■やぶちゃん版村山槐多短歌集成 大正三(一九一四)年
□大正三(一九一四)年
一九一三年より一九一四年 はじめにかけて
神樂岡宗忠が社の下に京都一のめでたき少年
居たまひき その君が臨の美しき鋭きにわが
泣きし事も幾度ぞ
[やぶちゃん注:「神樂岡」「かぐらがをか(かぐらおか)」は現在の京都市左京区南部、京大東方にある吉田山の異称。
「宗忠が社」「むねただがやしろ」と訓じておく。現在の左京区吉田下大路町にある、教派神道の一つ黒住(くろずみ)教教祖黒住宗忠を祀る宗忠(むねただ)神社。黒住宗忠は嘉永三(一八五〇)年に歿したが、六年後の安永三(一八五六)年に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。文久二(一八六二)年に宗忠の門人赤木忠春らが吉田神社から社地の一部を譲り受け、宗忠を祀る神社を創建した。慶応元(一八六五)年には朝廷の勅願所とされ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた(以上はウィキの「宗忠神社」に拠る)。
「めでたき少年」(後の添書きの「K.I.」)詩篇で既出既注の、京都府立第一中学校の一級下の稲生澯(いのうきよし)。「紫の微塵(稻生の君に捧ぐ)」の私の注を参照されたい。]
紫の孔雀の毛より美しきまつ毛の中に何を宿すや
――(孔雀のまつ毛)
浮々と君を思へば寶玉の世界の中に殘されにけり
片戀の淚に心しめす時瑠璃色の世も泣ける哀れさ
ともし火を飾りそめたる薄明の都の空に君をしのびぬ
[やぶちゃん注:底本は「ともし火」が「もつし火」。私は意味不明。或いは方言かとも思われなくもないが、ここは錯字と判断して、特異的に全集に従った。]
かなしさの淚きはまる美しの春の日ぐれよ君はいづこに
友禪に夜をつつみて君が眼の薄ら明りへ投げむとぞ思ふ
君が眼の薄ら明りに溺れたる群集の中の一人となりぬ
薄薔薇の都の空をふりそむる雨より君のにほひそめけり
かへり見てあまりに無賴なるわれよ
惡漢の戀をも君は入れたまふなさけよわれはうれしさに泣く
つひに君が音聲をさへきき得ずして別るる
片戀の苦さよ
かた思ひ春より春へはこびゆくわれをば君よ笑ひたまふな
とこしへに君を思はんこの戀は銀鎖となして未來へ曳かん
(この十一首を K.I. の君に捧げまゐらす)
美しきかの支那の子を思ひつつ野べをたどればたんぽぽのさく
この日頃心うつつに甘き酒注ぎつすごすわれの哀れさ
――(うつつのうた)――以下六首
このうつつしばらくにして消えされと願ひつ野べをたどりけるかな
ああわれはいづくに行かん茫然と立てば小鳥は美しく鳴く
爛々と赤き日沈む夕ぐれの不良の子らよ春の夕ぐれの
紫の光とともに血の滿ちし美少年こそ歩みゆきけれ
汚れたる世界に吾は投げ出され茫然として眼をつぶる
われ泣けば薄むらさきに雨ふりぬ天とわれとはけふをなげかん
わがうつつまだ消えざるにおどろきぬあめふるよるの薄ら明りに
―(消えぬうつゝ)――以下八首
美しきモーパツサンはおもしろくわがうつつをば延ばしけるかな
讀み耽るいと猥らなる物語り獸の如く心を狙ふ
雨ふればこの寂寞も美しく濡れて都をさすらひゆくも
[やぶちゃん注:底本は「寂寞」が「寂博」。全集に従った。]
靈の國の子、肉の國の子のうすくれなひに立交る夕べ
[やぶちゃん注:全集は「うすくれないゐ」に訂する。]
かの君に會ひなばいかにこの宵は美(は)しかるべきと思ひ街ゆく
プリンスとふと思ふ時わが足は浮かれてゆくも雨ふる中に
ほの靑く柳の群のそぼ濡れしけぶりの中にけぶりけぶれり
[やぶちゃん注:底本は「群」(「むら」或いは「むれ」)が「郡」となっている。全集に従った。]
うらかなしわれすなほなる心もて母に見えん事もかなはぬ
ああわれはただひとりなり才びとの常の如くにただひとりなり
かの君はいと薄紅き薄靄の中にわれをば惱ましたまふ
とこしへに君を思はん美しき君を思はん君を思はん
ああわれはひとへに君を戀すれど君はひとへにわれを忘れん
美しく暗くみにくく過ぎさりし少年の日をめでてわれ泣く
いざ行かん未來の高き天空へ天女の群と相まじりつつ
美しき春の引幕引かれつつ恍惚に入る物を忘れて
――(春のはじめ)――以下二首
八坂の塔赤し美し古びたる眼の空に赤し美し
底をゆくこの生活のおもしろさ底を極めむところまでゆけ
圓山にルノアールの畫思ひつつ貧者たたずむこの不思議さよ
ダーリアの眼つきに我を吸ひよせよ妖怪の如美しき君
薄靑き唐もろこしの畑より炎のもゆる美しの晝
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