谷の響 五の卷 七 メトチ
七 メトチ
寛政の年間(ころ)、若黨町某なる人の兒(こ)、後なる小川にて溺れ死ければ、その屍を場(には)に寢かして水を吐せんとて種々(さまさま)手を盡しぬるに、肚(はら)の裏(うち)喁々(ぐうぐう)と鳴り忽ち肛門より拔け出るものあり。その形狀(かたち)蛇の如く長さ一尺六七寸、躰扁(ひらた)く頭大きなるがとく走りて四邊(あたり)を狂へるに、有合ふ人どもそれ擊捕れと木太刀や雜薪(ざつぱ)をもて追ひたれど、輕捷(はや)逃れて擊得ざるに裏なる川流(かは)に跳入て遂に形狀を見失ひけり。こは俗に言ふメトチなるべしとの話なりと、高瀨某の語りしとて千葉氏の語りしなり。
又、この高瀨氏なる人、文化の年間(ころ)朋友某と川狩に出たるに、時境(をりから)冷熱(あつさ)堪へがたかれば俱に水を浴たるに、某は水底に沒(い)りて聊且(しばし)見えず。高瀨氏あやふみゐたるうちやうやう浮出(あが)りて言へりけるは、水を浴ること止みぬべし、今に膩油(あぶら)うくべしと言ふうち、はや水の上に泡沫(あは)のごとき脂油(あぶら)いと多く浮み上りぬ。高瀨氏あやしみいかなるゆゑぞと問(たづ)ぬれば、さればとよ、水中を泳ぎゐたるに帶の如きものありて、自(おのづか)ら寄り來り己が腹を纏へる事兩匝(ふたまはり)なりしが、漸々(しだいしだい)に締て吾を曳いて水底に至り、その頭と覺しき處を石の上に置住(あげ)たる故、熟(とく)と看得(みすまし)手ごろの石を取り力に任せてその頭を擊碎くに、忽ち纏ひ解け水冥(くら)みてその物見えず、寔に苛(から)き難を脱れたり。こは俗に言ふメトチとも言ふものか、怕るべき物なりと語りしとなり。
[やぶちゃん注:「メトチ」底本の森山泰太郎氏の以前の補註に、『津軽では河童のことをメドチといった。ミヅチ(水の霊)の訛語』とある。ウィキの「河童」によれば、『水蛇(ミヅチ)の訛りと思われるメンドチ、メドチ、ドチガメ、北海道ではミンツチカムイなどがある』とある。
「寛政」一七八九年から一八〇一年。
「若黨町」現在の弘前市若党町(わかどうちょう)。名は身分の低い下級武士の住居区であったことに由来するとウィキの「若党町」にはある。弘前城北直近。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「その形狀(かたち)蛇の如く長さ一尺六七寸、躰扁(ひらた)く頭大きなる」「一尺六七寸」は四十八・四八~五十一・五一センチメートル。動きが「とく走りて四邊(あたり)を狂へる」「輕捷(はや)逃れて擊得ざるに裏なる川流(かは)に跳入て遂に形狀を見失ひけり」と異様に早いところからは、水棲の吸血性ヒルである環形動物門ヒル綱顎ビル目ヒルド科チスイビル Hirudo nipponia を想起するが、彼等の通常体長は五センチメートル程度で、延伸性が驚くほどあるが、それでもちょっと長過ぎる。長さと頭部の形状を特異な平たさと見るなら、扁形動物門渦虫綱三岐腸(ウズムシ)目陸生三岐腸(コウガイビル(笄蛭))亜目コウガイビル科コウガイビル属 Bipalium の仲間ならば、一メートルにも及ぶ個体もある(私はその程度のものを山で実見したことがある)がしかし、こんなに運動性能はよくない。以前に注で出した脱皮動物上門類線形動物門線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea の一種でも、こんなに逃げ切ることはなく、この敏捷さは寧ろ、蛇のそれで、水辺を好み、よく泳ぎ、魚類をも捕食する有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ヤマカガシ属ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus の黒化個体(通常個体なら見馴れており、誤認する可能性は少ない)かも知れぬ。そもそも森山氏の補註でも「メドチ」は『ミヅチ(水の霊)の訛語』と言っている。「みづち」はこれ、「水蛇(みずち)」であって、もともとはヒト型の河童ではなく、蛇龍が原型であったと私は思っている。ウィキの「蛟」(みずち)にも、『南方熊楠は、『十二支考・蛇』の冒頭で、「わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意〔こころ〕でミヅチと呼んだらしい」とし』、『南方はミズチを「主(ヌシ)」などと、くだけた表現を使うが、その原案は、本居宣長(『古事記伝』)が、「チ」は「尊称」(讃え名)だとする考察であった』。『ヌシだとする立場は南方の見立であって、宣長本人によると、ミズチ、ヤマタノオロチ、オロチの被害者たちであるアシナヅチ・テナヅチのいずれにつくチも「讃え名」である、と』した。『南方は、「ツチ」や「チ」の語に、自然界に実在する蛇「アカカガチ」(ヤマカガシ)の例も含めて「ヘビ」の意味が含まれると見』、『柳田國男は「ツチ」(槌)を「霊」的な意味に昇華させてとらえた』。『南方が収集したミヅシ(石川県)、メドチ(岩手県)、ミンツチ(北海道)(ほか『善庵随筆』にもメドチ(愛媛県)、ミヅシ(福井県)』『)などの方言名は、「ミズチ」に音が似てこそあれ、どれも河童(カッパ)の地方名だった。南方はしかし、カッパという存在は「水の主(ヌシ)」が人間っぽい姿に化けて人間に悪さをしたもので、ただ、元のヌシの存在が忘れ去られてしまったのだ、と考察した』とあり、熊楠好きの私としてもこれを全面的に賛同するものである。
「有合ふ」「ありあふ」。居合わせた。
「擊捕れ」「うちとれ」。
「木太刀」「きだち」。木刀。
「雜薪(ざつぱ)」薪雑把(まきざっぱ)。薪にするために切ったり、割ったりした木切れ。
「文化」一八〇四年から一八一八年。
「川狩」川漁。
「冷熱(あつさ)」二字へのルビ。両極を出して、片方の意味を強める手法か? この手の一方的な筆者の対偶的表現はしかし、私は非常に不快で厭である。
「浴たるに」「あびたるに」。
「聊且(しばし)」二字へのルビ。
「あやふみゐたる」「危ふみ居たる」。
「浮出(あが)りて」二字へのルビ。
「膩油(あぶら)」二字へのルビ。「膩」(音「ニ・ジ」)も「あぶら」或いは「脂っこい」の意。
「うく」「浮く」。
「脂油(あぶら)」二字へのルビ。
「浮み」「うかみ」。
「水中を泳ぎゐたるに帶の如きものありて、自(おのづか)ら寄り來り」、「己」(わ)「が腹を纏」(まと)「へる事」、「兩匝(ふたまはり)」(:ぐるぐると二重に巻き付いたことを指す。当時の標準成人男子の胴回りを五十五センチメートルほどとしても、巻きついてしかも水中で体勢を保ち、巻ついた対象をさらに川底に引き込むためには一メートル四〇センチ以上はないと無理であろう。)なりしが、漸々(しだいしだい)に締て吾を曳いて水底に至り、その頭と覺しき處を石の上に置住(あげ)」(二字へのルビ)「たる故、熟(とく)と看得(みすまし)手ごろの石を取り力に任せてその頭を擊碎」(うちくだ)「くに、忽ち纏ひ解け水」(みづ)「冥(くら)みてその物見えず」これもヤマカガシ Rhabdophis tigrinus であろう。水中での不正確な視界とパニックで、蛇と視認出来なかったのではあるまいか。
「寔に」「まことに」。]