが)ってしまいますわ。ご存じかも知れませんが、子供もたくさんおりますし――」

「ええ。しよつちゅうこの庭に、打連れて遊びにいらっしゃいますよ」

「そうでしょ」と未亡人は勢いこんだ声を出した。「あの子供たちが、夜中にオシッコをしたくなるでしょう。そうするとね、柱や壁に、頭や顔をぶっつけて、コブだらけなんでございますのよ。多いのは七つもコブをつくっておりましてね。近所からコブ大臣という綽名をつけられたりして――」

「どうしてそんなに、ぶっつかるのです?」

「あら。そりやぶつかりますわ。あたしだって、時にはぶつかるんですもの」

「だって柱や壁のあり場所は、ちゃんときまっているんでしょう」と私はいぶかしく訊ねた。「それともお宅の柱は、動いたりするのですか?」

「動く柱なんてありますか」未亡人の顔に急に赤味がさして、すこし荒い声になった。「電気ですよ。よくご存じのくせに」

「はあ。電気がどうかしたんですか?」

「切られたんですよ!」癪(しゃく)にさわってたまらない表情で、未亡人は舌打ちをした。「だから夜はまっくらですよ。ほんとにほんとに、しようがない」

 電燈が止められたということが、やっとはっきり判った。そして未亡人の話によると、止められて一ヵ月近くになるそうである。そう言えばこの頃西の窓に、夜になっても燈影がささないと思った。しかしそのことが、私とどんな関係があるのか、まだ私にはよく判らなかった。すると堀田未亡人は、睨むような、また流眄(ながしめ)みたいな眼付きになって、教えるような口調で言った。

「だってあなたは、古畑さんにお金を融通するって、そう約束なさったんでしょ。あたしと飛松さんの分は、もうまとめて、古畑さんにお渡ししてあるんですよ」

 電気代の滞納を三等分して、二世帯分はすでに調達でき、あとは古畑家の分だけだと言うのだ。そして未亡人が催促すると、古畑大八郎の言い分は、私から金を融通受けしだい直ちにまとめて配電会社に支払うというのである。私は少しばかりは驚く気持にもなった。あの寒い日、そんな約束はしなかったように思うけれども、言葉のやりとりの中から、あるいは古畑老人は自分に都合のいい言葉を見付けて、いずれ借りられるものと解釈したのかも知れない。それが古畑老人の誤解であるとしても、未亡人の話では、事態はすでに遅すぎるようであった。私が意識しない間に、私が金を借り出される条件はすべてととのい、たくさんの人がその日を待ちくたびれている気配である。状況がこうであれば、私としてはどうしたらいいだろう。私は少しおどろき、また少しがっかりして、最後におそるおそる訊ねてみた。

「それであなたは、その催促にいらっしゃった訳ですね」

「ええ。古畑さんが、貴方の様子を見てこいと、そうおっしゃいましたのでね、こうしてお伺いしたんでございますのよ」

 それから未亡人が戻って行って、古畑大八郎にどんな報告をしたのか、よく判らないけれども、翌朝老人自らがやってきて、千三百円という大金を、私は簡単に借りられてしまったのである。ふだんの私ならば貸す筈はないのであるが、ずいぶん手のこんだ工作に眩惑(げんわく)されて、ついうかうかと手渡してしまった。いつ戻して呉れるかということを、確める余裕すらなかった。その朝古畑老人は、私が寝ているうちに庭に入ってきて、あわてて起き直ろうとする私にむかって、単刀直入に口を切ったのである。

「千三百円ほど、貸していただきたい」

 貸していただきたい、と言ったのか、貸していただく、と言ったのか、はっきりしなかった。後者だったかも知れない。低い含み声だったけれども、それは自信に満ち満ちた高圧的な口調であった。そして私からその金額を受取ると、ことさらムッとした不機嫌な表情をつくり、くるりと背をむけて、さも忙しげにトットッと帰って行った。今考えるとその態度は、私に余計な質問を封じる魂胆(こんたん)からだったとも思われる。

 その夜、私が西窓を細目にあけてのぞくと、細長い家の各部屋部屋に、黄色い電燈がともり、その下で集って食事している堀田家族や、寝そべって新聞を読んでいる古畑夫妻の姿などが望見された。ガラス障子を透かした燈の光が、古畑家の小庭の草花の色までも、ぼんやりと浮き上らせていたのである。それを見たとき、うまくしてやられたという感じが、始めて私をほのぼのと包んできた。巧妙にしつらえられた据膳(すえぜん)を、前後を見定めもせず、私はうっかりと食べてしまったらしい。電燈がついたからには、滞納金はおさめたに違いないが、私の名において借り集めた金を、川島や秋野や汲取屋などに返済したかどうかは、私は知らない。今もって知らないのである。

 今この縁側から、トリさんが燃す畳の煙のむこう、私の庭から一段低くなった古畑の小庭に、古畑大八郎の姿が見える。私の眠から横向きにしゃがんで、指先で草の花を愛撫している様子である。古畑家の庭は、いま三色菫(さんしょくすみれ)が真盛りである。自や紫や黄色の花々が、二列縦隊にならんで咲きほこっている。その花片の模様は、ちょっと人間の顔に似ている。顔をしかめた小人(こびと)らが、ずらずらと並んでいるように見える。古畑老人の骨張った指が、その小人らの顔を、ひとつずつ丹念に触っている。そして老人の無表情な四角な眼が、舐(な)めるようにそこに動いている。あの老人の眼からすれば、この三色董の顔の方が、人間の顔よりも、もっと人間らしく見えるのかも知れない。ことに私の顔などは、どうも顔の中に入っていないのではないか、とも思われる節がある。あれから二ヵ月も経つのに、古畑大八郎は未だに私に、全然金を戻して呉れないのである。

 あれから一月ほど経って、古畑の方から何も連結がないものだから、どうも放って置けないような気持になって、私は古畑家をおとずれた。ものごとを放って置けないような気持になることが、怠惰(たいだ)な私にも、時にはあるのである。古畑大八郎は部屋の中にいた。れいの二枚だけすり切れていない畳の上に、大あぐらをかいて、皿から南京豆をポリポリと食べていた。私の顔を見ても、皿を片付けようともせず、しきりに南京豆を口に運んでいる。ネギさんは縁側で、亭主に背をむけて、針仕事か何かをしていた。同じ部屋にいるくせに、この夫とその妻の間には、通い合うものが微塵(みじん)もないような、そんなへンテコな印象が第一にきた。丁度(ちょうど)動物園の檻(おり)のなかで二匹の獣がそれぞれそっぽを向いて、勝手気ままにうずくまっている、そんな感じにそっくりであった。私が庭に入って行っても、二人ともちらと私を見ただけで、あとは相変らず自分の作業に没頭している。

「古畑さん」と私は呼びかけた。もちろん大八郎に向ってである。「せんだって御用立てしたお金のことで、今日はお伺いしたのですが――」

 大八郎は顔を上げ、四角な眼をぐっと見開いて、私を見た。その手は相変らず規則正しく動いて、南京豆をつまみ上げている。豆を嚙むのに忙がしいのか、返事すらしない。

「――もうそろそろ、あれから、一ヵ月近くになりますし、私も近頃手もとが不如意(ふにょい)になってきたんですが――」

 カラッポみたいな感じのする眼窩(がんか)を、ひたと私に固定させて、大八郎は黙りこくって豆を食べている。向うが何ともしゃべらないから、とぎれとぎれでも、私がしゃべらなくてはならない。力こぶが入るような入らないような、妙な気持になりながら、私はあやふやに言葉をつづけた。

「――そういう事情ですから、一応のきまりをここでつけていただきたいと、実はそう思いまして……」

 そっぽ向いて針仕事していたネギさんが、その時突然アアッと大あくびをして、そそくさと立ち上り、便所の方へ消えて行った。大八郎は依然として豆を嚙みながら、四角な眼でじっと私を見据(す)えている。とたんに何かが見る見る萎縮(いしゅく)して、催促する気分がすっかりこわれてしまった。それでその日は、そのまま空(むな)しく帰ってきた。とぼとぼと帰りながら私は、その大八郎のとった方策が、『睨(にら)み返し』という手であることに、卒然として思い当った。こういう撃退方法を、私はいつか寄席(よせ)で聞いたことがある。しかしこのような方法は、落語の世界にあるだけだと思っていたが、現実にあり得るとは全く知らなかった。妙な可笑(おか)しさが私をさそった。睨み返された自分自身をも含めて、隠微な笑いが私の下腹をしばらく痙攣(けいれん)させた。あの芸を見るのに、一回分百円ずつ出すとすれば、あと十二回は催促に行かねばなるまい。百円ぐらいの価値はあるだろう。そうすれば週に一回行くとして、あと三ヵ月はかかる計算になる。それまでにひょっとすると、大八郎が根負けしてしまうかも知れないが、それならばまた、それでもよろしい。

 その日から一週間日ごとに、私は規則正しく古畑家をおとずれ、規則正しく睨み返されて戻ってくるのである。大八郎は部屋にいることもあるし、庭に出ていることもあるし、縁側に腰をかけているときもあるが、私に相対して、口を利かないと言う点では、いつも同じである。失語症にかかりでもしたかのように、私の顔をまじまじと見詰めているだけだ。一応の芸ではあるが、芸がないと言えば、そうも言えるかも知れない。ネギさんは相変らず、こまごましたものをたずさえて、私の家に売り込みにくる。私の要不要にかかわらず、物さえあれば一応は、私に持ちこんでくる習慣のようである。この間などは、どこから手に入れたか知らないが、上等皮製の犬の頸輪(くびわ)を売りつけに来たことがあった。飼犬もいない私の家に売りつけて、どうしようと言うのだろう。彼女はよごれをふせぐために、いつも白い布片を着物の襟(えり)にかけている。髪を引詰めて結(ゆ)っているので、眼尻がすこし上に引きつれている。ネギさんの眼は、亭主のそれと異って、丸い眼である。その眼をしきりにパチパチさせて、ぼそぼそと言葉を並べ、是が非でも私に買わせようとする。大八郎と私との金のいきさつには、彼女は全然素知らぬふりをしている。ふりではなく、実際に関係がないのかも知れない。夫婦は車輪のようだと言うが、古畑夫妻はこわれ果てた荷車のように、双の車輪は別別の方角を向いて、別々の廻り方をしているようだ。げんに今も、草花を愛撫する老人のそばで、ネギさんはれいの長火鉢の灰を、せっせとふるいにかけている。お互いに背をむけ合ったままである。話し合う気配すら全然ない。しかしそこに、隔絶した平安とでも言ったようなものが、うすうすとただよっている。むし暑くどろりと濁った春の午後の空の下で、それらは動かなければ、材木か石のように見えるだろう。そして向うから眺めれば、きっとこの私もそのように見えるのだろう。煙がまだ雑草灌木の上を、淡く縞(しま)になってゆるゆると棚引(たなび)いている。あの古畳も、すっかり燃え切るまでには、夕方までかかるかも知れない。

[やぶちゃん注:太字「ふり」は底本では傍点「ヽ」。]

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