ポストの嘆き 梅崎春生
[やぶちゃん注:昭和三二(一九五七)年六月刊『別冊文芸春秋』(第五十八号)初出。底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。]
ポストの嘆き
おれは郵便が好きだ。郵便を出すことはそれほど好きではないが、貰うのは大好きだ。何かいい便りが来そうな気がして、一日の中何度も立って、郵便受けをのぞきに行く。入っていたら心がおどるが、入っていないとがっかりする。時には丁度(ちょうど)郵便物を入れかけている配達人と、ばったり顔を合わせることがある。何度ものぞきに行くのだから、偶然以上に顔が合う率が大きいわけだ。顔がばったり合うと、おれの気のせいかも知れぬが、配達人はちょっと困ったような表情になる。おれと視線を合わさないようにしながら、郵便の束をごそごそとより分けたり、そっぽ向いたまま郵便受けに放り込んだり、そして赤い自転車にまたがって、すうっと行ってしまう。おれの区域の配達人はまだ若い。二十二か三ぐらいだと思う。
おれは昔、子供の頃、郵便配達手が大好きだった。昔の郵便配達手は、今みたいに若くなく、年配の人が多かったように思う。おれが子供だから、そう見えたのかも知れない。今残っている感じでは、昔の配達人は赤銅(しゃくどう)色に日やけして、たいへん大きな掌を持っていた。自転車には乗らず、てくてく歩いて配達していたようだ。配達人は特別に掌を使う職業ではないのに、何故大きな掌を持っていたか。それは、かんたんに説明出来る。昔の配達人は気のいい人物が多くて、子供たちを可愛がり、しばしばおれたちの頭を掌で撫でて呉れた。子供というものは、大人から頭を撫でられると、その大人の掌を実際以上に大きく感じるものだ。
昔の配達人は気がいい人物が多いと書いたが、これは今の配達人(正確な呼称では集配員と言うのだそうだ)に気がいい人物がすくないと言う意味じゃない。昔と違って今は、一人当りの配達量も多いだろうし、てくてく歩きでなく自転車配達だし、つまり子供の頭を撫でる余裕や暇がない。気がいい悪いに関係なく、子供の頭を撫でる機会がないのだろう。
で、前にも述べたように、おれは郵便が大好きだ。常住待ちこがれている。その日の郵便が来ないことには、きまりがつかないような気がして、仕事に手がつかない。おれは原則として、朝は仕事をしない。ふつうの人間は、朝が一番頭がはっきりしているものらしいが、どういうわけかおれは、朝は頭がぼんやりしている。まったく鈍麻している。仕事なんか出来るような状態にない。体質にもよるのだろう。だから朝は仕事抜きで、新聞を読んだり、雑誌を読んだり、爪を切ったり、草むしりをしたり、そんなことで頭がはっきりするのを待っている。はっきりし始めたら、そろそろ仕事に取りかかる。だからおれとしては、まだ頭がぼんやりしているうちに、郵便物に到着して貰いたいのだ。郵便物と仕事とは、両立しない。一度に二つのことは出来ない。
「もう少し早目に配達して貰えないものかねえ」
ある時、たまりかねたような気持になった時、その若い配達人におれは言ったことがある。
「せめて午前中にくばって貰えたらねえ」
以前住んでいた区では、そうでなかった。郵便物の遅配に悩まされ始めたのは、練馬区に引越して来てからのことだ。時々新聞の投書欄に、郵便の遅配や誤配についての苦情が出ている。今朝の朝日新聞の『もの申す』欄にも、遅配の苦情が出ていた。苦情の相手の郵便局は、落合長崎郵便局だ。その人は今年の一月から配達された時間を日記に書き込み、それを平均すると第一便が午前十一時半ということになると書いている。おれのところは、十一時半などという、そんななまやさしいものではない。平均はとってないが、もしとれば、十二時半か一時ぐらいになるだろう。二時、三時というのもざらだ。第二便なんか来たことがない。一日一便ということになっている。全然来ない日だってあるのだ。昨日なんかもそうだ。全然無配だ。だから午後四時になって、郵便課に電話をかけた。自分の所番地を言い、今日は配達はないのかということを聞いた。すると相手は、そんな筈はないんだがなあ、などと近所の課員たちと相談している風(ふう)で、やがてまた電話口に戻って来ての返答は、お宅の区域の集配員が今日は抜けている、とのことだった。抜けているとは、どういう意味か。これで返答になっているつもりらしい。
「では今日は配達しないと言うのですね」
「そういうことになりますな」
「それは困ります」
とおれは言った。実際に困るのだから。そのことのために、おれは今まで何度も、いろんなことをすっぽかしたりしているのだから。
「よそでは一日に二へん配達されているのに、一日全然無配だというのは困る。配達していただきたい」
すると相手は、では外廻りの係にかわるから、と受話器を置いた。三分ほどして他の男が出て来た。どういう用件かと聞く。全然用件を引継いでないらしい。だからまた初めから言い直した。するとその男は言下に言った。きわめて横柄な口調でだ。
「そりやダメだね。こんな時刻だから、配達は出来ないね」
「どうしてもダメですか」
「ダメだね」
ちょっと沈黙があって、それからおれは言った。
「これは別な話ですがね、郵便を配達して歩く人は、正確に言うと、配達人というんですか。それとも配達手?」
昔は配達夫と言っていたような気がする。
「ええと、それは集配員だ」
「ではどうも」
おれは電話を切った。おれは近頃、どんなことがあっても、電話口では怒らないことにしている。おれの経験では、怒っていい結果になったためしがない。面と向って怒るならまだしも、電話口で怒るほど愚かなことはない。一番初め、練馬区に引越してしばらくのことだが、おれは郵便局長宛てに手紙を出した。配達が午後二時、三時になるのは困る。当日一時の試写会の案内が、午後三時に配達されるようでは困る。どうにかしていただきたい、と言う意味のことを書いた。封筒に十円切手を貼って出した。
するとその翌日、郵便課長という人がやって来た。上って呉れと言っても上らない。玄関先で用事を済ませたいと言うので、おれは玄関に出て行った。
この年配の課長さんには、奇抜で面白いくせがあって、今でもはっきり覚えているのだが、おれと向き合って会話しているうちに、課長さんの顔がしだいに横を向く。少し経つと、身体も顔を追って横向きになる。つまりおれは課長さんの横姿に対している形となった。そういう形でいろいろ問答しているうちに、今度は課長さんの顔が更に横向き、つまりおれから見ればうしろ向きになった。おれが顔を向けている方向と、課長さんが顔を向けている方向が、同じになった。そしてしばらくして、身体もそろそろとそっち向きになった。すなわちおれは課長さんの後姿と問答することになったのだ。うしろの扉はあいているから、課長さんは戸外の景色などを眺めながら、口を開閉させているらしい。
人の後姿と対話するなんて、生れて初めてで、妙な気分のものだったが、きっとこの課長さんは人見知りするたちだろうと、おれはその時思った。しかしその課長の横向きやうしろ向きの説明はしごく月並なもので、近頃デパートの案内状が多くなったとか、集配人の経験が浅くて能率が上らないとか、そんなものばかりだった。
「それにお宅の配達順番は、区域の最後尾に当っているものですから」
それでおれはこういう提案をした。同じ税金を払っているのに、ある家は朝早く、ある家は午後二時三時の配達とは、公平でない。だから一日おきに、配達の順路を逆に廻ったらどうだろう。今日おれの家が最後尾なら、明日は最先頭になって、不公平はなくなる。すると課長が言った。
「それは、技術上、不可能なんです」
「どうして不可能ですか?」
「とにかく、それは不可能なんです」
その時は課長はもう裏返しになっていたから、どんな表情で言ったのか判らない。とにかく不可能の一点張りで、おれの提案をしりぞけた。
この逆廻りがどうして不可能なのか、だから今でもおれは判らない。おれは配達に関しては素人(しろうと)だが、それが出来ない筈はないと思っている。
「これから手紙は、局長宛てでなく、私宛てにして下さい。切手を貼る必要はありません。通信事務と書いて下されば、それで届きます」
課長さんは裏返しのまま頭を下げ(つまり戸外に礼をしたことになる)そのままとことこと出て行った。
それから暫(しばら)く配達状態が良くなって、良くなったと言っても、午前十一時以後で、つまり落合長崎局における苦情ラインを上下する状態がつづいた。
それからまた悪くなった。日脚が長くなるように、だんだん配達時間が伸びて、正午を突破し、正午を突破すると、バカになったゴム紐みたいに、ずんずんだらしなく伸びて行った。
おれは電話をかけた。
するとあの裏返し課長は転勤していて、他の課員が出て来た。相変らずデパートの案内状云々の言い訳で、つかみどころがない。
翌日もかけた。
翌々日もかけた。
意地になったせいもあるが、午後三時の配達では、いろいろさしさわりが出来て、おれは困るのだ。四日目に相手は言った。お宅のことはよく判っているし、気にもかけているが、しばらくお待ち願いたい。この間も集配人から、お宅で叱られたとの報告もあった。云々。
「冗談じゃないですよ。叱りはしませんよ。集配人を叱って、どうなるというものではないし」
午前中に配達して貰えんものかねえ、と言っただけのことが、叱責されたということになって、郵便課に伝わっている。どこでどう歪んで間違ったのか、おれには判らない。
とにかくあそこでは、このおれはウルサ型ということになっているらしい。普通に話しかけたのに、叱られたと感じるということは、これはただごとでない。そして相手は言った。
「そんなに遅れて困るのなら、取りに来たらどうですか。取りに来ては」
「そうですか」
とおれは言った。さっき言った通り、おれは電話口では腹を立てないことにしている。でも、こちらから取りに行くと申し出るのなら判るが、向うから取りに来いというのは、ムチャクチャな言い分である。区民を何と心得ているのだろう。
「ではいただきに上りますがね、このような遅配状態はいつ頃までつづきますか」
「そうだね。見当つかないね。当分続きますね」
電話を切り、家人に郵便を取りにやらせ、おれは机に向って、郵便局長宛てに手紙を書いた。当分続くと平気で答える心事が、当方としてはどうにも解(げ)せない。改善の意志はあるのか、ないのか。通信事務と書かず、ちゃんと十円切手を貼って出した。それが一箇月前のことだ。
局長からの返事は、今に到ってもない。配達状態は元のままである。
おれは今後税金を払うめをよそうと思う。本気でそう思っている。