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2017/01/25

柴田宵曲 妖異博物館 「大鳥」

 

 大鳥

 

 扶搖に搏つて上るもの九萬里といふ鵬は莊子の寓言であるが、支那人は或程度まで鵬の存在を信じもしくは信ぜんとした形跡がある。「子不語」の記すところは康熙六十年といふのだから、さう古い話ではない。七月三日の午後、忽然と天が暗くなり、宛も夜の如くであつたが、數刻ならずして天が明るくなり、基中片雲なしといふ上天氣に變つた。或人の話に、これは大鵬が過ぎたのだといふ。莊子のいはゆる「翼垂天の雲のごとし」といふもの、決して虛語でないとある。もう一つの記載は更に現實的で、瓊州海邊の人家で、黑雲忽ち天を蔽うて至ると共に、非常な腥穢の氣を感ずる。老人の説によれば、これは鵬が通過するのだから、糞の人を傷つけることを慮り、急に避難するがよろしい、といふことであつた。一村悉く逃れ、天地晦冥、盆を傾けるやうな雨が降る。翌日早朝行つて見ると、民家屋舍いづれも鵬糞のために壓倒されて居り、糞に魚蝦の腥があつたなどと書いてある。羽毛が一本落ちてゐたのが、十數間の屋を覆ふに足り、毛孔の中を騎馬で走ることが出來るといふ。鵬の大を描くには、正に斯の如くでなければなるまい。うつかりその形を捉へようとすれば失敗に了る。一天黑雲蔽ひ、夜の如くなることは、現在でも時々あるから、これを以て鵬通過の時と見ればよからう。

[やぶちゃん注:「扶搖に搏つて上るもの九萬里といふ鵬」「莊子」の冒頭「逍遙遊」に出現する、文字通りブッ飛びの巨鳥「鵬」の描写である「搏扶搖而上九萬里」(扶搖(ふえう)に搏(はねう)ちて上(のぼ)ること、九萬里)に基づく。「扶搖」は一般には旋風(つむじかぜ)を指す。「鵬」は翼長三千里(古代中国の一里は約四百五メートルであるから千二百十五キロメートル)、一度、羽ばたくだけで九万里(三万六千四百五十キロメートル)を飛ぶとするトンデモ鳥である。

「腥穢」「せいわい」(「穢」を「ゑ(え)」と読むのは呉音で、その場合なら「腥」もそれで読まねばならぬので「しやうゑ(しょうえ)」となるが、私にはこの発音はあまりピンと来ない)で腥(なまぐさ)くて穢(けが)れた気。この場合、五行の気だけでなく、実際の気配の一つとしての臭気をも指していることが、後の「魚蝦の腥」(ぎよかのせい:魚や蝦(えび)特有の生臭さ)からも判る。これは旋風や竜巻が淡・海水とともに水産生物を巻き上げたものを陸に降らす現象としてとして、気象学的には納得出来る描写である。

「子不語」(しふご)は清の袁枚(えんばい)の著になる文語短編小説集。正篇二十四巻・続篇十巻。正編は一七八八年頃の、続篇は一七九二年頃の成立。著者が若い頃より書き溜めてきた奇異談を纏めたもの。書名は「論語」の「述而篇」中の「子不語怪力亂神」(子は怪・力・亂・神を語らず:「怪」は尋常でない奇怪なこと、「力」は異常に力の強い者の武辺話、「亂」は道理に背いた反社会的行動、「神」は人間離れした妖しい神妙・不可思議な対象を言う)に基づくもので、孔子が君子として避けて語らなかった怪異談をわざと集めたという皮肉であると同時に、あの聖君子孔子が敢えてかくも言わざるを得なかったほどに孔子でさえ内心「怪力亂神」が好きだった、古来より中国人が、いやさ、人間が如何に怪奇談好きであるかを暗に示す書名とも言えるように私は感じている。本条前半は「續子不語」の「第六卷」の「鵬過」、後半は同「續子不語」の「第四卷」の「鵬糞」ある。中文サイトのこちらのものを加工した。

   *

  鵬過

康熙六十年、余才七歳、初上學堂。七月三日、才吃午飯、忽然天黑如夜、未數刻而天漸明、紅日照耀、空中無片雲。或云、「此大鵬鳥飛過也。」。莊周所云「翼若垂天之雲」、竟非虛語。

   *

  鵬糞

康熙壬子春、瓊州近海人家忽見黑雲蔽天而至、腥穢異常、有老人云、「此鵬鳥過也、慮其下糞傷人、須急避之。」。一村盡逃。俄而天黑如夜、大雨傾盆。次早往視、則民間屋舍盡爲鵬糞壓倒。從内掘出糞、皆作魚蝦腥。遺毛一根、可覆民間十數間屋、毛孔中可騎馬穿走、毛色墨、如海燕狀。

   *

「十數間」二十九メートル前後。柴田も感心しているように、「毛孔の中(うち)、騎馬にして穿走(せんそう)すべし」は言い得て美事!]

「アラビアン・ナイト」のシンドバツトは、第二の航海で或嶋に置き去りになつた時、嶋の一角に白い圓頂閣の如きものを發見した。これがルクといふ巨鳥の卵なので、親のルクは兩翼でこれを溫める。そのルクが飛んで來る時、びろげた翼は太陽を蔽ひ、あたりが暗くなつたと書いてある。卵が圓頂閣のやうに見えたり、上空に舞ふ姿を仰ぎ得たりする點で、鵬とは比較にならぬけれど、とにかく大きなものに相違ない。こんなものを日本に求めるのは無理である。

[やぶちゃん注:「アラビアン・ナイト」八世紀頃に中世ペルシャ語からアラビア語に訳されたインド説話の影響の強い説話集(本邦では「千一夜物語」の訳題でも知られる)の中の「船乗りシンドバッドの物語」の内の「シンドバッド(英語表記:Sindibaad)第二の航海」に出る、巨大な白い鳥「ロック鳥」(roc)のこと。三頭のゾウを一度に攫み獲って巣の雛に食べさせるほど、デカい。

「寓意草」には大きな鳥の事が二つ出て來る。一つは福嶋邊の話で、田圃に小屋を作つて、中に入つて雁を捕らうとしたところ、夜明け近くなつても雁は來ず、田の中に大きな鳥がゐるのを鐡砲で擊つた。動かぬので擊ち損じたかと思つたら、そのうちに倒れた。馬ぐらゐの大きさで、翼の丈は二丈餘りあつた。何といふ鳥か誰も知らなかつたが、多分海外から飛んで來たものだらうといふことであつた。

[やぶちゃん注:「寓意草」幕臣で後に浪人になって諸国を巡ったとされる岡村良通(元禄一二(一六九九)年~明和四(一七六七)年)の随筆。私は所持しない。国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認したが、三度ほど縦覧したが、見つからぬ。平仮名の多い文章で読むのに疲れた。お探しあれかし。見つけたら御一報戴けると嬉しい。お名前とともにここにリンクを張らさせて戴こうと思う。]

 もう一つの話も奧州で、雨の降りしきる暗い夜の子二ツ(夜中の十二時過)頃、大きな鳥の北から飛んで來る羽音がしたと思ふと、或家の屋根にとまつた。途端に柱も垂木も鳴り搖いで、まるで地震のやうであつた。家内の者が顏を見合せてゐるうちに、また大きな羽音がして、南の方へ飛んで行つたが、その鳥が飛び立たうとして蹈張つた時は、家も倒れさうに動搖した。次の日見れば、茅屋根の南北を摑み通した鳥の跡があり、繩で計つたら直徑二丈餘もあつた。爪の跡は大きな杵ぐらゐある。これもどんな鳥かわからない。

[やぶちゃん注:以上は見つけた。「寓意草」の下のここ。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で、リンク先の右ページ上段中程の「みちのくのほばしのさとに、わたなべ與ざうといふひとあり、……」以下の条である。

「二丈」六メートル一〇センチ弱。]

 「黑甜瑣語(こくてんさご)」は秋田人の著書であるが、その中に薩摩の話が書いてある。府城の外に鐘樓があり、番人が交代に守ることになつてゐたところ、或年の冬、その樓が動搖して倒れさうになり、撞木が鐘に觸れて大きな音を立てた。當番の者が驚いて出て見たけれど、暗夜の事で何も見えぬ。暫くすると、また風のやうな音がして、何者か南に去つたが、それは明かに鳥の羽音であつた。蓋し大鳥が來て鐘樓に翼を休めたものであらうといふのであるが、これは「寓意草」の彼の話に似てゐる。暗夜で大きさの見當が付かぬのは遺憾である。

[やぶちゃん注:「黑甜瑣語」は人見蕉雨斎(ひとみしょううさい 宝暦一一(一七六一)年~文化元(一八〇四)年)江戸後期の国学者で出羽久保田藩藩士。古い記録の散逸を憂え、その収集に勤め、同書はその一つである。ここに出る前後の話は「黑甜瑣語」の「第四編」にある「大鳥」の条の事例。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像から視認出来る。]

 同じく薩摩の話で、琉球から來た船が港に泊つた時、大きな鳥の卵が舳に殘つてゐた。卵の直徑四尺ばかり、親鳥の大きさはわからぬが、この卵の殼は藩士某の家に藏された。

 以上の鳥は日本の話として、いづれも大きくないことはない。倂し最も奇想天外といふべきは、「黑甜瑣語」が終りに擧げた一例であらう。ある雪の明け方、新城の農民が近くの山へ炭燒きに行くと、向うの山にいつも見たことのない大木が、二本竝んで立つてゐる。上に物があつて、大きな翼を持つて上るのを見れば、前に大木と思つたのは鳥の兩脚であつたといふのである。これなどは嶋國人に不似合なくらゐ大きな話の方で、或はルクの好敵手になれるかも知れぬ。巨鳥は多く夜來つて全容を示さず、たまたま瞥見した話も未明である。靑天白日世界のものでないと見える。

[やぶちゃん注:「新城」は「しんじょう」(現代仮名遣)リンク先の原典を見ると「我藩」とあるから、現在の秋田市内にあった旧下新城村・上新城村の広域地名と思われる。]

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