(高臺にはなほ日ざしがある。) リルケ 茅野蕭々譯
(高臺にはなほ日ざしがある。)
リルケ 茅野蕭々譯
高臺にはなほ日ざしがある。
それで私は新しい喜悦を感ずる。
今若し私が夕ぐれの中を摑めたら、
私は凡ての街に黃金を
私の靜けさから蒔くことが出來るだらう。
私は今世の中から遠く離れ、
その晩い輝きで、
私の嚴肅な孤獨に笹緣をつける。
あだかも今誰かが
私が恥ぢない程にやさしく、
そつと私の名を奪ふやうだ。
それから私は最う名が要らないのを知つてゐる。
[やぶちゃん注:第二連三行目の「笹緣」は「ささべり」で、衣服の縁や、袋物や茣蓙などの縁(へり)の部分を補強や装飾の目的から、布や扁平な組紐などで細く縁取(ふちど)ったものを指す。「私の生家」に既出既注。]