夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅴ) 昭和四(一九二九)年 (下半期)
七月四日 木曜
春まひるたゞ片時のうたゝねに
花亂れ散る夢を見てしか
七月十二日 金曜
◇山奥の赤土の丘ぞ悲しけれ
旅人の來て立ちて靑空をあふくことも稀なり
七月十九日 金曜
◇はるかなる心をいだき地に伏して
身を切るごとき淚なかすも
◇ましろなる道を自働車よりゆきて
ほこり光りて秋づきにけり
[やぶちゃん注:「なかすも」はママ。]
七月二十日 土曜
◇一直線に切り取られたる靑空の
大建築にたふれかゝるも
◇二等車はイヤな氣がする
強盜に殺されそうな奴ばかり乘る
[やぶちゃん注:「そうな」はママ。]
七月二十一日 日曜
◇あの晩の車軸を流す大雨が
彼女の貞操を洗ひ去つた
◇カーキ色の武官ひとりかへり來る
まひるの道に紫蘇の葉光る
八月十二日 月曜
引く蟻を見てゐる己が力瘤
八月二十三日 金曜
◇わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ
狂へと責める便をながめて
八月二十七日 火曜
◇わるいもの見たろ思ふて立ちかへる
彼女の室の挘られた蝶
[やぶちゃん注:「挘られた」「むしられた」。これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、
わるいもの見たと思うて
立ち歸る 彼女の室の
挘られた蝶
の形で発表済み。]
八月二十九日 木曜
◇日が照れば子供等は歌をうたひ出す
俺は腕を組んで反逆を思ふ
[やぶちゃん注:これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、
日が照れば
子供等は歌を唄ひ出す
俺は腕を組んで
反逆を思ふ
の形で発表済み。]
九月三日 火曜
晴れ渡る空肌寒く星多し
野に泣きにゆく女あるらむ
九月十一日 水曜
◇杉の聲夜每に近く蟲の聲
夜每に遠く冬になりゆく
九月十二日 木曜
秋の夜の夢は間近く又遠し
千切れ千切れに風の音して
汽車の音聞き送りつゝ佇める
野山の涯に秋ふかみける
[やぶちゃん注:「千切れ千切れ」の後半は底本では踊り字「〱」。なお、この二首の後に、『雲低く風寒く、小鳥松の間を彼方こなた飛ぶ。影の如く、折々日パツと照り、鷹キツピーと啼く。夜に入り蟲の音滋し。』という文が書かれて、この日の日記(冒頭に歌とは無縁のメモランダ二行有り)は終わっている。]
九月十三日 金曜
◇何者か殺し度い氣持ち只一人
アハアハアハと高笑ひする
◇殺しても殺してもまだ飽き足らぬ
憎い彼女の橫頰ほくろ
[やぶちゃん注:「アハアハアハ」後半の二つの「アハ」は底本では踊り字「〱」、「殺しても殺しても」の後半も同。なお、第一首は同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、
何者か殺し度い氣持ち
たゞひとり
アハアハアハと高笑ひする
で、第二首も同じ号に、
殺しても殺してもまだ飽き足らぬ
憎い彼女の
横頰のほくろ
の形で発表済み。]
九月二十三日 月曜
大廂鬼瓦の伸びる夕日かな
[やぶちゃん注:直前に「權藤氏論」とあるが、これは久作の句と判断した。]
十月十日 木曜
筋に泣かさるゝ人形多し
人形の格に泣かさるゝ芸は些し。
[やぶちゃん注:文楽鑑賞の感懐か? 句点は打たれているいるものの、短歌形式で独立して書かれているので採用した。]
十一月十七日 日曜
鷄頭の枯れてもつゝく日和哉
[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。直前の日記末に、「午后、稽固。稽固場の鷄頭、枯れ枯れなり。」と記している。謠に稽古場の前庭の嘱目吟。]
十一月二十五日 月曜
◇親の恩に一々感じて居たならば
親は無限に愛しられまじ
◇一ツ戀かそんなに長くつゝくものか
空の雲でも切れわかれゆく
[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。第一首は二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、
親の恩を
一々感じて行つたなら
親は無限に愛しられまい
形で発表されることとなる。]
十一月二十五日 月曜
◇心から女が泣くのでそれよりは
生かして置いてくれやうかと思ふ
◇人間の屍體をみると何がなしに
女とふざけて笑つてみたい
[やぶちゃん注:第一首は、二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、
梅毒と
女が泣くので
それならば
生かして置いてくれようかと思ふ
と改稿されて載り、第二首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、
人間の屍體を見ると
何がなしに
女とフザケて笑つてみたい
の形で載ることとなる。]
十二月六日 金曜
◇飛び出した猫の眼玉を押しこめど
どうしても這入らず喰ふのをやめる
◇五十戔貰つて一つお辭儀する
盜めばせずに済むがと思つて
◇うちの嬶はどうして子供を生まぬやら
乞食女は孕んでゐるのに
[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、
飛びだした猫の眼玉を
押しこめど
ドウしても這入らず
喰ふのをやめる
と載り、第二首も同号に、
五十錢貰つて
一つお辭儀する
盜めば
お辭儀せずともいゝのに
と改稿して載せる。]
十二月六日 金曜
◇メスの刃にうつりかはりゆく肉の色が
お伽話の花に似てゐる
◇新婚の花婿が來てお辭儀する
顏上げぬうち踏み潰してみたし
[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、
メスの刄が
お伽ばなしを讀むやうに
ハラワタの色を
うつして行くも
の初稿と思われる。]
十二月二十一日 土曜
草に來て草の色してスウヰツチヨ
ある夜の月に霜に枯れしかと書き送る
[やぶちゃん注:「スウヰツチヨ」直翅(バッタ)目キリギリス亜目キリギリス科ウマオイ属ハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus の異称。私は「スイッチョン」と呼ぶ。和名は「馬追」はその鳴き声が馬子が馬を追う声のように聴こえることに基づく。本種は「スィーーーッ、チョン」と長く伸ばして鳴くが、見かけは同一でも鳴き声が「シッチョン、シッチョン」と短く鳴くのはハタケノウマオイ
Hexacentrus unicolor という近縁の別種である。]
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