小穴隆一「二つの繪」(46) 「河郎之舍」(5) 「訪問錄」 /「河郎之舍」~了
訪問錄
游心帖に終止符をうつてしまつたもの、それが訪問錄であるが、二十五字詰十二行の原稿紙を綴ぢた物に半紙の表紙をつけ、訪問錄と書いて、僕の病室の枕もと置いてくれたのは小澤碧童である。
訪問錄の中に殘つてゐる芥川のものは、
十八日(大正十一年十二月)
一游亭足の指を切る
人も病み我も病む意太蕭條
初霜や藪に鄰れる住み心
冬霜よ心して置け今日あした
[やぶちゃん注:同じ字下げで並んでいるが、言うまでもなく冒頭の「一游亭足の指を切る」は以下の三句の前書である。言わずもがなであるが、「訪問錄」は小穴が脱疽のために順天堂病院に入院した際のゲスト・ブックである。なお、この三句の内、「初霜や藪に鄰れる住み心」は既出句であるが、「人も病み我も病む意太蕭條」「冬霜よ心して置け今日あした」の二句は他に類型句がない、ここにのみ出る特異点の句である。「意太」の読みが難であるが、「意(い)太(はなはだ)」と読んでおく。この十八日に小穴隆一は右足第四趾切断の術式を受けており、芥川龍之介は手術に立ち会った。しかし何度も述べたように既に手遅れ(医師の脱疽診断の遅れという誤診が原因)であり、翌年一月四日にやはり龍之介立ち会いで左足首の切断術を行うこととなり、小穴は以後、義足と杖の生活となった。
なお、先に注意しておくが、以下の「二十五日」の条は長い。即ち、「訪問錄」に、冒頭のト書きに始まるトランプの登場人物らのシナリオが途中まで記されている(原稿用紙にして三枚程度か)のである。なお、献辞にある「成瀨日吉」は不詳。この時にたまたま見舞いに来ていた小穴隆一の知人かとも思われ、芥川龍之介関連ではここ以外には出現しない。]
二十五日
小穴隆一、遠藤淸兵衞、成瀨日吉の三氏に獻ず。
時 千九百二十二年耶蘇降誕祭
處 東京順天堂病院五十五室
患者一人ベッドに寢てゐる。看護婦一人病室へ入り來り、患者の眠り居るを見、毛布などを直したる後、又室外へ去る。
室内次第に暗くなる。
再び明るくなりしとき、病室の光景は變らざれど、室内の廣さは舊に倍し、且つ窓外は糸杉、ゴシック風の寺などに雪のつもりし景色となり居る。此處にトランプのダイヤの王、女王、兵卒の三人、大いなる圓卓のまはりに坐り居る。圓卓の下に犬一匹。
ダイヤの王 ハアトの王はまだお出にならないのか?
ダイヤの女王 さつき馬車の音が致しましたから、もう此處へいらつしやいませう。
ダイヤの兵卒 ちよいと見て參りませうか?
ダイヤの王 ああ、さうしてくれ。
ダイヤの兵卒去る。
ダイヤの女王 ハアトの王はわたしたちを計りごとにかけるのではございますまいか?
ダイヤの王 そんな事はない。
ダイヤの女王 それでも日頃かたき同志ではございませんか?
ダイヤの王 今夜皆イエス樣の御誕生を祝ひに集るのだ。もし惡心などを抱く王があれば、その王はきつと罰せられるだらう。
ダイヤの兵卒歸つて來る。
ダイヤの兵卒 皆樣がいらつしやいました。ハアトの王樣も、スペイドの王樣も、クラブの王樣も、……
ダイヤの王(立ち上りながら)さあ、どうかこちらへ。
ハアトの王、女王、兵卒、スペイドの王、女王、兵卒、クラブの王、女王、兵卒、等皆犬を一匹引きながら、續々病室へ入り來る。(未完)
あけくれもわかぬ窓べにみなわなす月を見るとふ隆一あはれ 龍之介
だけであるが、芥川が訪ねてくれたのはこの十八、二十五の二度だけではなく、使ひも度々よこしてくれてゐたし、本も隨分屆けてくれてゐた。僕が隻脚となつても、少しも氣持がまゐつてしまはずにこられてゐるのは、全くやさしい芥川がゐてくれたそのお蔭である。
[やぶちゃん注:この空間の大きさの変容といい、トランプの王・女王・兵卒といい、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の世界を髣髴させる未定稿の最良テクストは、新字乍ら、岩波新全集の「第二十二巻 未定稿」の仮題を『トランプの王』とするものである。何故、最良かと言えば、それはこの「訪問錄」のコピーを底本としているからである(しかしコピーを底本とせざるを得ないということは小穴隆一の「訪問錄」は或いは現存しないのかも知れぬ)。そこでその新全集と校合してみた。以下の異同を示す。新全集版の引用はここの正字表記に合わせて、正字化してある。矢印の下方が新全集のもの。
○献辞・時・所書きとト書きと間に行空き→ト書きと本文の間に行空きはない
○ト書き(字配が異なる。基本全体が三字下げで、二行に亙る場合は一字分が上(二字相当箇所)に飛び出る)
・「遠藤淸兵衞」→「遠藤淸兵エ」
・「千九百二十二年耶蘇降誕祭」→「千九百二十二年の耶蘇降誕祭」
・「ベッド」→「ベツド」
・「且つ」→「且」
・「ゴシック」→「ゴシツク」
○本文(字配が異なる。台詞の人物の柱は上インデントで、挿入されるト書きは全体が完全な二字下げである)
・「ハアトの王、女王、兵卒、スペイドの王、女王、兵卒、クラブの王、女王、兵卒、等皆犬を一匹引きながら、續々病室へ入り來る。(未完)」→「ハアトの王、女王、兵卒、スペイドの王、女王、兵卒、クラブの王、女王、兵卒等、皆犬を一匹引きながら、續々病室へ入り來る。(未完)」(二度目の「兵卒」の後の読点が異なる)
なお、この新全集のそれによって、最後の「(未完)」も芥川龍之介の添書きであることが確認出来る。
「あけくれもわかぬ窓べにみなわなす月を見るとふ隆一あはれ 龍之介」まず、この一首、恰も前の未完シナリオの後に添書きされているように記されているが、少なくとも直後には存在しないことは新全集の『トランプの王(仮)』の「後記」に、『「訪問録」では(一二月)「二十五日」の項の「瀧井孝作」の署名の後に、無署名で』この献辞附きシナリオが『記され、次に(渡辺)庫輔の短歌が記されている』とあることから明らかである(下線太字はやぶちゃん)。しかもこの新全集の後記の記載はこの小穴隆一の記載に、ある種の強い疑惑を抱かせるものである。即ち、無署名のこの献辞附きシナリオが記された後には龍之介の弟子渡辺庫輔の短歌が記されてあると言うのである。どうであろう? これはまさにこの一首が添えられてあるのと軌を一にすると言えるではないか。この一首は実は芥川龍之介の短歌ではなく、渡辺それなのではあるまいか?]
僕は十八日に右足弟四趾切斷、十二年の一月四日に足頸から落して、病み臥せばあけくれなくてをりをりに窓邊にいづる月は浮べり、といふ長い病院生活をしてゐた。この病院生活の間に芥川から「甥が家出をしたので(葛卷のこと、)探してゐたが、やつと見付けだしてほつとしたよ、」といふ話を聞いたり、一中節を聞かせて貰つたりした。芥川は僕に元氣をつけるために、枕もとで隨分大きな聲でうたつてくれた。
[やぶちゃん注:「甥が家出をした」時期は確定出来ないが、この頃(大正一二(一九二三)年一月下旬、芥川龍之介の姉ヒサの再婚相手である葛巻義敏の義父の弁護士であった西川豊が偽証教唆によって市ケ谷刑務所に収監されたりして、芥川龍之介はこの頃、十三歳であった義敏を田端に引き取っているから、こうした事実は腑に落ちる。
「一中節」江戸浄瑠璃系三味線音楽の源流。芥川龍之介の伯母フキは一中節の名取であった。]
僕はこの入院中に芥川夫妻と比呂志君の三人が合作した手紙を貰つてゐる。今日では夢の如きものとなつてゐるが、萬感こもごもで圖版にして貰つておいた。オカゴといふのは、遠藤の姉さんが足を失くした僕に見舞にくれたおもちやの駕籠のことである。
片假名のふりがなは芥川、平假名のふりがなは芥川夫人、オカゴといふのは、遠藤の姉さんが足首をとつてしまつた僕に、赤い座蒲團のはいつたおもちやのお駕籠をくれた、僕はそれを芥川の使にきた庫輔君に比呂志君にといつて渡した、すると庫輔君が次ぎにきたときに持つてきたのがこの手紙である。大正十二年の春のはじめで比呂志君が數へ歳で四つ、まだもじやもじやしか書けないときに、僕の顏といつてはつきり顏を畫いてゐるのはふしぎである。僕はこの顏は芥川が筆を左手に持つて書きそへたものと思つてゐるが、芥川夫人に照會してみないとわからない。
[やぶちゃん注:以上は挿入されたその手紙の画像(全五葉)に添えられた長いキャプション。底本のそれは画素荒く、判読しづらいが、極めてレアなものである。なお、厳密に言えば、芥川文・芥川比呂志の著作権(自筆箇所)は存続であるが、これは小穴隆一に贈答されたものであり、本文との併載は不可欠なものである以上、敢えて示すこととした。]
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