譚海 卷之二 唐山白牛糞疱瘡の藥に用る事
唐山白牛糞疱瘡の藥に用る事
○享保年中淸朝より眞白なる牛を御とり寄(よせ)ありて、房州へ飼(かひ)を仰付(おほせつけ)らる。その食物にはもぐさ斗(ばかり)をかひて、其牛のふんをとり、いくらも俵(たはら)にして江戶へ上納させしめ給ふ、その比(ころ)は白牛湯(はくぎゆうたう)とて散藥(さんやく)にして町へも下されたり、疱瘡に大妙藥也、今所持の人は其時の御用懸(がかり)齋藤三右衞門といへる人牛込(うしごめ)に居住成(な)さるといへり。又疱瘡重きには療治もなし、藥物も及ばざる程のもの也。只ウニカウルを一藥(いちやく)粉にして時々用うれば、極上の治方(ちはう)なりとぞ、又フランカステヰンと云(いふ)石おらんだ持來(のちきた)る石也。蛇蝎(だかつ)などの毒にあたりてはれたる所へ、此石をすりつけおけば、毒を悉く吸(すひ)とる。よくよく毒を吸はせて後、婦人の乳をしぼり出したるを、器にため置たる中へ此石をひたし置けば、石より毒をはいて乳汁泡の如くになる也。此(この)石(いし)橘町大坂屋平六なるもの所持にて、近來疱瘡のまじなひによしとて、疱瘡せざる小兒をなでさせてもらふ也。
[やぶちゃん注:「疱瘡」天然痘。私の「耳囊 卷之三 高利を借すもの殘忍なる事」の注を参照されたい。
「享保年中」一七一六年から一七三五年。
「もぐさ」「艾」であるが、ここは製品ではなく、原料のキク目キク科キク亜科ヨモギ属 Artemisia indica 変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii のこと。
「今所持の人は」「譚海」は安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年であるから、短くて四十二年前、最長で八十年前となる。五十年前年の白い牛の糞は流石に服用したないなぁ。
「齋藤三右衞門」不詳。
「ウニカウル」ポルトガル語“unicorne”の音写で、「ウニコール」とも表記する。原義はヨーロッパの想像上の動物である一角獣「ユニコーン」のことであるが、ここは鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ上科イッカク科イッカク属イッカク
Monodon Monoceros の♂が持つ一本牙(歯の変形物)から製した薬物。強毒への解毒効果があるとされた。解熱・鎮静効果があると考えられて、漢方薬に調合されたりもしたようである。但し、これは偽物が多く、そのため、「ウニコール」には日本語では別に「嘘」という不名誉な意味も負わされてある。
「フランカステヰン」「須羅牟加湞天(スランカステン)」などとも書き、これはオランダ語“slangensteen”の音写で、「スランガステン」「スランガステーン」とも表記する。「大辞泉」には「スランガステーン」で『蛇の石の意』とし、『江戸時代にオランダ人が伝えた薬。蛇の頭からとるといわれ、黒くて碁石に似る。はれもののうみを吸い、毒を消す力をもつという。蛇頂石。吸毒石』と載る。結論から言うと、鉱物、燐酸石灰と少量の炭酸石灰及び稀少の炭素との化合物である。これを説明し出すと、長くなるので、私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 龍骨」の注を参照されたい。
「橘町」旧日本橋橘町(現在の中央区東日本橋三丁目)。
「大坂屋平六」薬種商。興津要「江戸小咄商売往来(下)」によれば、オランダ伝来の薬物を好んで扱っていたらしい。]
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