谷の響 五の卷 十六 旋風
十六 旋風
嘉永二年の七月のよし、上野につむじ風おこりて茂森波立の椛屋某が蕎麥をうゑたる畑二枚、そのあたり百坪あまりちりものこらず卷上げて、その跡深さ一丈ばかり掘れて一尺ばかりよりこぶしばかりまでの石數多吹飛ばし、東へなぐれて昇りしがその塵埃は黑雲の如く見得しとなり。この上野のうちにも石森といふあたりは、おりおり有ことにてかく種物を損ふことまゝある事とぞ。己れあげまきの折、母と倶に笹淸水の明神に參詣しける時、いと強き旋風に遭ひしことあり。こを書たるものも龍卷の下留(したどめ)と倶に見得ざれば、こも又暫く略しつ。
又、嘉永六年の七月にて有けん、紺屋町の鍛冶金次郎といへるものゝ細工場の隅より、晝少し下(すぎ)に旋風起りて少しく塵芥を卷上げけるが、やがて止みては又起り三度目になりて遂に卷おふせて、其まゝ街道へぬけ出で、凄じく埃を卷いて向ひの家なる靑海源兵衞の門に入りて、臺所なる道具を吹き散らし直に裏へつきぬけて、堀越屋軍兵衞といへる染屋の背戸に張りたる白木綿を五六反卷き上げ、その内二反は埃と俱に高く登り遙かの空にひらめき𢌞りていよいよ遠く行けるが、染屋の主人僕共をはしらせてその跡を追はせたるが、八幡宮の側なる反畝(たんぼ)の上に至り次第次第に落下りしを、早くもとるものありて酒に代へて貰ひしとなり。
又、弘化二年の六月の事なるが、己が向ひなる熊谷又五郎といへる人の圍爐の角(すみ)より少しく旋風の起ること每日のよしなるが、四五度の後每(いつも)より少しく大きく起りけるに、其まゝ庭へ吹𢌞りて塵埃を捲きあげ、庇の檐(のき)に釣したる鳥籠を吹落し、直に大道へひろごり出で高くもあがらで通りのまゝに卷きめぐりしが、三十間ばかりにして止みたりき。
又、天保二三年の頃、己が先師五鳳先生の話に、頃日祕めおける紛本のいたくまつれるから取りそろへてありけるが、箱の中より旋風起りてあたりにおける紛本どもを吹きまはし、座敷を騷がし庭にぬけ出て凄まじく草木をゆり鳴らせるが、遠くも至らで背裏(せと)の中にしてつひに止みたりき。いとあやしき事もありけるなりと語られき。かゝれば旋風は野原にのみ限るにあらず、これ氣の然らしむるものなるべけれど、鍛冶場の隅、圍爐の隅あるは箱の内より登れるもいとあやしかりし事どもなり。
[やぶちゃん注:「旋風」「つむじかぜ」。
「嘉永二年の七月」同年旧暦七月一日は閏四月があったため、グレゴリオ暦では一八四九年八月十八日に相当する。
「上野」底本の森山氏の補註に、『弘前市常盤坂付近の上野(うわの)』とある。常盤坂地区はここ(グーグル・マップ・データ)。
「茂森波立」「波立」は不詳だが、弘前市茂森町は、ここ(グーグル・マップ・データ)。
「椛屋」「かうじや」。
「一丈」約三メートル。
「一尺」約三〇センチメートル。
「こぶし」「拳」。
「數多」「あまた」。
「なぐれて」横にそれて。
「石森」底本の森山氏の補註に、『名の通り石山で、慶長十六年弘前築城の際、石垣など石材を多く運んだ』とある。
「種物」「うえもの」か。栽培物。
「己れあげまきの折」「われ総角の折り」。以前にも注した通り、私(平尾)が少年の頃。「笹淸水の明神」青森県弘前市自由ケ丘にある笹清水九頭龍神社のことであろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。先の常盤坂の南直近である。
「下留(したどめ)」前条で既注。下書き・メモランダ。
「嘉永六年の七月」一八五三年。同旧暦七月一日は新暦で八月五日。
「紺屋町」現在の弘前市紺屋町(こんやまち)。弘前城の西北直近。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「卷おふせて」「まきおほせて」が正しい。「卷果(おほ)す」で、完全に旋風を巻いて小龍巻となって、の意。
「靑海源兵衞」「せいかいげんべゑ」。底本の森山氏の補註に、『津軽藩御抱え蒔絵師の家で、初代源兵衛(天和ころ)以来代々襲名。二代源兵衛が津軽塗の技法を始めたという』とあり、多くの津軽塗サイトには彼の名が出る。
「直に」「ぢきに」すぐに。
「背戸」後で「せと」とルビする。屋敷店の裏手。
「僕共」「しもべども」。
「八幡宮」現在の青森県弘前市八幡町にある弘前八幡宮であろう。紺屋町より、東北方向に一キロメートルほどはあるが、旋風が運ぶのだから、それくらいはなくては!
「早くもとるものありて酒に代へて貰ひし」ここがリアルで面白い!
「弘化二年の六月」一八四五年。同旧暦六月一日は新暦で七月五日。
「圍爐」「いろり」。
「每(いつも)」一字へのルビ。
「通りのまゝに」町の通り筋に沿って。
「三十間」五十四メートル五十四センチ。
「天保二三年」一八三一、一八三二年。
「五鳳先生」底本の森山氏の補註に、『工藤五鳳、名は俊司、化政期津軽の画人。魯僊は文政二年十二歳頃、就いて画技を学んだ』とある。「光信公の館」公式サイト内の「収蔵品ギャラリー」のこちらで師弟両人の絵(工藤五鳳筆「秋草図」と平尾魯仙筆「岩木山参詣図」)が見られる!
「頃日」音は「ケイジツ」。近頃の意で、そう訓じている可能性も高い。
「紛本」昔、胡粉(ごふん)を用いて下絵を描き、後に墨を施したところから、東洋画の下書きのことを指す。別に、後日の研究や制作の参考とするために模写した絵画も指す。ここは保管が雑であるところからは後者であろう。
「いたくまつれるから」(気が付いたら)ひどくごちゃごちゃと乱雑になって溜まっておったによって。
「取りそろへてありけるが」それを綺麗に整頓して、取り揃えていたところ。現在進行形で読んだ方が腑に落ちる。
「背裏(せと)」裏庭。]