《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 私の生活
[やぶちゃん注:大正九(一九二〇)年一月一日発行の『文芸俱樂部』に「私の生活(3)」で掲載された。この事実から、この「私の生活」という標題は芥川龍之介の自律的なそれではなく、雑誌編集部の、作家へのこの標題での依頼に依る連載コラムであるとは思われる。
底本は旧全集に拠ったが、読みは振れると私が判断したもののみに附した。太字(新聞名)は底本では傍点「△」である。踊り字「〱」は正字化した。添え題は、ブラウザでの不具合を考えて三字下げとしたが、底本では七字下げである。
「緊要」(きんよう)は「非常に重要なこと・差し迫って必要なさま」の意。
なお、芥川龍之介は、この二年前の大正七年二月二日に塚本文と結婚しており、また、翌大正八年六月に出逢った歌人秀しげ子と、九月には不倫関係に陥ると同時に、逆にしげ子に深い失望感をも抱いている。その辺りは、私の『芥川龍之介「我鬼窟日錄」附やぶちゃんマニアック注釈』を参照されたい。]
私の生活
――調子がよければ小説を書く――
朝は九時に起きて、パンと牛乳と紅茶とで朝飯を濟ませる。「日々」「朝日」の二新聞を取上げて、先づ一番先に三面記事を見る。(「時事」や「讀賣」は、此一二年來、文壇に出てからといふもの讀まない。)
それから調子がよければ小説を書きに、この書齋へ入る。調子が惡ければ、小説を書かないで本を讀む。
午(ひる)は普通の飯を食ふ。三杯位。特に好きな食物と云つて別にないが、煙草は、到底一と色(いろ)ではすまされぬ。紙卷、西洋の刻み煙草、葉卷などを、二色(ふたいろ)か三色いろいろなのをのむ。
風呂は僕の家でたてるので、每日か或は一日隔(お)きに入る。
髮は滅多に刈つた事がない。三月に一度も刈らないだらう。
――散步、酒、遊戲――
きまつた散步といふものはしない。たゞ東京の街の中へ人を訪ねて行くとか、買物に行くとかする時 に步く位(くらゐ)である。
酒は日本酒も西洋酒も飮まない。少しは飮む事もあるが、しかし、うまいとは思はない。別に好きな料理屋などが何處(どこ)にあるといふのではない。人と飯を食ふ時、行當りばつたりの家へ入る。
遊戲の心得は殆どない。只水泳が少しやれる位のものだ。
芝居も見るし、活動寫眞も見る。また音樂も聽く。だが必ずしも、そんな處に行かなくてはならぬといふのではない。殊に芝居はこの頃では見に行つても、人と話をしてゐる丈けである。さういふ意味で、必ず僕にしなくてはならぬのは、少くとも一週間に一遍(ぺん)位(ぐらゐ)は人中(ひとなか)へ入る事である。そして、人浪(ひとなみ)に搖られるやうな心持(こゝろもち)になるのである。それは往來でもよい。實際これは僕に取つて緊要(きんえう)な事であつて、それがないと、何となく萎縮してしまふのである。
――男と生れた甲斐には――
帽子は時に黑の中折(なかをり)を、時に茶のソフトを被(かぶ)る。着物などには別段の好みももつてゐない。惡く粹(いき)がつたなりなどは嫌ひである。僕は御覽の通り紫檀(したん)の机を二つ使つてゐる。一つは本などを置く机で、一つは原稿紙を置いて書く机である。本箱は、あの安物の西洋家具屋の店先に竝んでゐるやうなものは嫌ひである。好きな動物? 猫を飼つてゐる。御覽に入れませうか。西洋種(せいやうだね)の虎のやうな毛色をした、大きい奴で、頸には銀色の鈴をつけてゐる。
外國語は英語丈(だ)けが讀める。他は獨逸(ドイツ)、佛蘭西(フランス)、伊太利(イタリー)皆讀める程でない。
僕も男と生れた甲斐(かひ)には、どんな女でも好きである。僕の小説の好きな人なら特別に。
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