小穴隆一「二つの繪」(27) 「影照」(2) 「漱石・潤一郎」
漱石・潤一郎
文藝生活に於ける芥川に絲を投げかけた者を、僕は漱石、潤一郎と思ふ。芥川は、「夏目先生は五十圓以上の金は一度に拂はなかつた人だ。」と言つてゐた。芥川も夏目先生を或は見習つてゐたかも知れない。
[やぶちゃん注:ここで小穴隆一が言っているのは、恐らくは象徴的な謂いで、暴虎馮河のような賭けには出ない、自分の陣営保護は万全を期して注意していたことを意味するようにも採れるのであるが、芥川龍之介は、例えば、中国特派の際の大阪毎日新聞への予算要求などは異様なほど細かく、特派中の送金依頼などを見ても、慇懃を装いつつも細部ではかなり巧妙に社から金を引き出させようとしていることが判る。龍之介は遺稿「或阿呆の一生」の「二十 械(かせ)」では、
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彼等夫妻は彼の養父母と一つ家(いへ)に住むことになつた。それは彼が或新聞社に入社することになつた爲だつた。彼は黃いろい紙に書いた一枚の契約書を力にしてゐた。が、その契約書は後(あと)になつて見ると、新聞社は何の義務も負はずに彼ばかり義務を負ふものだつた。
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などと書いているが、寧ろ、龍之介は給与金額へ注文を出し、菊地寛ら友人紹介斡旋などの依頼で、毎日新聞社には相当な便宜を図って貰っている。遺書という抗議不能な物によって、土壇場で新潮社から岩波書店へ全集刊行を鞍替え要求している(それも師漱石と同じ岩波から出したいという我儘)ところなどを見ても、芥川龍之介という男の意想外の計算高さは認識しておく必要があると言える。そういう意味での計算高さは、〈ダンディ龍之介〉の印象が強い彼にしてあまり知られているとは思えないので言い添えておきたい。]
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