尾行者 梅崎春生
[やぶちゃん注:昭和三二(一九五七)年一月七日号『週刊新潮』初出。底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。
なお、「3」の頭に出る「花巻ウドン」とは、かけうどんの上に炙った海苔を揉み千切ったものを載せたものを言う。江戸時代からこの呼称である。
同じく「3」の「鉄火場」は博奕場(ばくちば)、賭場(とば)のことである。
同じく「3」の「ゼロ号夫人」というのは「零号夫人」。その世界で、正式な妻を「一号」、経済的に養って囲うところの所謂、「妾(めかけ)」を「二号」と呼ぶ習慣から派生したもので、「一号」でも「二号」でもない、則ち、「妻子ある男性と恋愛感情だけで純粋に結ばれている女性で、その男からは一切の経済的援助を受けない愛人」を意味する。戦後の一九五〇年代に、経済的に自立した愛人の妻子ある男性と対等な立場を有する女性を示す言葉であったが、昭和後期には死語となった。]
尾行者
1
奥さま。御報告申し上げます。
今日で三日、御主人の調査にあたりましたが、結論を先に申しますなら、御心配の線はまだ出ていません。
毎朝お宅を出るのが、七時三十分から三十五分の間ですね。あなたはお嬢ちゃんと御一緒に、門前に立つて、一分十秒前後見送っていらっしゃる。
御主人が二本目の電柱の角でふりかえって手を上げ、お嬢ちゃんが小さな掌でそれにこたえる。この挨拶がすむまでの時間は、二秒と狂いません。三日間の平均は、一分十一秒足らずでした。
美しい光景です。多分八年の間、そういう送迎の光景がつづいてきたのでしょう。
今朝はあなたは変な眼で、通りすがりの男をごらんになりました。口鬚(ひげ)の濃い、縁無眼鏡をかけた、外交員風の男をです。あれが変装したわたくしなのです。見わけがおつきにならなかったでしょう。変装はわたくしの得意とするところなのです。
役所に着くのは、八時十五分から二十分の間、そして退庁時間は、五時五分から十分でした。したがって六時前の帰宅は、直線コースをたどったという証拠になります。執務時間中たまに所用で外出し、その足で帰宅なさるとか、あるいはよそに廻るという例外も勿論考えられますが、原則的には以上の通りなのです。
役所には新聞記者の詰所があり、記者クラブと呼ばれています。Q君という飲み友達の記者が協力して呉れました。いいえ、調査費用のかさむ心配はありません。飲み友達ですし、クラブであくびをしているよりは、退屈しのぎになるといった腹なのです。失礼な言い方をお許し下さい。Q君は酒飲みですが、玄翁でたたいても割れないほどの口の堅い男です。
「庶務課だったら、イカレ型の給仕が一人いるよ。あいつに聞けばいい」
とQ君は言いました。
「女の子はいけないよ。敵につつ抜けだ。スパイは古来、陽当りの悪い女でインテリと、相場がきまっている」
Q君は地下食堂のカツ井で、給仕を手なずけました。
わたくしどもは一隅に陣どりました。反対の隅のテーブルで、御主人はカレーうどんを食べていました。差出がましく恐縮ですが、御主人に治療を勧めて下さい。爪楊枝を(つまようじ)三本も折るほど、御主人のムシ歯は悪化しています。口のあけ具合、爪楊枝の使い具合から察しますと、右上の奥から二本目か、三本目と思われます。
「坂井君。君の課のことを書いてやるぜ。何か美談のごときものはないかね?」
Q君が釣り出しにかかりました。坂井少年はうまそうにカツ井に食いついたまま、左手で自分の首をすとんと叩き、上眼使いをしてにやりと笑いました。
「バカだな。君のクビを飛ばして、何の足しになるかい。美談だよ。悪くすると表彰ものだぜ」
「大過なきは出世の近道だよ」
少年もなかなか達者なもんです。
「課長はどう? やかましいんだってね」
とQ君はたたみかけました。
「ガムシねえ」
少年は思わせぶりに首をふりました。
「ガムシ? ガムシとは面白いあだ名だね。来歴を言ってみな」
「恰好(かっこう)がガマ、女癖が悪くてマムシ、だからガムシと言うんだろう。よく知らないよ」
「知らないって言いやがる。名付親のくせに。係長は?」
「ブラかな」
「へえ。そいつは新型だね。うつろいやすいは政党の名前ばかりと思ったら、君が来て以来、庶務のあだ名も総辞職じゃないか。そのブラってのは、銀ブラのブラか?」
「世の中は、なんのヘチマと思えども、てな顔つきでいるけどさ、ブラリとしては暮されもせず。そのブラさ。達者なもんだよ。来春の異動で、課長はかたいね」
「呆れたガキだよ。おれよりも詳しいぜ」
とQ君はわたくしに笑いかけて、さりげなく、
「吉富さんはどうだい?」
と切り出しました。いよいよ御主人の番です。忌憚(きたん)なく、部下の声をお伝えします。
「ノロイーゼはいいね」
坂井少年は言下に答えました。
「へえ。かしこいようでも、やはりアプレだね」
Q君はくすくす笑いました。
「そいつを言うなら、ノイローゼだ」
しかし坂井少年は動ずる色もなく、けろりとして言いました。
「ノイローゼじゃないんだよ。判らねえかなあ。こう墓地に向いてね、Qさんから先の人がかかればノロイーゼ、ぼくら生きのいいのがノイローゼ。同じ病気でも、かかりようで二つさ」
「墓地に向いてと来たな。まあいいさ。ところでノロイーゼは、そんなにいいのかい?」
「そんなにいいってことはないけどさ、反応がノロイんだよ。生れつきもある。一つには、承知で呆ける。大石内蔵(くら)、昼あんどんの血筋だね。政治なんかに道楽気をおこさないで、官僚街道を進めば出世するけれど、行きつく先は、また家老どまりだね。殿様の柄じゃないね」
坂井少年はQ君の誘導と、カツ井のお礼心もあって、御主人に関し、なお若干の有益な証言を提供して呉れました。毎朝少年は御主人に『新生』一個を買いにやらされます。御主人の昼食はうどんのモリか、まれにはタネモノをおごることもある。ソバはあまりお好きじゃないようですねえ。地下食堂で二十円乃至四十円の出費です。
月給二万円と少しのうち、御主人の小遣いが三千円で、もう少し節約して欲しいと奥様が御冗談にねだった時、
「煙草代と昼飯代を引いて、いくら残ると思う。月に一度か二度の友達づき合いもさせない気か」
と御主人が言われた由、うかがいましたけれども、煙草代約千二百円、昼飯代が約八百円、残額の千円が娯楽、交際費と、帳面づらはそうなっていても、奥さまのお言葉通り、どこかおかしいところありと、わたくしもにらみました。
案の定、副収入が判明しました。二ヵ月に一度か、三ヵ月に二度ぐらい、名もない雑誌に経済記事などを頼まれて書き、その稿料が月平均二千円程度になるようです。正確な使途は目下不明ですが、三日のうち、一晩は新宿で学校友達と飲み、四カ所安酒場を歩き、その二ヵ所で御主人が勘定をもって、概算八百円程度の散財でした。
中の一日は、最短距離を通り、六時前に帰宅なさった筈です。
あとの一日は、同僚の一人と東京温泉の大衆浴場につかり、あとで屋上の外れにある碁会所で将棋を三番、うち二回は御主人の勝ち、そして中華ソバをとって食べました。
御主人の出費は四百円あまりで、同僚はラーメン代だけ支払っています。
以上がこの三日間の中間報告ですが、奥様が懸念なさるごとき事実は、まだ気配も見えません。
読後火中のこと、くれぐれもお願い申し上げます。
2
奥様。御安心下さい。御懸念の向きは依然、兆(きざし)もございませんでした。
定時に退庁して、地下鉄で渋谷に出た御主人を尾行したのです。わたくしはハッピを着て、職人に変装していました。
とあるビルの前を、四、五へん……六、七へんにもなりましょうか、御主人が往復なさった時は、何かあるかと思いましたが、何ごともおこらず、道玄坂に戻って百軒店まで散歩、それから下北沢乗換えで帰られました。
事情はかんたんです。ビルの中には、ボディビルの体育場が出来ているのです。
御主人が体の衰えを意識していると、いつぞや奥様はおっしゃいましたが、三十八歳と言えばまだ衰える齢ではありません。思い切ってボディビルをお勧めになったらいかがですか。御主人も若干その気になっておられるようですから。
散歩中、にぎやかな通りで足をとめたのは、洋装店、家具店、靴屋、菓子屋などの前でした。あの日奥様がお召しになっていらっしたカシミヤのスーツは、御主人のお見立とか。わたくし、瞼の裡に今もはっきりと灼きつけて憶えていますが、ほんとによくお似合いでした。お世辞と受取られては困りますけど、ほんとにこの世の方ともおぼえませんでした。
家具屋の前では、三面鏡の前で、一番長く足をとどめていたようです。うつり具合をためすつもりか、頰ぺたをぶっとふくらませたり、にやにや笑いをしてみたり、約三分間。
靴屋では女靴の棚をしばしごらんになり、洋菓子店前でかなり躊躇(ちゅうちょ)なさったのは、お嬢さんのお土産を考えられたのでしょう。結局、駅前で、ビニールの袋に詰めた百円のキャンデーをお求めになりました。
奥様の御心配も、わたくしの尾行も、まるっきりムダなような気がしてなりません。世間には、奥さま、わたくしのように終電前ではめったに帰らない、不心得な亭主も多いのです。御主人は模範的です。理想の夫です。いいえ、誇張やお世辞ではありません。良人の鑑(かがみ)といっても過言ではありません。それにしても、わたくしはなぜ、こんな余計なことまで申し上げるのでしょう。
平生なら、事務的に、官報のように、切りつめた文章で、御報告する筈(はず)ですのに。
奥様にお目にかかったのは、月曜日でした。
事務所の入口でためらっておられる奥様に話しかけて、事務所を通さずに私的な御協力をお誓いしたのは、ほかでもございません。
このような方が不仕合わせであっていいものか、そう思ったからなのです。この所業がうちの所長に知れれば、クビになるぞという判断がはたらきながら、わたくしはそうせずにはいられませんでした。
どうぞ御懸念が晴れますように。
最初、わたくし、御主人をのろいました。やがて、同じ三十八歳の男でありながら、世間はなんて不公平なんだろうと、柄にもなくわたくし、ひがみました。あなたが不仕合わせになるのなら、この世には神も仏もない。神も仏も信じないわたくしが、しんからそう思ったのです。職業柄臆測はつつしむべきですが、今となってはわたくし、八年前の結婚当時と変らぬ初々しさを、お二人の間に感じます。
倦怠期……とあなたはおっしゃいました。万一それが倦怠期であるとしても、何とふくらみのある倦怠感でしょう。
顔を合わせれば口汚なくののしり合い、お互いの愚行の積み重ねで、こじれにこじれた自嘲や自愛の思いが、憎しみという形しかとり得なくなってしまったわたくしどもの夫婦仲を、奥さま、是非一度ごらんに供したいくらいです。
とんだおしゃべりをして、申しわけございません。今後は一切、事務的に処理いたします。読後火中のこと、くれぐれも。
3
奥様。わたくし、平静です。極めて平静にこの報告をしたためています。平静にしたためようと努力しています。
今日は土曜日で、半ドンでした。御主人は地下食堂で花巻ウドンを食べました。花巻とは渋いですねえ。しかし、どうせ食べるなら、値段も同じですから、タヌキかキツネウドンの方が、カロリーが高くて栄養的だと思いますが、いかがなものでしょう。
それから、将棋をさした同僚に、二人の女事務員と、四人連れだって、東劇で映画見物です。男二人が半々に切符代を出しました。お勤めの間には、奥様、こうしたつき合いも、時にはしなくてはならないものらしいです。
映画が終ると、尾張町に出て、二人の女事務員は地下鉄にもぐりました。それから御主人と将棋氏は、日劇のミュージックホールヘ、どちらが誘うともなく、はいりました。
ストリップが終った時、二人はつまらなそうな顔付きで、席を立ち、外に出ました。外に出て、御主人は帽子をとり、どういうつもりか頭髪をごしごし引っ掻き、フケを落す仕草をなさいました。男性として申しますが、奥さま、御主人にボディビルを是非お勧めになって下さい。気休めにはなるでしょう。身体の衰えよりも、衰えを必要以上に意識することがくせものです。これは坂井少年のいうノロイーゼの兆候です。
将棋氏とは有楽町で別れ、千駄ヶ谷駅で御主人は下車しました。
奥様。わたくし平静に御報告しているつもりですが、違いましょうか。平静であるという自信のもとに、わたくしこのお便りをつづけます。ずいぶん思いあぐんだ上での決心なのです。どうぞ奥さまも冷静にお読みになって下さい。
御主人が途中下車した時、わたくし、てっきりどなたかお知合いを訪ねるものとばかり思っていました。そう言えば、有楽町で将棋氏と別れたあと、公衆電話でひとしきり話していたのが、今思い出されます。
御主人はあの界隈に多い旅館の一つにおはいりになりました。
旅館と申しても、奥様、御存じでしょうが、逆さクラゲなのです。それだけならまだいい、と申してはなんですけれど、実は、もっといけないことが起りました。
玄関先に丹前姿の女があらわれ、御主人の腕をとるようにして、さも待ちかねた風情で内に招じ入れたのです。
錯覚ではない。断じてない。まだ明るい五時前のことです。それに、たった一人の身寄りを、どうして見聞違えましょう。その女というのが、奥様、わたくしの実の姉だったではありませんか。
敗戦後家の姉は、幼い三人の子供をかかえて、人並以上の苦労をしました。わたくしどもの両親は、戦時中、相次いで病死したのです。
姉は敢然とヤミ星の仲間に入り、伝手(つて)をたどって鉄火場の物売りにまで出かけました。戦後二年目に復員したわたくしは、行くあてもなく、しばらくの間、身ぐるみ姉の世話になったのです。
誇りだけは高かった往時の箱入娘は、いくたの難難を経て、筋金入りのいい姐御(あねご)になっていました。やがて姉は小金が出来たらしく、中央線沿線に小さな洋装店を開きました。堅気に戻ったわけです。三人の子供たちも不自由なく、すくすくと学生生活を送っています。
子供たちの将来を考えて、ずいぶん迷ったこともあるようですが、いくらわたくしが再婚をすすめても、うんとは言いませんでした。
ふつうなら、吉富さんが奥様の御主人でなければ、このことも姉のために、泣いて祝福して上げたいところです。そう言えば、因縁めきますけれども、死んだ義兄はお宅と同じ役所に勤めていたのでした。
わたくし実は、ふとした不行跡の尻ぬぐいを姉に委せて以来、姉の家にいることが出来なくなり、それで余儀なくこんな私立探偵みたいな仕事をやっているのです。それ以来姉の家には、敷居が高くて寄りつけないのです。
奥様。わたくしにはもう奥様のお心を推し測るゆとりはなくなってしまいました。
わたくしは思い切って、半ばやけっぱちになり、その旅館の玄関に入りました。年増の女中がお世辞笑いをうかべて、迎えました。わたくしは訊(たず)ねました。
「いまの二人連れは、よく来るの?」
女中は警戒の色を示しました。
「警察の方ですか?」
わたくしが否定すると、女中は厭味な笑顔をつくって、急にぞんざいになりました。
「場違いな真似はよしてよ。悪趣味ねえ。まさか新聞記者じゃないでしょうね」
「新聞記者じゃないよ」
わたくしは食い下りました。
「隣の部屋は空いてるかい?」
「お隣じゃ騒々しくて、眠れませんよ。お連れさんがいるのなら、静かな部屋はまだいくつもございますよ。おひとりだけじゃあ、ちょっとねえ」
わたくしはが逆上気味の頭をかかえて、旅館から退散しました。
奥様。この手紙がどんなに奥様のお心を傷つけるか、お察し出来ないではありません。でも、わたくしは今はっきりと知ったのです。奥様はこの世の喜怒哀楽には瀆(けが)されないお方です。あなたの美しさは、形でもなければ、色艶でもない。内側から輝く女性の美しさを、あなたはわたくしに初めて教えて下さいました。永遠の女性という言葉がウソでないことを、青春をろくに知らずに過したわたくしは、くたびれ切った結婚生活の果てに、こんな形で見出したのです。
奥様。
申し上げるだけは、申し上げました。勝手ですが、今日限りわたくしは、調査の任を辞退させていただきます。読後火中のこと、くれぐれもお願いいたします。
4
奥様。
わたくしは、なんというあわて者でしょう。
即日速達という郵便制度は、信用出来るものでしょうか。出向いて仔細を申し上げればいいのですが、お許しのない訪問は出来ませんし、たいへん困りました。この即日速達が、昨日の書面よりも、先に着くことを、心から祈っています。
別に『キノウノテガミヨムナ、ソクタツヲサキニヨマレタシ』という電報も打ちました。せめて電報だけでも、昨日の手紙よりは、早く着きますように。
今日必要な金が、明日でなければ算段出来ないために、わたくしども甲斐性なしは、どんなに惨(みじ)めな思いをさせられることでしょう。
そして今日判らなければならないことが、明日でなければ判らないために、わたくしども思慮足らずのノロイーゼは、どんなに寂しく情ない道化を演じなければならないことでしょう。わたくし、時折、しんから、映画のフィルムをあべこべに巻き、小説を終りから読み、明日から今日、今日から昨日と、さかのぼる手はないものかと考えることがあります。
今日、日曜日の夕刻、一日握っていた前の手紙を投函したあとで、わたくしは思い切って姉を訪ねました。
奥様。せめて、せめてこのわたくしの勇気をほめてやって下さい。でなければ、立つ瀬がございません。
姉はびっくりして、わたくしを迎えました。よれよれの変装服で行ったものですから、姉はわたくしのことを、よほど落ちぶれていると思ったのでしょう。ウナ丼などを取寄せて、御馳走してくれました。
そのウナ丼をぱくつきながら、わたくしは、それとなく、姉に告白をうながしました。いえ、うながすと言うより、自白を迫ったという方が、正確かも知れません。
ところが姉は、けらけらと笑い出したのです。
「見たの、あんた? 悪いことは出来ないものねえ」
わたくしはかっとなり、ウナギの一片を箸から畳に振り落しました。
わたくしはその瞬間、完全に姉を侮蔑し憎悪しました。あのきりっとした気性の姉が、こんなにだらけた女になろうとは、もう言葉も出ないような気持でした。でも、わたくしは気を取直して言いました。
「姉さんが、幸福になれるのなら、お祝いするつもりで来たんだ。はぐらかすなよ。おれに、黙っている法はないだろう」
姉は笑いつづけるのです。そして苦しげに、わたくしの詰問の合間を見て、
「バカねえ」
と二度ほど呟(つぶや)きました。
そして姉の言葉のごとく、わたくしはバカだったのです。なにゆえにバカであったか。奥様。お聞き下さい。
わたくしをたぶらかした張本人は、麻雀(マージャン)だったのです。
御主人は課長のガムシに呼びつけられ、姉は洋裁店の上顧客(とくい)である課長のゼロ号夫人に呼ばれ、ガムシの部屋で十一時半まで、おつき合いをしていたのです。隣室では騒々しくて眠れないという、あの女中の言葉のどこに偽りがあったでしょう。隣室の麻雀では眠れるわけがありません。[やぶちゃん注:「とくい」のルビは「顧客」二字に附されたもの。]
姉の説明で、わたくしは頭がぽかんとなり、ウナ丼をごそごそ食べ終って、姉の家を辞しました。
姉の言葉は本当だろうか、一抹(いちまつ)の疑念もあったものですから、帰途千駄ヶ谷で降り、れいの旅館に参りました。この度は逆上いたしません。女中にいくらか握らせて聞き出した事実は、まさしく姉の言った通りでした。
奥様。
わたくしがなにゆえにバカか、お判りになったことと存じます。でも、わたくしは我慢がなりません。わたくしはたいへん憎みます。ガムシと逆さクラゲと、ゼロ号夫人と麻雀を。
そしてわたくしは、ちょっぴりと憎みます。十余年浮気ひとつ出来ないで過した姉の潔癖を。
奥様。御主人は潔白でした。姉も……。姉には、一番違いで宝クジをあてそこなったような、そんな口惜しさを覚えます。しかしそれも、奥様とお嬢さんのために、誰よりもわたくしは嬉しいのです。
御主人が時たま遅くお帰りになる事情は、以上で納得がお行きになったことと存じます。お宅で外の出来事を話さないのは昔からの習慣だと、奥様はご自分でおっしゃいました。原稿料と麻雀によって、小遣いがあり過ぎたり、またなさ過ぎたりする謎、これで氷解したわけです。
御主人のへそくりは、民主主義に反するかも知れませんが、せめての学友や同僚や、ごく狭い範囲でのつながりは、知らぬふりして認めて上げて下さい。御主人と一列に申しては失礼ですが、わたくしどもには今の社会では、その程度にしか人と人との結びつきが許されてないのですから……。
奥様。
今宵は奥様の孤独と御主人の孤独と、お二人のふっくらとした倦怠感と、お嬢さんの健康のために、わたくしは独りどこかの安酒場で乾盃いたす所存です。
残ったのはわたくしの愚かしさだけでしたが、負け惜しみでなく、わたくしはそう思いません。恥を忍んで申せば、奥様、わたくしは今仕合わせです。はかなく、いつ消えそうな形ながら、仕合わせなのです。
最後に御無心がございます。ヘマな調査の報酬は断じて頂きません。そのかわり、大道の流行遅れでいいのです。ネクタイを一本いただかして下さい。わたくしはもの持ちがいいたちで、五本あるネクタイは皆頂きもので、これまでの愚行の歴史がこれにこもっているのです。奥様。ぜひネクタイを一本……。
読後火中のこと、なにとぞお願い致しておきます。
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