僕の永年の憂鬱
僕の永年の憂鬱――
小学校五、六年の国語の教科書だったと思う――
詩人が、とある木に感動する――
詩人は「これは何という木だろう?」と呟くと、
友人が「○○の木だ」と言い、そうして「君は何にも知らないんだね」といったように応じる――
詩人は「そうだ。僕は何も知らない」――といった深いしみじみとした心内の述懐をするのだ――
その後は……覚えていない。ただ僕はそれが「伊藤整」という人の詩であったという強い記憶が残ってはいる。その後、成人した僕は何度か、伊藤整の詩集を繰ったのだけれど、遂に今に至るまで僕は「その詩」に出逢えていない――
教科書のその詩には大きな緑の樹が配されてあった――
どなたか――「僕にその詩を教へては呉ないだらうか?」……せめて、諸氏からこれを拡散して戴き、僕の惨めな人生の最後に、ちょっとした「木の花」添えて貰えると、恩幸、これに過ぎたるはないのである…………
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