甲子夜話卷之三 18 蘭奢待、初昔の文字
3-18 蘭奢待、初昔の文字
蘭奢待と云名香は、東大寺の寶物なれば、東大寺の文字を隱て名としたる也。宇治の初音、後昔の名あるも、何とか時節ありて、其時より廿一日前に摘たるを初音と云ひ、夫より廿一日後に摘たるを後昔と云ふとぞ。是も廿一日の字を合せし也。
■やぶちゃんの呟き
「蘭奢待」「らんじやたい(らんじゃたい)」は「蘭麝待」とも書く、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香として知られる。ウィキの「蘭奢待」等によれば、『正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は』、ここで静山が「東大寺の文字を隱て名としたる也」(「東大寺」のそれぞれの文字を総て隠し入れて香の名としたもので、「蘭」の(もんがまえ)の内に「東」が、「奢」の(かんむり)に「大」が、「待」の(つくり)に「寺」の字を配した雅名である。『その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権力者にとって非常に重宝された』。重さ十一.・六キログラムの『錐形の香の原木』で、成分からは伽羅(きゃら:東南アジアに植生するアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ(アキラリア)属アキラリア・アガローチャ
Aquilaria agallocha などの「沈香木」類などが風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵された際、その防御策としてダメージを受けた内部に樹脂を分泌し、蓄積したもの。それを乾燥させ、木部を削り取ったものがこれ。原木は比重が〇・四と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになるため、これが「沈(水)」の由来となっている。幹・花・葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道に於ける組香での利用に適している)に分類されるものである。但し、本品は『樹脂化しておらず』、『香としての質に劣る中心部は鑿』『で削られ』て『中空になっている(自然に朽ちた洞ではない)。この種の』加工法は九〇〇年頃に始まったものであるので、本「蘭奢待」は『それ以降の時代のものと推測されている』。『東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木。日本には聖武天皇の代』(七二四年~七四九年)『に中国から渡来したと伝わるが、実際の渡来は』十世紀以降と『する説が有力である。一説には』推古天皇三(五九五)年という説もあるが、先の処理法から見て採れない。『奈良市の正倉院の中倉薬物棚に納められており、これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取っている』。近年では、二〇〇六年一月に『大阪大学の米田該典(よねだかいすけ。准教授、薬史学)の調査により、合わせて』三十八ヶ所の『切り取り跡があることが判明している。切り口の濃淡から、切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもあるため、これまで』五十回以上は『切り取られたと推定され、前記の権力者以外にも採取された現地の人や日本への移送時に手にした人たち、管理していた東大寺の関係者などによって切り取られたものと推測される』とある。
「初昔」「はつむかし」これは後で「宇治の」と静山が記しているので判る通り、茶葉(正確にはそれから製した抹茶)の呼称で、茶摘みの最初の日に摘んだ茶葉で製した抹茶の銘である。但し、これは本来、江戸初期の造園家で遠州流茶道の祖としてしても知られる小堀遠州が、従来の白みを帯びた色の茶を名付けたものという。なお、「蘭奢待」の隠し字同様、「昔」を「廿」「一」「日」の合字と捉え、八十八夜前後の「二十一日」間の前半・後半に葉を摘んだものを「初昔」・「後昔(のちむかし)」とする俗説もあり、静山はここではそれを挙げて述べることで興じているのである。
「云」「いふ」。
「隱て」「かくして」
「後昔」「のちむかし」。前注参照。
「何とか時節ありて」何かと、茶葉とそれからこしらえる美味玄妙なる抹茶の風合いに時節それぞれの微妙な違いがあって。
「其時」八十八夜。前注参照。
「夫より」「それより」。
「摘たる」「つみたる」。