小穴隆一 「二つの繪」(13) 「死場所」
死場所
死場所として海には格別の誘惑を感じなかつたやうである。水泳ぎができるからと言つてゐたのはいひわけのやうで、濱邊にころげてゐる死體を考へてゐるといふよりも、(芥川はスパァニッシュ・フライをのんで死んでて陰莖勃起は滑稽だねえと言つてゐた、)行方不明になりきる死體の行方のはうを心配だと言ふのである。深山幽谷で死ぬことには多少の關心があつたやうだが、これとても糜爛しきつたのを發見されるのはいやだと言ひ、死體が木乃伊になつてゐるのならば興味があるといふ贅澤を言つてゐた。
大正十五年鵠沼には、まだ震災で潰れたままの廢屋と言つてよろしい物があちこちにあつた。芥川が一日、僕を散步にかづけて案内したところは、なるほど死なうといふ者にとつては、白骨か木乃伊になるまでは、發見されないと思へる場所の家であつた。(「悠々莊」ではない、)芥川はその家までたどりつくと、活潑に先きに立つて屋敷の中をぐるぐる步きまはり、その安全さを言つてゐた。その道の途中で芥川は、「こないだ比呂志と步いてゐたら道に釘が落ちてたが、此呂志がそれをみて、くろがねが落ちてゐるといつてゐたよ、」とほほゑましげにそのことを僕に言つてゐた。比呂志君が尋常一年のときであらう。
芥川は、「自分の家で變死をすれば、やがては家を賣るであらう、それを考へれば養父に迷惑をかけるのは忍びないことだが、自分の建てた書齋なら、そこさへ潰せば大したこともなからう、」といふことを言つてゐた。(彼はま新らしい書齋で死んでゐた。)
[やぶちゃん注:最後の附言は誤りである。芥川龍之介増新築した二階の書斎ではなく、そこから聖書を持って階下に降り、妻文と三人の息子が眠る部屋で横になり(この時、既に薬物を服用していたとされる)、聖書を読みながら、芥川龍之介は最後の眠りに就いた。]
菊池寛は芥川の死後に、「芥川のところで、もし家を賣るやうなら自分が買ふから、」と僕に言つてくれた。また、「比呂志君にお小道として、文藝春秋の株を貮百あげるつもりだ。」ともいつてそのとほりした。
[やぶちゃん注:「スパァニッシュ・フライをのんで死んでて陰莖勃起は滑稽だねえ」既に注したが、スパニッシュ・フライに含まれるカンタリジンは、人間が摂取した場合、尿中に排泄される過程で尿道の血管を拡張させて充血、即ち、持続的な陰茎勃起現象を引き起こす。
「悠々莊」大正一六(一九二七)年一月一日発行の『サンデー毎日』新年特別号に発表された鵠沼の廃別荘をロケーションとした陰鬱な小品(私の古い電子テクストでどうぞ)。
「比呂志君が尋常一年のとき」芥川龍之介の長男芥川比呂志は大正九(一九二〇)年四月十日生まれであるが、戸籍上では三月三十日生まれとして入籍されてある。比呂志はこの大正十五年に東京高等師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)に入学している。因みに「比呂志」という名は盟友菊池寛(本名は「ひろし」)のそれを万葉仮名に当てたものである。]