小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(20) 神道の發達(Ⅲ)
日本の文學者の誰れよりも以上に、平田は吾々に神道神話の內にある政敎政治をよく了解さしてくれる――吾々の期待しうるやうに、日本の社會の古い秩序と密に契合して居る政敎の關係を。社會の最下級には、只だ家々の神殿若しくは墓場に於てのみ禮拜される普通の人民の靈がある。その上には同じ氏族の神則ち氏神がある――それは守護神として今禮拜されて居る古い統治者の靈である。平田は言ふ、すべての氏神は出雲の大神――大國主神――の支配の下にある、そして『氏神はみな大神の代理として働き、人々の生前、生後、竝びにその死後の運命を統治して居る』と。その意味は、普通の亡靈は、目に見えざる世界に於て、氏族の神則ち守護神の命令に從ひ、そして生存中の組合での禮拜の狀態は、死後までもつづくといふのである。つぎの言葉は平田の書きものから引用したものであるが、興味ある言である――それはただに個人の氏神に對する假定的な關係を示すのみならず、個人が生まれ故鄕を去るといふ事が、以前にあつては如何に世間の意向に依つて判斷されたかを語るのてある――
『人がその住居をかへる時、その人の始めの氏神は、居を移した其地の氏神と取り極めをしなければならない。斯樣な場合には先づ古い神に別離を告げ、新しい管理の地に來た後、出來る限り早く、新しい神の宮に詣るが至當である。人には其住居をかへるに至らしめた表面の理由は澤山にあらう、註併しその實際の理由は、その人が氏神の機嫌を害し、從つて其處から逐はれたか、或は他の地の氏神が、その轉住を交渉したかに外ならない…』
註 サトウ氏の飜譯、圈點は私(小泉
先生)のつけたものである。
[やぶちゃん注:以上の二箇所の平田篤胤の引用については、やはり、平井呈一氏訳になる「日本 一つの試論」(一九七六年恒文社刊)で、平井氏が訳注を附しておられ、そこには平田篤胤の「玉襷 五之卷」が引かれてある。以下に孫引きさせて貰う。但し、私のポリシーから、恣意的に正字化し、一部にひらがなで歴史的仮名遣で読みを附し、読点を追加した。
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大國主ノ神は。幽冥の事の本(もと)を統領(スベヲサ)め給ふにこそあれ。末々の事は。一國に國魂神(くにみたま)一ノ宮の神あり。一處には産土(うぶすな)ノ神、氏神ありて、其ノ神たちの持分(モチワケ)て司(シリ)たまひ。人民の世に在る間(ホド)は更にも云はず。生(ウマ)れ來(コ)し前も。身退(ミマカ)りて後も。ほどほどに治め給ふ趣(サマ)なり。
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大抵世ノ人の其(ソノ)本居(ウブスナ)の地を放れて他所(よそ)に住むことは、現(ウツツ)に種々(クサグサ)の由緣(ユエヨシ)有ルめれど。其(ソ)は人事にこそ有れ。幽には產土神に忠(マメ)ならで所を逐(ヤラ)はるゝと。其ノ移(ウツ)れる處の鎭守神と。本居(モトヲリ)の神と神議(カミハカリ)まして物(もの)し給ふとの二ツを出ず。然(シカ)れば本(モト)生(ウマ)れたる處を放(ハナ)れて。他處に移(ウツ)り住む人は、まづ其ノ本居の神を拜し。次に今住する處の神を拜すべし。
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「サトウ氏」イギリスの外交官でイギリスに於ける日本学の基礎を築いたサー・アーネスト・メイソン・サトウ(Sir Ernest Mason Satow 一八四三年~一九二九年)。イギリス公使館の通訳・駐日公使・駐清公使を務めた。日本名を「佐藤愛之助」又は「薩道愛之助」と称した。初期の日本滞在は一時帰国を考慮しなければ実に一八六二年から文久二(一八八三)年に及び、後の駐日公使としての明治二八(一八九五)年から明治三〇(一八九七)年を併せると延べ二十五年間になる。詳細は参照したウィキの「アーネスト・サトウ」を参照されたい。以上のそれは、彼が一八七五年に「日本アジア協会」で口頭発表し、一八八二年に『日本アジア誌』誌上で論文の形となった“ The revival of pure Shin-tau ”(純粋神道の復活)辺りからの引用か。私はサトウの著作を読んでいないので、これ以上の注は控える。]
これに依つて各人はその生存中竝びに死後も、氏神の臣下であり、下僕であり、從者であると考へられるであらう。
素よりこれ等の氏族の神にはいろいろの階級がある、それは丁度生きて居る統治者、土地の君主にいろいろの階級があると同じてある。普通の氏神の上に、各地方の主なる神道の神社で禮拜されて居た神々が立つのであるが、その神社は、一の宮則ち第一級の神社と言はれて居る。恁ういふ神は、大抵以前廣い一地方を統治して居た君公則ち比較的大きな大名の靈を祭つたものであつた、併しすべてがこの定則で律せられるわけには行かない。その內には木火土金水等の原質若しくは原質的力――風、火、海――の神、長命、運命、收穫等の神――その眞の歷史は忘却されて居るが、もとは多分氏族の神であつたと思はれるやうな神々もある。併しすべての他の神道の神の上に皇室祭祀の神々――御門の祖先と考へられて居る神々がその位置をもつて居るのである。
神道禮拜の高級の形式に就いて言へば、皇室の祖先禮拜の形式こそ、國家の祭祀であつて、尤も重要なものである、併し必らずしもそれは最古のものではないのである。最高の祭祀は二つある、伊勢の有名な神廟に依つて代表されて居る日の女神の祭祀と、杵築の大社に依つて代表されて居る出雲の祭祀とである。この出雲の大社は遙かに古い祭祀の中心である。それは神々の領土の第一の統治者である日の女神の弟から出た大國主神に捧げられたものである。皇統の建立者の爲めに自分の王土を讓り、大國主神は目に見えざる世界――則ち亡靈の世界の統治者となつたのである。この影の領土に、すべての人の靈は死後に入つて行くのである。かくして大國主神はすべての氏神を統治して居るのである。故に吾々はこの神を死者の皇帝としても宜いのである。平田は言つて居る『尤も良い事情の下にあつても、人は百年以上生きて居る事は望み難い、併し死後大國主神の目に見えぬ土土に行き、その臣下となるのであるから、早くこの神の前に頭を下げる事を知れ』と……詩人コオリッヂの筆になつた驚くべき斷片『カインのさすらひ』“The Wanderings of Cain”の内に表明されて居る怪異な空想は、事實古い神道信仰の一箇條を成して居ると考へられる、曰く、『君主はただ生者の神にして、死者には別の神あり……』
[やぶちゃん注:「日の女神の弟から出た大國主神」「大國主」(おほくにぬし)については、ウィキの「大国主」によれば、「日本書紀」本文によるならば、ここに出るように天照大神の弟素戔嗚命(すさのおのみこと)の息子とするが、「古事記」及び「日本書紀」の一書や「新撰姓氏録」には、素戔嗚の六世の孫、また、「日本書紀」の別の一書では七世の孫などとされる。『スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。だが、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいう』とある。
「『尤も良い事情の下にあつても、人は百年以上生きて居る事は望み難い、併し死後大國主神の目に見えぬ土土に行き、その臣下となるのであるから、早くこの神の前に頭を下げる事を知れ』」やはり、平井氏訳の「日本 一つの試論」で、平井氏がここに訳注を附しておられ、そこには平田篤胤の「玉襷 四之卷」が引かれてある。以下に孫引きさせて貰う。但し、私のポリシーから、恣意的に正字化し、一部にひらがなで歴史的仮名遣で読みを附し、読点を追加した。
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殊に此ノ現世に居(ヲ)る間(ホド)は。長くとも百年を多くは越えぬを。此ノ世を退(マカ)りては。永く大国主ノ神の幽冥(かみごと)に歸して。其ノ御制(ミヲサ)めを承給(ウケタマ)はる事なれば、今より常に拜(ヲガ)み奉るべきは勿論の事なり。
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正直、戸川氏の「土土」(どど)は躓く。
「コオリッヂの筆になつた驚くべき斷片『カインのさすらひ』“The Wanderings of Cain”」イギリスのロマン派詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge 一七七二年~一八三四年)の一七九八年発表の散文詩。こちらに原文があり、ここで引用する“The Lord is God of the living only, the dead have another God.”は、その丁度、中間部に出現する。]
舊日本に於ける儒者の神は、勿論御門――神の權化現人神(あらひとがみ)――であつた、そしてその宮殿は國家の聖所、至聖所てあつた。その宮殿の內に賢所 Place of Awe 則ち宮中の禮拜の行はれる皇室の祖先を祭る私の神殿があつた、――これと同じ祭祀の公式は伊勢で行はれる。併し皇室は代理を以つて(今でもさういふ風に禮拜を行つて居る)杵築と伊勢と兩方で禮拜を行ひ、また大きな諸方の聖所でもそれが行はれて居る。以前は神社の多數は皇室の收入に依つて支へられ、若しくは一部それに依つて支へられて居た。また重要な神道の神社はみな大社小社として分類されて居た。その第一の階級に屬するものが三百〇四社あり、第二級のものが二千八百二十八社あつた。併し神社の多分はこの官省の分類の內には包含されて居ず、地方の支持に依つて立つて居た。神道の神社の記錄に上りて居る全數は、今日十九萬五千を超過して居る。
[やぶちゃん注:「賢所 Place of Awe」「かしこどころ」。明治維新後に整序創建された宮中三殿(賢所・皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん:天神地祇を祀る)の一つ。皇祖神である天照大神を祀り、その御霊代(みたましろ)である神鏡「八咫鏡(やたのかがみ)」(複製)が奉斎されてある。小泉八雲が「皇室の祖先を祭る」というのは皇祖たる天照大神を祀るという点でなら正しいが、個別の歴代天皇、及び、皇族の霊を祀るという点では「皇霊殿」が別に存在するから、この文脈では誤解を生み易く、誤りと言うべきであろう。「Awe」(オー)は「畏れ・畏怖・畏敬」の意。「賢」は「かしこむ」「畏む」で、「相手の威光を畏れ多いと思う・敬って慎む」であるから、英訳としては正しい。
「諸方の聖所」諸地方の主な総社や、有力な神社の意。
「その第一の階級に屬するものが三百〇四社あり、第二級のものが二千八百二十八社あつた。併し神社の多分はこの官省の分類の內には包含されて居ず、地方の支持に依つて立つて居た。神道の神社の記錄に上りて居る全數は、今日十九萬五千を超過して居る」「文化庁」の平成二七(二〇一五)年刊の「宗教関連統計に関する資料集」(PDF)によれば、そこに出る最終調査数(昭和一三(一九三八)年で、
国幣社以上が百九十八社、府県社以下が四万九千五百四十四社、境外無格社が六万六百四十七社で、総計は十一万三百八十九社
とある。因みに、本書「神國日本」は彼の没した明治三七(一九〇四)年の刊行であるが、同年のそれは、
国幣社以上が百七十一社、府県社以下が五万六千五百十九社、境外無格社が十三万六千百三十九社で、総計は十九万二千八百二十九社
である。しかし、その二年前の明治三十五年のデータでは、
総計神社数は十九万六千五十六社
を数えており、小泉八雲も示した数値が決していい加減なものでないことが判る。]
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