■やぶちゃん版村山槐多短歌集成 大正七(一九一八)年
□大正七(一九一八)年
うつくしき花のゆするる音すなり顏ふるはして女かたれば
うつくしき世の末びととなれそめしことしの冬のあはれなるかな
腐りゆく美しき花のにほひする老女の頰をみつめくらしぬ
[やぶちゃん注:詩篇「ある四十女に」登場する女性。リンク先の私の注を参照。]
うつくしき老女の頰の彈力をわが唇にためさんとしつ
うらわかきいのちに代へてこのひとをこの老いし女を戀ふるおろかさ
旅に出でて君忘れ得ず淚落つる心よわさを誰が呉れしも
わが母よと君の乳房に觸れし夢夜毎に見るもおろかなるかな
だまされてあると知りなばこれいかにと心寒くも思ふ時あり
うつくしきヴエヌスの御世を戀ふ心君の頰見れば起りけるかな
[やぶちゃん注:「ヴエヌス」古代ローマのポンペイの守護神であった美と恋愛の女神ウェヌス(Venus)。ヴィーナス。ポンエイはしばしば「快楽の都市」と称されるから、ここはかの地を具体に想起しているのかも知れない。]
谷底に身を投げ落す心地しつ五十女に世をば忘るる
燃えさかる思ひに惱むわれを見てひとりほほえむ老いしかのひと
うら若く貴き時を安たばこくゆらす事につぶし居るかな
善き友と善き女とに甘えつつのらりくらりとくらしたるかも
かの人の頰の白さを九十九里の砂に見いでて淚ながるる
[やぶちゃん注:槐多はこの大正七(一九一八)年の九月に結核のために千葉の九十九里浜に転地療養している(しかし健康回復と再生を信じて、徒歩で東京に戻ろうとし、途中で喀血、半ば自殺行為の如くに酒を飲み、海岸の岩場で人事不省に陥るも、発見され、十月下旬には東京に戻っている)が、これは詩篇「ある四十女に」の私の注に引用したように、その年増の女性と決別する意味もあったようである。]
うつくしきヴエヌスの老いし心地するうつくしきひとをとはにわすれじ
かのひとの顏ふるはして物言ふを思ひ出してひとりわれも首ふる
うつくしき君をしのびつ鳴濱の潮の遠音に眠りいざなふ
[やぶちゃん注:「鳴濱」「なくはま」と訓じておく。現在の千葉県山武郡九十九里町作田に「鳴浜(なるはま)」という固有名詞の浜があるが、ここをその固有名詞でとると、歌が委縮するように思われるからである。]
大なる眼のはたと閉づ美しき君を思へば空のまなかに
紫の絹もて君をつつみなむ夜光の玉に似たる君をば
そのまなこ數千の星にかざられてわが眼を眩ず君見たまへば
はるかなる海の底を見る如き深きめつきの絶えざる
[やぶちゃん注:この一首、彌生書房版全集には載らない。「絶えざる」は「たええざる」と訓ずるか。]
海けむり心もけむるはるかなる沖より空もけむりそめしか
紫の海に息ふく裸びと血も赤々と日にかがやけり
大東はさみし幽けし頰なづるその岬よりふく風のごと
[やぶちゃん注:「大東」は、現在の九十九里浜の南端にある、千葉県いすみ市の太東岬(たいとうみさき)のことであろう。ウィキの「太東岬」によれば、高さ約六十メートルで、『下は太平洋まで断崖絶壁となっている』。北側には千葉県旭市上永井の刑部(ぎょうぶ)岬から『九十九里浜が弓なりに連なっており、南側には夷隅』(いすみ)『川の河口と大原の町並みが見える』。なお、皮肉にも現在、この岬には「恋のビーナス岬」という別称もあるとある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
藍色の雨より細き命ありてわれを濡せりうらさびしきも
美しき紫の花かがやかしなす畑にほふ雨そそぎつつ
一かけの氷に似たる雲消えて雨とはなりし空のさびし
金のせき紫のせきする病われにとりつき離れざりけり
アルベールエルサマンの病とりつきて東えびすはおどろきにけり
[やぶちゃん注:「アルベールエルサマン」音数律から見ても「エル」は衍字。フランスの象徴派詩人アルベール・サマン(Albert
Samain 一八五八年~一九〇〇年)。結核で亡くなっている。]
金色の酒のあとにてつかれしか薔薇いろの酒吐きしわかうど
海のべの薔薇にかがやく夕まぐれふくそよかぜはいづち行きしや
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