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2017/01/11

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(23) 禮拜と淨めの式(Ⅰ)

 

  禮拜と淨めの式

 

 吾々は舊日本に於て、生者の世界が到る處、死者の世界に依つて支配されて居た事―-個人はその生存の各瞬時、亡靈の監視の下にあつた事を見た。家にあつては、個人はその父の靈に依つて見護られ、外にあつてはその地方の神に依つて支配されて居た。その周圍にも、その上にも、下にも、生と死との、目に見えない力があつた。自然に就いてのその考へに依ると、萬物は死者に依つて、その順序が定められて居た――光明と暗黑、天候と四季、風と潮、霧と雨、生長と枯死、病氣と健康等悉く。目に見えない大氣は靈の海、亡靈の大海であつた。人の耕す地は靈の氣に依つて透徹されて居た。樹木にも靈が居てそれは神聖にされて居た。岩石すら、自覺ある生命を附與されて居た……。この見るべからざるものの、限りなき集合に對して、人は如何にしてその義務を果たし得たであらう。

 

 學者と雖も、小さい神々の名は別として、大きい神々の名だけでも、記憶し得る人はあるまい。また如何なる人でも、日々の祈禱の内に、その大きい神々の名をあげて、言葉をそれに言ひかけるだけの時間をもつては居まい。後年の神道の教師は、一般の神々に筒單な日々の祈禱を、それから特殊な二三の神々に特殊な祈禱を定めで捧げる事に依り、信仰の務を單純化しようとした。そして斯くして彼等は、必要の上から既に確立して居た慣習を、尤も都合よく確實に守り得るやうにした。平田は恁う言つた、『いろいろな働きをもつた神々の數は澤山にあるので、只だ尤も重要な神を名指して禮拜し、其他を一般の祈禱の内に收めるのが便宜であると考へられる』と。平田は時間のある人々に向つて十種の祈禱を定めたが、忙しい人のためには、その義務を輕くし――恁う言つて居る、『日々の用務が多端で、すべての祈禱をのべる時間をもつて居ない人々は、第一に天皇の皇居を拜し、第二に家の神の棚――神棚を、第三に祖先の靈を、第四に地方の守り神――氏神を、第五に自分の特別な職業の神を拜して、滿足して居て然るべきである』と。彼は次の祈禱の日々『神棚』の前で讀まれるべき事を言つて聞かした――

 

[やぶちゃん注:以下、底本では二つの原注を含め、三字下げポイント落ち。]

 

『第一に恭しく伊勢の兩宮の大神を拜し――八百萬の天の神々――八百萬の地の神々――諸諸の地方、島々、八島の大地のあらゆる場所に於ける大小の神社の捧げ奉られたる百五十萬の神々、人々の爲めに務を爲す百五十萬の神々、離宮、支社の神々――。この聖い神棚に私がその神殿を建てさした、そして私の日々讃辭をあげる曾富騰の神註一を拜し、私は嚴かに、その神々が私の故意てなく犯したる過失を矯正し、それぞれに用ひ給ふ力に從つて、私を惠みまた愛しみ、その聖い例にならひ、道に從ひ善事を爲すやう、私を導き給はん事を願ふ註二

 

註一 曾富神の神は案山子の神で、田野の保護者である。

註二 サトウ氏の飜譯。

[やぶちゃん注:「曾富騰」は「そほど」と読む。後の平田の原文で見るように「曾富登」とも書く。注にある通り、所謂、山田(やまだ)の「案山子」(かかし)であり、「古事記」では少彦名神(すくなびこなのかみ)を名指した神、久延毘古(くえびこ)とする。これは田の神や地神の表象や依代(よりしろ)と考えられる案山子を神格化したものが久延毘古であるととれる。

 平井呈一氏はここに訳者注の形で、平田篤胤の原文を掲げておられる。恣意的に正字化して孫引きさせて戴く。前の二つの引用の読みは振れると判断したもののみに附し、読み易さを考え、送り仮名として振られた一部のカタカナを本文に入れ込み、漢文脈の箇所には返り点のみとして送り仮名を除去し、その代わりに〔 〕で訓読文を附した。( )が平仮名である読みは私が附したものである。なお、後の二つでは踊り字「〱」「〲」を正字化した。一部のカタカナの歴史的仮名遣の誤りはママである。

 まず、戸川が『いろいろな働きをもつた神々の數は澤山にあるので、只だ尤も重要な神を名指して禮拜し、其他を一般の祈禱の内に收めるのが便宜であると考へられる』と訳した箇所。「玉襷」の「三之卷」からの引用。

   *

その八百萬(ヤホヨロズ)の神々を。逐一に拜禮せむには。終日(ヒネモス)夜もすがら。神拜のみして居(ヲラ)ねばならぬ事ゆゑに。然(サ)は行ひ難(ガタ)ければ。其の中にかならず拜み奉らでは。叶はぬ神等(カミタチ)をのみ。御名(ミナ)を申して拜禮し。その餘(ホカ)は一ヒトツ)にこめて拜せむこと簡易なるべし。

   *

 次に『日々の用務が多端で、すべての祈禱をのべる時間をもつて居ない人々は、第一に天皇の皇居を拜し、第二に家の神の棚――神棚を、第三に祖先の靈を、第四に地方の守り神――氏神を、第五に自分の特別な職業の神を拜して、滿足して居て然るべきである』の箇所。「每朝神拜詞記(まいちょうじんぱいしき)」からの引用。

   *

また家業(イヘノナリ)のいと閙(イソガ)しくて。許多(ココタ)の神々を拜み奉るとしては。暇(イトマ)いる事に思はむ人は。第十四なる拜家之神棚詞〔家の神棚を拜む詞(ことば)〕と。第二十五なる拜先祖靈屋詞〔先祖靈屋(せんぞみたまや)を拜む詞〕とを。其の前々(マヘマヘ)に白(まを)して拜むべし。其(ソ)は第十四の詞に伊勢兩宮大神等乎始奉里(イセノフタミヤノオホカミタチヲハジメタテマツリ)云々と云へるに。有(アラ)ゆる神等(ミタマ)を拜み奉る心はこもり。第二十五の詞に。遠都御祖乃御靈(トホツミオヤノミクマ)。代々乃祖等(ヨヨノオヤタチ)云々と云へるに。家にて祭る有(アラ)ゆる靈神(ミタマ)を拜む心を籠(コメ)たればなり。猶これに記せる外(ホカ)に。各々其々の氏神。またその職業の神を。かならず拜むべし。

   *

 次に、最後の引用。「玉襷」の「六之卷」より。これは万葉仮名で総てが漢字表記である。読みは読み易さを考えて私が一部に恣意的に半角空隙を設けた。

   *

此乃神牀爾(コレノ カムトコ ニ)。神籬立氐招奉里令坐奉里氐(ヒモロギタチテ サキマツリマセマツリテ)。日爾異爾稱辭竟奉留(ヒニケニ タタヘゴト ヲヘマツル)。伊勢兩宮大神等乎始奉里(イセフタミヤノ オホカミタチヲ ハジメタテツリ)。天御神八百万(アマツミカミ ヤホヨロズ)。国御神八百万能神等(クニツミカミ ヤホヨロズノカミタチ)。大八嶋之國々島々所々之(オホヤシマノクニグニ シマジマ トコロドコロノ)。大小社々爾鎭座坐須千五百万乃神等(オホキ チヒサキ ヤシロヤシロニ シズマリマシマステ イホヨロヅノカミタチ)。其從幣給布百千萬之神等(ソノ シタガヘタマフ モモチヨロズノカミタチ)。枝宮枝社之神等(エダミヤエダヤシロノカミタチ)。曾富登神之御前乎毛愼美敬比(ソホドノカミノミマヘヲモ ツツシミ ヰヤマヒ)。過犯須事乃有乎婆(アヤマチオカスコトノアルヲバ)。見直志聞直志坐氐(ミナオシキキナホシマシテ)。各々掌分坐須御功德乃隨爾(オノモオノモ シリワケマシマス ミイサホノ マニマニ)。惠給比幸幣賜比氐(メグミタマヒ サキハヘタマヒテ)。神習波志米(カミ ナラハシメ)。道爾功績乎令立賜閉止(ミチニ イサヲヲ タテシメタマヘ ト)。畏美畏美毛拜美奉留(カシコミカシコミモ オガミタテマツル)。

   *]

 

 この文字は神道の最大の註釋者が、神道の祈禱の如何なるものであるべきかを考へた、その一例として興味あるものである。そして曾富騰の神に關する事を除いては、その實質は今日なほ日本の家に於て毎朝の祈禱にのべらて居る處のものである。併し近代の祈禱は遙かに短くなつて居る……。量古の神道の地方なる出雲に於ては、慣習的に行ふ朝の禮拜が、祈願の古い規定の最上の例を示して居る。則ち朝起きるとすぐに禮拜する人は、沐浴をなし、顏を洗ひ、口を漱ぎ、日に向ひ、兩手を合はせてたたき、恭しく頭を下げて、筒單な挨拶をする『嚴かなる神よ、よくこそ、今日來られし』と。斯く日を拜するのは、また臣民としてのその本分をつくす所以である。則ちそれに依つて皇室の祖先への忠順を爲すのてある。これは戸外て行はれるのであつて、跪く事なく立ちながら爲されるが、この筒單な禮拜の光景は感動を與へる事夥しい。

 私は追憶の内に、――何年も以前に、隱岐の海岸て實見した通りに、明瞭に今でもその光景を眼の前に浮かべる事が出來る、――若い漁夫が裸體で小船の船首に直立し、昇る旭日を迎へるために、兩手を合はせてたたいて居ると、日のあかあかと照らす光は、その男を靑銅の立像のやうに見せた其光景を。また私は富士山の絶頂なる岩の尖端に身の平衡を保つて立ち、東に向つて兩手をたたいて居た順禮の生き生きとした追想をもつて居る……。恐らく一萬年――二萬年前、すべての人はかくして日の君を禮拜したのであらう……。

[やぶちゃん注:隠岐でのこの感動は残念ながら語られていないけれども、私は既にブログカテゴリ「小泉八雲」で小泉八雲の落合貞三郎他訳「知られぬ日本の面影」の電子化注を終えており、同「第二十三章 伯耆から隱岐ヘ」は以下から全三十五回に分けて配してある。彼は隠岐を愛した。また、小泉八雲の富士山登頂は明治三一(一八九八)年八月(曇っていたが、日の出を見たのは二十六日早朝)、満四十八歳の時であった。登山に体力を消耗し、その印象記FujinoYama(「富士の山」では、富士山頂の景観を“No spot in this world can be more horrible, more atrociously dismal, than the cindered tip of the Lotus as you stand upon it.”『まずこんな恐ろしい、不気味な、凶々(まがまが)しい、凄惨な場所が、またと世にあろうとは考えられもしない』(訳は一九七五年恒文社刊小泉八雲著平井呈一訳「仏の畑の落穂他」の「富士の山」より)と評しながら、そのコーダでは確かに、

   *

“But the view ― the view for a hundred leagues ― and the light of the far faint dreamy world ― and the fairy vapors of morning ― and the marvelous wreathings of cloud: all this, and only this, consoles me for the labor and the pain. . . . Other pilgrims, earlier climbers, ― poised upon the highest crag, with faces turned to the tremendous East, ― are clapping their hands in Shintō prayer, saluting the mighty Day. . . . The immense poetry of the moment enters into me with a thrill. I know that the colossal vision before me has already become a memory ineffaceable, ― a memory of which no luminous detail can fade till the hour when thought itself must fade, and the dust of these eyes be mingled with the dust of the myriad million eyes that also have looked in ages forgotten before my birth, from the summit supreme of Fuji to the Rising of the Sun.”

   *

先の平井呈一訳より当該箇所を引く。

   《引用開始》

 しかしながら、この景――百里も見はるかすこの眺望、遠く微かな夢幻の世界の光、この世ならぬ仙界の朝の霧、巻き去り巻き来たる雲のあやしい姿――なべてこの景、いや、この景だけが、自分の労苦を慰め医してくれる。‥‥自分よりも先にお頂上をした巡礼達が、一ばん高い岩の上によじ登って、東の空に顔を向け、雄大な朝日を拝んで、神道流に柏手(かしわで)を打っている。‥‥この瞬間の詩情、大いなるこの詩情は、自分の心魂に深く沁みとおった。つまり、自分の目の前にあるこの雄大な光景は、もはや消しも拭いもされぬ記憶となったのである。自分の知性が消滅し、眼が土と化してしまったのち、わが未生の遠い遠い昔に、同じく富士の頂上から朝日を拝んだ幾億の人々の眼が土に化したのと相交わるまで、この記憶は、一々その零細な点まで、けっして消滅することはあるまい。

   《引用終了》

という実に印象的な感懐で作品を閉じている。]

 太陽を拜した後、禮拜者は家に歸り、神棚の前竝びに祖先の位牌の前で祈禱を上げる。跪いて禮拜者は伊勢或は出雲の大神、その地方の主なる神社の神々、教區の神(氏神)を呼び、最後に神道の無數の神々を呼び起こす。斯樣な祈禱は聲をあげて稱へるのではない。祖先には家の基礎を置いたとして感謝を表し、高い神々は助力と守護とのために呼び求められる……。天皇の皇居の方に向つて、頭を下げる事に就いては、それがどれほど遠隔の地方にまで行はれて居るのか、私には言ひ得ない、併し私はその敬意の行はれて居るのを屢〻實見した。また一度私は田舍の人達が首府を見物に來て、東京の宮殿のすぐ門前で、その敬意を表したのを見た事もある。私は度々その人達の村に逗留して居た事があつたので、その人達は私を知り、東京に來るや私の家を探しあて、遇ひに來た。私はその人達を宮殿へと連れて行つた、そして宮殿の正門の前に來るや、その人達は帽を脱ぎ、お辭儀をして拍手をうつた――丁度神々や旭日を迎へる時にしたやうに――簡單にしてまた威嚴ある敬意を以て爲されたこの一事は、少からず私の心を動かした。

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