2017年お年玉電子テクスト 梅崎春生 「犬のお年玉」
[やぶちゃん注:昭和三〇(一九五五)年三月号『小説新潮』初出。
発表当時、梅崎春生は満四十を迎えたばかりであった(彼は大正四(一九一五)年二月十五日生まれである)。
また、作中に登場する画家「秋山」というのは、「立軌会」同人の画家秋野卓美(大正一一(一九二二)年~平成一三(二〇〇一)年)がモデルである。元「自由美術協会」会員。梅崎春生より七つ年下。「カロ三代」やエッセイ「二塁の曲り角で」にも登場する(リンク先は私の電子テクスト)、ちょっとエキセントリックな設定人物である。梅崎春生は、彼とかなり親しかったようである。
「長者門」と出るが、梅崎春生の当時の家は練馬区の建売住宅で、そんな御大層なものではない。唯の普通の家の門柱を想起されたい。念のため。
「六百匁」は二・二五キログラム。
「半町」は五十五メートル弱。]
犬のお年玉
「人間も四十になれば、そろそろ自分の顔に責任を持ち、自分の仕事にも責任を持たねばいけませんな」そして秋山君は盃をぐっとあけ、酔いであからんだ眼で、私の顔を見据(す)えるようにした。「あなたもそろそろ、四十でしょう。もう四十男になったでしょう?」
「四十男だなんて、厭な言葉を使うな」と私は答えた。
「まだ四十男でなんかあるものか。あと二箇月ばかり、間がある」
「二箇月なんか、月日の中に入りませんよ」秋山君はきめつけた。「あんたはすでに、立派な四十男です。いつまでも若い気持でいては困ります。はた迷惑ですよ。自分の所業に責任を持たなくちゃダメ!」
私と彼とはおでん屋でさし向いで飲んでいたのだが、どういういきさつでこんな話になったのか、私も相当に酔っていたから、今は覚えがない。秋山君というのは、私より五つか六つ年少の画家で、素面(しらふ)の時はそうでもないが、酔っぱらうと、とかく他人に訓戒を垂れたり、意見をしたがる癖を持っている。この場合も何かの言葉のやりとりで、その訓戒癖が出て来たのだろう。
「四十になれば責任を持つべきなんて、それは昔風の考え方だよ」と私は反駁(はんばく)した。「今どきそんな考え方は通用しない」
「何故です?」
「何故って、昔と今とは、人間の平均寿命が全然ちがう。昔の尺度で今は計れないんだ」と私は攻勢に出た。「孔子様は、三十にして立ち、四十にして惑わず、とおっしゃった。ところがあの時代の人間の平均寿命より、今のはずっと伸びて来ているんだ。老人医学なんかがずいぶん発達したからね。だから孔子の言葉を、今にあてはめれば、四十にして立ち、六十にして惑わず、というところかな。現今では四十歳なんか、まだまだ責任をとるべき年齢じゃないよ。四十はまだ青年だ」
「あんなことを言ってらあ」と秋山君はせせら笑った。
「いくら平均寿命が伸びても、四十は四十です。四十年間生きてきたという事実にかわりはありません。それをごまかそうなどとは、虫がよすぎる」
「いや、年齢というものは、世の中のふり合いで考えるべきだよ。つまり、相対的にだね。現に君だって、三十をとっくに越しているくせに、一向に立っていないじゃないか」
「立っていますよ」秋山君は弱味をつかれたのか、顔をあかくして、とたんに声を大きくした。「立っていますとも。朝から晩までただ立ち通し、ですよ」
「さあ、どんなものかな」と今度は私がせせら笑った。
「山田の中の一本足のカカシみたいなせりふだが」
「おや」秋山君は盃(さかずき)を置いて、眉の根をふくらました。
「あんたは僕のことを、カカシあつかいにするのですか。かりそめにも、チャンと生きている人間をつかまえて、それをカカシとは――」
「お客さん。お客さん」
頭がすっかり禿げ上ったおでん屋の主人が、事態急と見たのか、台の向うから言葉やわらかく注意した。
「お静かに願いますよ。なにしろ歳末は警戒がうるさいんでね」
「喧嘩してるんじゃないよ」と私が答えた。「ちょっと議論していたんだよ」
「そうだ。議論だ」秋山君は面白くなさそうに口をとがらせて、唇に盃をあてた。「ワカラズヤがいると、直ぐに議論が始まる」
「ワカラズヤとは、僕のことか?」
「きっぱりあんたのことだとは言いませんよ」秋山君は憎憎しげに言い放った。「言いませんけれどもだ、その傾向があるということだけは、間違いありません」
年の瀬ともなれば、男という男はたいてい、精神的あるいは経済的な理由によって、気持が鬱屈(うっくつ)してくる。むしむしとやり切れなくなってくる。おそらく秋山君もそういう状態におちていて、それが酔いとともにこじれて、そしてかくの如く私につっかかってくるのだろう。大体そういう具合に推察したから、私は真正面から相手にならないことにした。丸禿げ主人の手前もあるし、四十に間近いという自覚と自重があって、秋山君のつっかかりを左に避け右にすかし、ずんずん盃を重ねているうちに、酔いがしたたか全身に回って、あとの記憶はすっかりなくなってしまった。
ふと目が覚めると、私は自分の家の寝床に、ひとり横たわっていた。ズボンもはいたままだし、身体の節々がぎくしゃくと痛い。咽喉(のど)がひどく乾いている。干鮭みたいにカラカラに乾いている。
私はけだるく半身を起して、枕もとを見た。ギョッとした。
枕もとに盆が置かれ、その上に薬罐(やかん)とコップが乗っかっている。その大きな薬罐が、見覚えのない新品で、ピカピカと電燈の光を反射させていたのだ。その反射光でちょっと眠がくらみ、それが薬罐であると理解するのに、五秒ぐらいはかかったと思う。
「なんだ。薬罐か。驚かせやがる」と私は口に出して舌打ちをした。「こんな薬罐を、何時の間に買い込んだんだろう」
しかし薬罐とわかれば、もう驚くことはないので、私はおもむろにそれに手を伸ばした。水がたっぷり入っているから、ずっしりと重い。コップに注いで二杯たてつづけに飲んだ。我が家の水は井戸水であるので、水道の水に比較して、酔いざめの水としてもはるかに旨い。しかしこの夜の水は、水が新薬罐になじまないせいか、きめが荒いような感じで、いつもほどは旨くなかった。旨くないけれども、咽喉がカラカラだから、夜明けまでに三四度目を覚まして、コップで合計六杯か七杯飲んだ。すなわち新薬罐の水の半分を、朝までに飲み干したことになる。
朝八時過ぎ、私はごそごそと起き出で、新薬罐をぶら下げて茶の間に出て行った。もう朝の食卓の用意がととのっている。卓上に薬罐を置き、熱い茶をすすりながら、私は家人に言った。
「新しい薬罐もいいが、やはり酔いざめの水は古い薬罐がいいね。どだい水の旨さがちがうようだ」
「そうですか」
「今夜からやはり中薬罐にして貰いたいな。中薬罐はどうした?」
私の家には薬罐が三つあって、その大きさによって、大薬罐、中薬罐、小薬罐、と名がついている。大薬罐は家族全般用、中は枕もとの水のためのもの、小は私が酒をあたためる用のもので、それぞれ用途がちゃんと定まっている。三つとも六七年前に買い求めたものだから、型も古いし、相当にくたびれている。生活の垢(あか)とでも言ったものが、三つの薬罐の肌に滲みこんでいて、見るからに古色蒼然放としているのだ。
私は訊ねた。
「こんな新式の薬罐、お歳暮にでも貰ったのか。それとも歳末売出しの福引きで当ったのかね?」
「あんなことを言ってる。福引きなんかで当るもんですか。自分で買ってきたくせに!」
「自分で?」私はびっくりして新薬罐を見た。「これ、俺が買ってきたのか?」
「そうよ。昨夜、ぶら下げて帰ってきたじゃないの」
「そうかなあ。全然記憶にないが――」私は憮然(ぶぜん)として周囲を見回した。「どうしてそんなものを買う気持になったんだろう?」
「しっかりしなくちゃ困りますよ」つけつけした口調で、「もうそろそろあんたも四十ですからね、自分の所業に責任を持たなくちゃ、こちらが困りますよ。夢うつつで薬罐なんか買い込まれては、全然はた迷惑です」
秋山君とそっくり同じことを言っていると思いながら、私は口をつぐんでいた。抗弁する余地もなかったし、それに自分でも少し気味が悪かった。自分の意識の外で、薬罐を買ったり、その他どういう行動をとったのだろう。ものを買うという意志的行為を、夢うつつでやったことが面白くない。夢遊病者というのがあるが、私も一時的なそれにおちいったのではないか。
「しょんぼりしてやがるな」
その気持をごまかすように、しきりにあたりを見回しながら、私はひとりごとを言った。
「何が?」
「いや、古薬罐のことだよ」
大薬罐は火鉢の上でシュンシュン鳴っていたし、中薬罐は食卓の下、小薬罐にいたっては石油コンロのかげに小さくなって、しょんぼりしていた。新薬罐は食卓上に倣然と坐りこんでいる。新薬罐は柄も太く、胴体に固定していて、口もずんぐりと短い。見るからに安定感がある。蓋の湯気の出る穴も新型で、湯気が上方にではなく、横にふき出るような工夫がしてあるのだ。
その卓上の新薬罐を、三つの古薬罐はそれぞれの位置から、しょんぼりと眺めているように見えた。薬罐にも表情があることを、この朝私は初めて知った。新入者に対する畏怖と妖妬、自分の型の古さにおける引け目、そんなのが三つの薬罐の表情にありありと感じられた。
「なかんずく、大薬罐が一番しょんぼりしているよ」
大薬罐は火鉢の上で、景気よくシュンシュンと鳴っていたが、それもどうやら虚勢のようで、見渡したところ、これが一番がっくりと打撃を受けているらしく見えた。それはそうだろう。新薬罐の出現によって、その位置を取ってかわられそうなのは、まさしくこの大薬罐であったから。大薬罐は新薬罐とほぼ大きさは同じだが、なにしろ型が古くてよごれているし、柄なんか外れかかっているし、地肌にもところどころ凹みが出来ている。とても新鋭の薬罐に太刀打ちは出来ない。第一姿がひょろひょろと不安定だ。
その時家人がその大薬罐を、急須の茶に注ぐために、火鉢から外した。早速私は新薬罐の柄をつかみ、火鉢に乗せてみた。底がピタリと五徳に合い、まことに具合がいい。私は言った。
「夢うつつで買ったにしては、なかなか具合がいいじゃないか。見なさい、この坐りのいいこと」
食卓に置かれたその大薬罐は、湯気をはくことを止め、げっそりと肩を落して坐っていた。それは貧寒に、不機嫌にすら見えた。皆の注意と関心が新薬罐にあつまり、自分が完全に無視されていることを、大薬罐はあきらかに嘆き怒っていた。
私はその大薬罐に同情をかんじながら、注がれた茶を口に持って行った。
間二日おいて、秋山君が自転車に打ちまたがり、バクをしたがえて、私の家にやって来た。
バクというのは秋山君の愛犬で、黒い毛がふさふさと生えた、見るからにバクバクとした犬で、バクと言う名がこれほどぴったりした犬は他にない。
そのバクの姿を見ると、我が家のエスが縁の下から、プロレスラーみたいにおどり出て、けたたましくほえ立てた。バクもいきり立ってほえ返した。
「バク!」と秋山君が叱った。
「エス!」と私が叱って、縁から飛び降り、エスを鎖で柿の木につないだ。
その間に秋山君はバクを、長者門の門柱に同じくつないだ。そしてのそのそと縁側に上ってきた。
「こんちは。先日は失礼しました」と秋山君はぺこりと頭を下げた。「いい忘年会でしたなあ」
「あまりいい忘年会でもなかったよ」と私は答えた。「それは何だね、手に持ってるのは?」
「お年玉ですよ、エスの」秋山君は手にした包みをごそごそと解いた。あらわれたのは、金属製のボールだ。「これです」
「エスにお年玉?」私はいささか驚いて反問した。「エスにお年玉とは、また奇抜なことを考えたもんだね」
「奇抜?」秋山君はきょとんとした。「奇抜にも何も、エスにお年玉を買えって、あんたが強要したんじゃないですか。エスの食器が古くなって、可哀想だからって」
「え。僕がそんなことを言ったか」
「言いましたとも。そしてあんたは、自分へのお年玉として、薬罐を買ったでしょう。あれ、チャンと持って帰ったでしょうね」
「持って帰りはしたが――」私は困惑してへどもどした。
「そこらへんの記憶が、今全然ないんだ。どういう具合にして、僕はあの薬罐を買い求めたんだね」
「へえ、全然覚えてないんですか。驚いたなあ」秋山君は嘆声を上げた。「そんなにあの夜、酔っぱらってたんですか。そんなに酔ってるようには見えなかったがなあ」
「やはり酔ってたらしいんだよ」私は小さくなった。「それ以外に解釈がつかない。一体あれはどこで買ったんだね?」
秋山君の話によると、おでん屋を出て二人でふらふらと駅に歩く途中、歳末売出し中の金物屋があって、店頭に薬罐がずらずらとかざられていた。『薬罐祭り』と貼紙がデカデカとしてある。私は予定の行動の如く、その店につかつかと入りこみ、最新型の薬罐を指差した。それを店員に包ませながら、私は秋山君に言ったという。
「これが僕自身へのお年玉だよ。なかなかしゃれてるだろう」
「あんまりいい趣向でもないですな」
「いい趣向だよ。君もひとつ買え。ああ、そうだ。うちのエスの食器が古くなって、ボロボロになっちまったから、お年玉として新しいのをひとつ買って呉れよ。エスだって、きっと君に感謝するよ」
秋山君が辞退し尻込みするのを、私はほとんど脅迫的に、秋山君に金を出させて、ボールを買わしたと言う。身に覚えのないことながら、あまり紳士的な所業ではなかったらしい。
「そうかね。それは済まなかったな」私はあやまった。
「でも折角持って来て呉れたんだから、やはりエスにお年玉ということにしよう。僕の家の台所用にしたら、君も不本意だろう」
「もちろんですよ」秋山君は口をとがらせた。「もちろんエスの食器ですよ。金を出させられた揚句、あんたの台所用に使われたら、僕の立つ瀬がどこにありますか」
「だからエスの食器にすると言ってるじゃないか」
庭ではエスとバクが、それぞれの鎖を最大限に引っぱり、眼を険しくしてさかんにほえ合っている。鎖の関係上、組打ちは出来ないようになっているが、何故犬というやつはあんなにほえ合ったり、かみつき合ったり、格闘したがるのだろう。それぞれの主人には忠実に仕えるが、同族同士では眼を吊り上げて盛んにいがみ合う。同族間の団結心というのが全然ないのだ。これじゃあとても、人間族が地球から亡びた場合、次代を犬に任せるわけには行かない。犬に任せたら世界はめちゃめちゃになってしまうだろう。やはり次代は蟻とか蜂とかネズミとか、団結心の強い、組織力のある動物にとって代られるだろう。犬なんてやつは、主人がいなけりゃやって行けない動物だから、おそらく人間と共に亡びてしまうだろう。思えば哀れな動物だ。エスにお年玉を貰いっ放しでは気の毒なの一で、帰るという秋山君を引きとめて、夕食を共にした。魚屋からアンコウを六百匁買い求め、アンコウ鍋をかこみ、酒を飲んだ。歳末のやりくりはどうにか果たしたと見え、この夜は秋山君はあまり訓戒癖も出さず、つっかかる気配もなかった。
酒をあたためたのは、れいによって小薬罐である。
新薬罐は石油コンロの上にでんと坐って、シュンシュンと盛大に湯気をふき上げていた。
「さすがに威風堂々としていますなあ」と秋山君は感嘆した。「まるで戦艦大和みたいだ」
「そんな逆コース的表現はいけないよ」私はたしなめた。「この新薬罐のおかげで、古薬罐たちがしょんぼりしているよ」
そして私は、古薬罐たちの表情について、一席の説明をこころみた。秋山君はアンコウの肝(きも)ばかりをよって食べながら、私の話に耳を傾けていたが、私が話し終ると、膝を乗り出すようにして言った。
「実はそれに似た経験が、僕にもあるんですよ。つい近頃」
「へえ。やはり薬罐かね」
「僕のは薬罐じゃなくて、湯タンポです」と秋山君はまた肝をつまんだ。「今まで使っていた湯タンポはブリキ製で、どうも具合がよくないもんですから、新しくシンチュウ製を買って来たんです」
シンチュウ製を買って来たら、ブリキ製のやつがとたんにしょんぼりして、やるせない表情をつくったと言う。で、その夜はひどく寒かったものだから、秋山君は二つの湯タンポに湯をたっぷり入れ、寝床に入れて寝た。たいへんあたたかくて快適であったそうだが、その夜半、古湯タンポの栓がゆるんだかどうかして湯をふき出して、蒲団がびしょぬれになったという。
「古湯タンポのやつが、大いにひがみ心を起して、絶望的レジスタンスを行ったらしいんですな」秋山君は憮然として、また肝を探してつまみ上げた。「その前の晩まで、そんな不始末はしなかったのに、その夜に限ってそんなことになったのは、偶然だとは考えられないのです」
「そうかねえ。しかし、二つも入れて寝たから、あたたか過ぎて、君が夢うつつで足で蹴とばしたんじゃないか?」
「そんなことはありませんよ」秋山君は断乎として言った。「あたたかいからって、湯タンポを蹴とばすなんて」
「その古湯タンポは、そこでどうした?」
「しゃくにさわったもんですから、古毛布にくるまったままのそいつを、雨戸をあけて縁の下にたたき込んでやりましたよ。人間に反抗するなんて、とんでもない奴です」
「毛布にくるんだままだって。では古湯タンポの栓がゆるんでたかどうかは、調べてみなかったのかね?」
「調べるもんですか。しゃくにさわって、そんな余裕はありませんよ」
「じゃ、びしょぬれの犯人がその古湯タンポかどうか、判らないじゃないか」
「調べなくったって、判りますよ」秋山君は宙をにらむようにした。「そんなことを仕出かすのは、あのやくざなブリキ湯タンポにきまっています」
犯人はブリキ製湯タンポでなく、君自身、すなわち君のオネショではなかったのか、と口まで出かかったが、やっと我慢した。三十をとっくに越した男にそんなことを言って、怒られたらこまるからだ。折角いい気持で飲み食いしている秋山君を、刺戟することもなかろう。
大いに飲み、かつ食ったけれども、鍋にはまだアンコウが相当に残った。それをエスとバクに食わせることにして、秋山君が気軽に立ち上り、夜の庭に出て行って、両犬にそれぞれ食器をあてがった。両犬はほえ疲れて、地べたに寝そべっていたが、アンコウを見ると、いそいそと立ち上った。秋山君が庭から私を呼んだ。
「おなかを空かしていたと見えて、両方ともガツガツ食べていますよ。おや、エスの方はあまり食べないようだな」
私は縁側に出て行った。見るとエスの方には洗面器をおろした古食器をあてがい、新品の金属ボールの方をバクの前に置いている。バクは大喜びしてボールの中のアンコウをむさぼり食べている。
「おい、おい」と私はとがめた。「その新食器は、エスへのお年玉じゃないか。困るよ。取っかえて呉れ」
「いいじゃないですか。今晩だけだから」秋山君はバクの頭をいとしげに撫でた。「バクだって食器らしい食器を持っていないんですよ。そのバクをさしおいて、わざわざエスにお年玉を持ってきてやったんだから、その僕の気持に免じて、今晩だけはバクに使わせてもいいじゃないですか」
エスはそのバクの食器が気になるらしく、じっとそちらの方をにらみ、思い出したように古食器に頭を突込んでいる。よその犬が自分よりいい食器を使っていることを、面白くなく思っているらしい表情であった。私は言った。
「エスがひがんでいるよ。エスはひがみっぽいから、きっと後でロクなことにならないよ」
「大丈夫ですよ」
やがてアンコウをすっかり食べ終えたバクを、自転車につなぎ、秋山君は夜道を自宅に帰って行った。
私が心配した通り、食器の問題において、エスは大いにひがんだ。
秋山君のお年玉の新食器では、エスは食事をとろうとしないのである。相当に味良くつくってやっても、においを嗅ぐ真似をするだけで、のそのそと退散してしまう。それを古食器にうつしてやると、どうにかむさぼり食べる。他犬のお古をあてがわれてたまるか、と言ったような心意気がうかがわれる。
このエスという犬は、どこか変ったところのある犬で、二年ほど前私の家に何となく居ついてしまった。居ついたと言っても、それは昼間だけの話で、夜はどこかに行ってしまうのだ。
それからふしぎに思っていろいろ調べてみると、このエスという犬は、私の家から半町ほど離れたK氏宅の飼犬で、K氏宅ではジョンと呼ばれていることが判明した。つまりエスは、エスとジョンの二つ名をもって、両家にかけもちで飼われていたわけになる。どういうわけでK氏宅の番犬だけに甘んぜず、私の家にも仕官する気になったのか、エスは言葉がしゃべれないから、その間の事情は一切不明である。
そういう飼犬は私も困るし、K氏宅でも困るだろうと思つたから、私がK氏に交渉して、首尾よく私の家に引取ることになった。すなわちエスは二重生活をきっぱりと清算したわけだ。ところがこの処置を、エスはあまり満足には思わなかったらしい。
両方で飼われている方が、食事の量も多いし、また食物の種類にも変化がある。そんな事情かとも思うが、それも推察の域を出ないのだ。犬の気持は判らない。
私の家に正式に飼われるようになってから、エスはとみに怠惰な犬となった。わざと怠けているような気配さえある。怠けるのみならず、大へんにひねくれてきた。
正式に飼った以上、犬小屋をつくってやろうと言うので、材木屋から板を買い込み、私は手が不器用なので、秋山君に来てもらった。
ところが秋山君もあまり器用なたちでなく、まるまる半日をついやして、やっと不恰好な犬小屋が完成した。それ以後エスはそこに寝泊りする身分になった。
先日この犬小屋の位置を移動させる必要がおこり、私は犬小屋に綱をつけ、エッサエッサと庭のすみまで引っぱった。
それがエスの気に入らなかったらしい。小屋の住み手に一言の相談もなく、位置を勝手に移動させたこと、それがエスのカンにさわったらしいのだ。
移動させたその日から、エスは犬小屋に寝泊りすることをピタリとやめた。毎晩ふくれっ面をして縁の下に寝ている。
犬小屋の方は寝わらが敷いてあるし、縁の下より快適であろうと思うが、エスは頑として犬小屋に入らない。ぶるぶるふるえながらも縁の下から出て来ようとしないのだ。
犬小屋を旧の位置に戻せば、エスは犬小屋に戻ることはハッキリ判っているが、こうなれば私も意地である。飼主には飼主としての見識もあれば自尊心もある。そうそうエスの御機嫌ばかり取っているわけには行かない。私が屈伏すれば、エスはますます増長するだろう。増長させることはエスのためにもよくない。
そこで私は犬小屋の古わらをすっかり撤去し、ふかふかした最上等のわらを近所の農家から分けて貰い、それを具合よく犬小屋の床にしきつめた。そして犬小屋の板壁の隙間もメバリして、防寒設備をしてやった。これほどサービスしてやったから、エスが機嫌を直して呉れるかと思ったら、全然そうでない。その快適な犬小屋を横目でにらんで、相変らず縁の下でふるえている。何と言う強情な犬だろう。もうこれ以上のサービスは私には出来ない。
食べ物のことだってそうだ。
犬の動作の中で何が私が一番好きかというと、それはものを食べている時の有様である。犬がバリバリと骨をかみ砕き、がつがつと食べているところを眺めるのが私のたのしみのひとつである。私自身あまり食欲が旺盛でないので、その代償作業として、エスのさかんな食欲を眺めるのを好むのだ。
だからエスの食事は、もっぱら私がこさえてやることになっている。私はエスの身になり、エスの口に合いそうな食事を、ありあわせの材料でせっせとつくる。
ところがそのつくった食事を、エスが縁の下からのそのそと這い出で、ちょっとにおいを喚いで、フンと横に向くのだから、たちまち私は激怒する。折角苦心して犬食をつくり、がつがつの状況を眺めんものと楽しみにしているのに、そんなにカンタンにそっぽを向かれては、怒るのも無理はなかろう。
すなわち私はエスの頭をひっぱたく。あるいは尻を蹴飛ばす。
私からひっぱたかれたり蹴飛ばされたりすると、エスはもうその食事は絶対に口にしようとしないのだ。食事をそのままにして置いて、あとは何も与えないでいても、一日経っても、二日経っても、エスは我慢している。腹が減っていないのかと思って、別口のエサを与えると、エスは飛びつくようにして食べる。しかしひっぱたかれた件の食事だけは、絶対に近づこうとしないのだ。頑固一徹もここに極まれりと言うべきであろう。
こういうエスであるから、秋山君お年玉の食器においてひねくれたとなると、もうこれは絶対と言ってよろしい。頭を新食器に突っこんでやっても、断乎として拒食するにきまっている。
そしてお正月になった。
私たち人間はおとそを飲み、お雑煮を食べて、正月を祝った。
ところがエスの食事がない。
昨夜の年越しソバは食べ尽したし、お雑煮はエスに不適当であるし、そこで元日の昼、わざわざエスのためにメシをたいた。
「お正月だから、エスにも御馳走してやった方がいいな。新年は人間だけにでなく、犬にも来るんだから」と私は言った。「今日はふんぱつして、二の膳付きと行こう。秋山君の呉れた食器もあることだし」
そして古食器の方に汁かけメシをごてごてと盛り、新食器の方におせち料理のカズノコやゴマメやカマボコを入れて、柿の木の根元においてやった。
エスは縁の下からのそのそと這(は)い出てきた。畜生のあさましさで、お正月を知らないから、お目出度いような顔もしていない。
もっとも犬の側からすると、お正月を祝うなんて、人間の浅間しさだと思っているかも知れない。
家族あつまって、縁側からエスの動作を眺めていた。エスはふてくされた顔で、両方の食器のにおいをそれぞれ嗅ぎ、おもむろに古食器の方に顔をつっこんで、汁かけメシをむしゃむしゃと食べ始めた。十分間ばかりかかって、一滴の汁一粒の飯も余さず、古食器の方は食べてしまった。
そして顔を上げると、舌を長く出して自分の顎をペロペロとなめ、そのままとことこと縁の下に戻って行った。新食器の中の小田原カマボコやカズノコには全然口をつけずにだ。
「何という犬だろうねえ」と私は長嘆息した。「こんな強情な犬は見たことがないよ。あの新食器のやつを、古の方にうつしてごらん。どうするか」
カマポコ、カズノコの類は、そこで古食器にうつされた。
するとエスはそれを縁の下から眺めていたが、移動作業が完了したと見るや、またのそのそと縁の下から這い出してきた。そしておもむろに古食器に顔をつっこんだ。
こうなればもう言うこともない。
エスにはエス並みの鬱屈した気持があるのだろう。殴ったって蹴飛ばしたって、どうにもなるものでなかろう。
折角の秋山君のお年玉だったが、最初にバクに使わせたばかりに、我が家ではムダなものになってしまった。しかしその責任の大半は秋山君にある。その金属ボールを別途に使用したとしても、私は秋山君から文句を言われる筋合いはない。
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