谷の響 五の卷 二 羽交(はがひ)に雄の頸を匿す
二 羽交(はがひ)に雄の頸を匿す
文政の年間なるよし、合田某と言へる人鐡の名手なるが、ある日殺生打に出て八幡宮の林に至り、鴛鴦鴨(をしがも)のあるを見て一放に打とめ、卽(やが)て立よりその鳥を視るに咽首(のどくび)に中り、頸は斷切(ちぎれ)て其あたりに見えざれば、其まゝ打棄て歸られき。さるにあくる年のこの月日に、圖らず又八幡宮の林に至りて鳥や居ると看眺(ながむ)るに、又鴛鴦鴨のありければ否や打とめ摘擧(とりあげ)て見るに、こたびは雌鳥にてその羽がひに骨ばかりなる鴛鴦鴨の首を匿せり。合田氏不圖(ふと)去年のことを想像(おもひだし)、滿身(みうち)寒粟(ぞつ)として覺えず冷汗を流せしが、其肉を喫ふに忍び得で屍を埋みて歸りしなり。さてこのことを子供に語りて殺生打を禁令(いましめ)、今に此家にては殺生打は爲さぬよしなりと、水木某の語りしなり。
[やぶちゃん注:「羽交(はがひ)」単に鳥の羽の意味もあるが、狭義には鳥の左右の翼が重なる箇所を指す。ここも、話柄とその映像的イメージの哀感とともに、その狭義の方で採るべきである。
「匿す」「かくす」。
「文政の年間」一八一八年~一八三〇年。
「合田某」弘前藩の鉄砲組の者であろう。
「殺生打」「せつしやううち」。生きた獣を狙撃すること。
「八幡宮」単にかく言う場合は、現在の弘前市八幡町にある弘前八幡神宮であろう。弘前城の鬼門(北東)の押さえとして八幡村(旧岩木地区。原型の創建は、平安初期に坂上田村麻呂が東夷東征の際に岩木村に宇佐八幡宮の分霊を勧請、戦勝祈願をしたものとされる)から遷座されたもので、藩政時代は領内の総鎮守として筆頭の神格を持っていた。
「鴛鴦鴨(をしがも)」鳥綱カモ目カモ科オシドリ属オシドリ Aix galericulata。馴染みの鳥類では性的二型の際立つ種である。
「一放」一発。
「卽(やが)て」直ぐに。
「立より」「立ち寄り」。
「其まゝ打棄て歸られき」ここは首を打ち捨てて帰った、ととっておく。首尾一体でない獲物は狩りでは本来は忌み嫌われるから、本体も打ち捨ててとも採りたいのだが、そうすると、エンディングの雰囲気に微妙に上手くないと私は思うからである。
「あくる年のこの月日に、圖らず又八幡宮の林に至りて」共時的で共空間であることから、これ自体が共感呪術的現象であることに注意。
「看眺(ながむ)るに」二字へのルビ。
「否や」「や否や」と同義。即座に。
「摘擧(とりあげ)て」二字へのルビ。
「去年」「こぞ」と読みたい。
「想像(おもひだし)」二字へのルビ。動詞として訓じている。
「寒粟(ぞつ)として」二字へのルビ。
「冷汗」「ひやあせ」。
「喫ふ」「くらふ」。喰らう。
「屍」「かばね」であるが、私として「むくろ」と訓じておきたい。
「埋みて」「うづみて」。
「禁令(いましめ)」二字へのルビ。]

